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幸せは、転んで傷ついて負けてまた立ち上がったところにある。

新聞を読んで号泣したことがあります。37年前の日航ジャンボ機墜落事故の記事でした。

亡くなられた方々の恐怖と家族への感謝を震えた文字で綴られた遺書の数々。亡くなられた客室乗務員の方のご友人のお話と、荒井由実の『ひこうき雲』の歌詞が重ねられていました。

突然大切な人がいなくなる、死ぬということの恐怖。しあわせをしあわせと気づかないでいた傲慢な若さとその時期特有の感性もあったのでしょう。

しゃくり上げているわたしを見て笑っていた母は、その翌年亡くなりました。母のいた最後の夏でもありました。

その夏を新聞屋でありクライマーであり、父であり人間である主人公の眼を通して語られています。

クライマーズ・ハイ  横山秀夫

1985年、御巣鷹山に未曾有の航空機事故発生。衝立岩登攀ついたていわとうはんを予定していた地元紙の遊軍記者、悠木和雄が全権デスクに任命される。一方共に登る予定だった同僚は病院に搬送されていた。組織の相剋、親子の葛藤、同僚の謎めいた言葉、報道とは。あらゆる場面で己を試されふるいに掛けられる、著者渾身の傑作長編。

文春文庫

冒頭が、谷川岳の山行さんこうのはじまりの土合どあい駅で、一ノ倉沢に向かうというのがわかり、それだけでもうドキドキうれしくなります。ついこの間、そこにを歩きました。たくさんの命を奪い弔っている圧倒的な巨大な岩壁に会いに。

1985年のあの夏と、それから17年後の谷川岳の鋭鋒、衝立岩に登る悠木とふたつの時系列で進行します。

生まれてから、子どもの頃から背負っているもの。大人になってから背負ってしまったもの。生きている過程で様々な負の荷物が人それぞれにあると思います。だからこそ人の痛みを想像でき、苦しみながら仕事や人に真摯に向かいあっていけるのだと思います。

人とのつながりや信頼があると、荷物も軽くなります。クライミングでハーケン(手がかりのくさび)があるように、登りやすくなります。

悠木のハーケンは、色々な人とのつながりだと思います。

転んでも、傷ついても、たとえ敗北を喫しようとも、また立ち上がり走り続ける。人の幸せとは、案外そんな道々出会うものではないだろうか。

悠木のこの言葉が好き。傷ついても負けてもいいんだ、その先に幸せに出会うのかも、と思えるから。

衝立岩のようにゴツゴツと硬質で、重たいテーマだからこそ、最後の爽やかさが際立ちます。37年前の涙とは違う、熱いものがこみ上げてきます。

読んでいる間37年前に確かに私にあったしあわせと、ついこの間見た、衝立岩がずっと心底にありました。

読書の楽しみを堪能しました。
ありがとうございました。

谷川岳 一ノ倉沢

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