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日光東照宮と虹鱒のソテー

東京青山で育った祖母は『青山小町』と言われていた、という我が家の伝説があります。お嬢様育ちで結婚してからも家計を預かるということが難しく、家計簿がつけられないと泣き、父が家計簿をつけていた、という話しも父から聞いてました。

その祖母が好きだったのが日光金谷ホテルの『日光虹鱒のソテー』でした。全国旅行支援のとちぎ旅クーポンが、金谷ホテルでも使えるということで虹鱒のソテーを食べに行きました。

湯西川温泉から、日光に向かいました。

まずは東照宮の家康さんにご挨拶。『どうする家康』来年の大河ドラマですね。今、復習で司馬遼太郎の『覇王の家』読んでいるので、家康さんが、生き生きと私の中にいます。

神橋しんきょう 神聖な橋。人間界と神界を行き来する『神が渡る橋』
五重塔 初層に3体の神獣がいます。は右から徳川家康の干支である寅、二代将軍・徳川秀忠の卯、三代将軍・徳川家光の辰。
神厩舎しんきゅうしゃの 「見ざる、言わざる、聞かざる」
神馬をつなぐためのうまやで猿は馬の健康を守るそうです。人の一生をお猿さんたちが表していてこれは、幼少期。悪いものからは遠ざけないと。
東回廊の「眠り猫」「警戒心の強い猫すらも安心して眠りに付ける世の中」 を意味すると言われているそうです。
杉林の中の石段を登ります。「人生とは、重い荷物を背負って長い道を歩いていくようなものだ。急ぐ必要はない」という家康公の言葉も途中にありました。家康公のお墓は静寂につつまれた、奥にあり、縁起の良い鶴、亀が飾られていました。

徳川幕府、江戸初期の豪華絢爛、豊かさを感じました。まさに『覇王の家』ですね。

『覇王の家』を築き上げた家康の勝者の条件を三河武士団という忠誠心の異常に強い集団の存在、と司馬遼太郎が書いていました。

東照宮は、『忠誠心』でこのあとの江戸時代を守ってきたのかもしれません。

東照宮から下って日光金谷ホテルに行きました。

日光金谷ホテル 
柿と生ハムのアミューズ ワインは『ココ・ファーム・ワイナリー』の『農民ドライ』ワインの中にお庭の木が映ってます。
「帆立貝柱」と「ズワイ蟹」のテリーヌ恵ファームの「ミニトマト」と「林檎」のウォルドフ・サラダを添えて
白胡麻を纏った「寒鰆」のポワレとキャベツのエチュベ ソース・マリニエール 酸味をきかせたビーツのピューレをアクセントに
日光虹鱒のソテー 金谷風  ~日光金谷ホテル看板料理から~
ホワイトチョコレートのムース「ブッシュドノエル」彩りフルーツと苺のソルベを添えて

予約なしでいったのに、窓際のいい席に案内してくださいました。クラシカルなホテルのレストラン。白い清潔なナフキンと銀のカトラリーが美しく、上品。

祖母が愛した日光金谷ホテルの虹鱒。ボリュームがあって醤油味で日本的です。

さみみさんも日光金谷ホテルの虹鱒を召し上がっていました。

奥日光の白濁した温泉が夫のお気に入りで湯元温泉スキー場、菖蒲ヶ浜スキー場(今はないのかな)には、スキー、スノーボードで毎週のよう通ってました。

日光白根山に上ったり、トレイルランニングしたり、奥日光パークマラソンにも参加したことがあります。

祖母と仲が良かったわけでもなく、やさしいおばあちゃんでもなく、かわいがられた覚えもないのだけど。

祖母は祖父に愛され、自分と長男であるわたしの父を溺愛した人。

祖母は日光が世界遺産になったことは知らず亡くなってしまいましたが、東照宮の豪華絢爛さが似合う人で、東照宮も好みの場所だったんじゃないかな。

日光は、祖母とのわずかな共通項です。

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