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私がトライアスロンをはじめた理由

私が走りはじめたのは、母の夢だったホノルルマラソンを走りたいと思ったからです。

暗いトンネルの中にいた私は、走り出すまで時間がかかりました。

母の棺を担いでくれた彼に別れを告げられ、父に一緒に暮らす人ができ、祖母が自殺し、家族がばらばらになりました。

暗黒時代って、文章にすると3行で書ける、と言っていた方がいらっしゃいましたが本当ですね。たった2行ですが。

生きることに必死で、走ることなんて忘れていました。風呂なし4畳半のアパートでお風呂代わりにプールで泳いでいました。

長く暗いトンネルを抜けられたのは、夫に出会ったからです。年の離れた夫のプロポーズの言葉は、「僕は死にません」でした。武田鉄矢さんのようにトラックの前に飛び出しはしませんでしたが。いくつかの死に打ちのめされていた私には響きました。

気持ちも生活も安定し、走ることを思い出せました。

走ったり、泳いだりしている私を見て夫が、「トライアスロンをやったら?」と言ったのがきっかけです。夫も私もトライアスロンを知っているわけではないし、二人ともスポーツは苦手です。

10km・ハーフ・フルマラソンと距離を伸ばして、ホノルルマラソンに参加したのは、2003年です。

カピオラ二公園をひとりで走っていたとき、ああ、ここがおかあさんが走りたかったところなんだな、と涙したのを覚えてます。

トライアスロンは、その前年2002年オリンピックディスタンス(スイム1500m/バイク40km/ラン10km)でデビューしました。39歳でした。

世界各国で行われるアイアンマンレース(スイム3800m/バイク180km/ラン42.195km)に参加するようになり、中国で夫も私も優勝し、2019年、ハワイで行われる世界選手権に参加する権利を得ることができました。夫は71歳、私は56歳でした。

2019年 ハワイ 夫は3回目だけど私ははじめて。

母より長く生きた私は、母の行けなかったホノルルマラソンを走り、夫婦でトライアスロンができることのしあわせを感じ、まだまだこれからも二人で挑戦し続けて行きたいと思います。

私は暗いトンネルの中で、明日の希望・夢を考えそれだけを頼り信じて進みました、今、暗闇の中にいる皆さん、夢でいいんです、明日・来年の夢をみましょう、そして目標を持ちましょう、目標を持てば必ず、道は開きます。

高橋尚子

2005年 東京国際女子マラソンで優勝した高橋尚子さんの言葉です。誰でも一度は暗いトンネルの中にいるときがあると思います。今暗闇の中にいる人もいると思います。

トンネルには出口が必ずあります。時間がかかってもそこから抜けることができると思います。

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