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【日々のエッセイNo.3】「無駄な時間」について

社会で無駄とされていることは、必ずしも自分にとって無駄とはいえない。

効率性、タイパ、コスパ、高度資本主義社会。

休みの日に遅く起きてYouTubeを見る、だらだらドラマを見る、ああ今日も無駄に一日を過ごしてしまったと思う。休みの日、将来につながりそうなこと、趣味という名前がついていること、友人や家族と時間を過ごしていないと、なんだか少し悪い気がしてしまう。

留学に来て日本にいる時よりなぜだか多くの時間ができた。この国の時間の流れがゆったりだからか、少し都会から外れてるからか、留学をする以外何
も予定を決めていなかったからか、たっぷりと時間があるのだ。自慢ではないが、暇すぎて死ぬと友達に愚痴っていた日もある。

そんな暇な時間に、まさかの海外に留学して、NHKオンデマンドに登録してプロフェッショナルや真田丸を見たり、Kindleで日本の旅雑誌を漁ったり、Amazon primeで坂本裕二監督のドラマや映画を見たり、村上春樹の本を読んだりしている。充実しているように見えるが、実態はそんなかっこいいものではない。一日ダサい格好で、ソファでiPadにかじりついて、お腹が空いたら冷蔵庫をあさって、食器は洗わない、ニートみたいなものだ。

私は、小学校高学年で塾に通い始めてから大学に入るまで無駄な時間を過ごしたことがあまりなかった。勉強に励み、部活に励み、生徒会の仕事まできっちりこなしていた。映画やドラマや本や雑誌を見ることは無駄で意味のないことだと切り捨てていた。今思うと私はとてもストイックだったと思う。

でもそれで一体何になったのだろう。たくさん勉強をして、良い成績を取って、今一体何になってる?たくさん走り込んで、辛くても部活に通い続けて、今一体何になってる?

私は、社会に出たら無駄だと言われるようなことに、今たくさんの時間を使っている。別に意識的にではないけど。ただなんとなく面白そうな本とか人に会ったり、没頭したり、その時間を楽しみたいだけだ。

世の中は、社会や偉い人や政府の都合がいいような価値観を中心に全てが構成されている。そして洗脳される。自分の価値観がわからなくなる。

自分が楽しいと思えなかったり、違和感を感じたら、ちゃんとそれに向き合ってみる。世の中の価値観にとらわれてないか考えてみる。原始人感覚で考えてみるとわかりやすい。一つだった世界に、境界を引いたのはどこかのいつかの誰かなんだから、別にそんなの気にしなくていい。

自分が生きやすいように、生きたいように、自分の世界を作っていけばいい。

まあ社会人になったらそんなマイペースなことも言ってられないのかもだけど。

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