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やっぱり歪んでたな。と思う9月上旬の心境

7月の終わりから8月半ばにかけて、いろんなことが大変だった。

仕事の命綱であるパソコンが立て続けに調子が悪くなり、仕事が中断。

もうこの世の終わりかのように身も心もヘトヘトで、1か月も経てばこの気持ちは変わるかな?なんて言いながら1か月程経過した。

9月に入り、まあそこまで心境が大きく変化したということではないのだけど、相変わらず「不安がない」状態で生きている。

ここで言う「不安がない」とは、今が順風満帆で将来に心配事が何もない、ということを指すのではない。

ここで指す「不安がない」とは、夢も希望も特にないので、別に思い残すこともないし、長生きするつもりもないから将来のためにお金をたくさん貯める必要もないし、何が起きても誰からどう思われても構わない、という意味での「不安がない」である。

ある種、開き直っていてポジティブのようだけど、この思考はとても危険だなと自分で感じる。

常に懐にナイフをお守りのように隠し持ち、いざとなったら死ねばいいと思ってるようなものだ。いつでも死ねるんだ、という安心感があるから生きていられるのだ。

まあ、こういうことを言っている人間ほど、いざという時には何もできない。それも知っている。

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このnoteを始めたキッカケは、心の仕組みや感情の動きに興味を持ち、アウトプットしておかないと中に色んなものが溜まり過ぎて頭がおかしくなりそうだったから。

ここのところ、「不安がない」なんて言いながら心の仕組みや感情の動きについて考えることが少なくなっていたけど、また色々と思うことがあり、今パソコンをカタカタと打っている。

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最近はなんてことない些細な1つのキッカケから、ああでもないこうでもないと推測や妄想を繰り広げて、勝手にはぁ・・・と落ち込んだりする。

こんな思考は昔からずーっとだ。
何ひとつ事実確認もしていないし、出来事すら起こっていないのに、人の気持ちや出来事を悪い方向に推測するクセがある。

今さら始まったことじゃないけど、なんでこんなに勝手に悪い方向に考えるもんかね、と頭と心が気持ち悪かったので

「物事 悪い方向に結びつける」などで検索していた結果、辿り着いたのが「結論の飛躍」というものだった。

なんと、ただの性格と思っていた思考に、ご丁寧に名前が付いていた。

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これは認知の歪みという、その名の通り歪んだ思考パターンの中の1つだそう。

「~すべき」「~であるべき」や物事を白黒ハッキリさせないと済まないといった思考も認知の歪みのパターンの1種で、どうやらこのパターンは10種類ほどあるらしい。

上記の「〜すべき」「〜であるべき」思考も相当長いこと付き合っていたが、ここ数年でお別れをしている。

ここで、新たな歪みと巡りあったわけだ。
・・・いや、巡り合ったというか、これもまた長年この思考と付き合っているわけだけど、ようやく壁の前まで辿り着いた、といったところだろうか。

結論の飛躍
「心の読みすぎ」と「先読みの誤り」の二種類が存在する。
心の読みすぎ(Mind reading)とは、他人の行動や非言語的コミュニケーションから、ネガティブな可能性を推測すること。当人に尋ねることなく、論理的に起こりうる最悪のケースを推測し、その予防措置を取ったりする。
先読みの誤り(Fortune-telling)とは、物事が悪い結果をもたらすと推測すること。悲劇的な結論に一足先にジャンプしてしまう。
(認知の歪み-Wikipediaより)

まさに。まさに、である。
あれ?私の代名詞?というくらい、まさにそういう人間である。

これは自己保身から生まれるもので、やはり悪い方向に想像した通りだったことも過去にあるわけで、
「やっぱりね、そうだと思っていた」と最悪の事態を想定しておくことで、その出来事に出くわした時にショックを受けすぎないというメリットがあるから。

そういう経験を積み重ねてきたことで、常に最悪のパターンを想定しておくことが自分を守るという思考のクセがついている。

ここの紐解き方はまだ分からないけれど、これも私が「〜すべき思考」とお別れしたのと同じように、きっと思考を変えていく方法があるんだろうな。
まだそこまでは調べ切れていない。

今回は「結論の飛躍」が生まれ持ったものではなく、認知の歪みというこれまで蓄積された経験からの思考の一種であるというところにたどり着いたところが収穫。

思考のクセというやつは、一旦乗り越えたように見えてもまた別の形で、自分にのしかかってくる。

この歪んだクセは、ひとつひとつしらみつぶしのように無くしていくのか、はたまた根本から変えなければ、無くならないのか。

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