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こんな生活していると頭がおかしくなるよ、という日記。

まずはじめに。

こんなご時世で頭の中がごちゃごちゃし過ぎて始めたnote。

これまで書いてきたnoteは、頭の中にある吐き出したいものがテーマとして括れる雰囲気だったので、タイトルも一応内容に沿ったものをなんとなく決めて、

どこにいるかも分からない、もしかしたら読むかもしれない人を無意識の中で意識していたなあ、と思う。

だけど、最近はいろんな方向からもう頭の中がごちゃごちゃ。
テーマとかもはやない。別に決めたつもりもないマイルールに何故か縛られて、頭の中のごちゃごちゃが溜まってるけど、テーマが括れないから書いてはいけないような気がして。

そんな状況が続いていたもんで、頭と心がちょっとおかしくなってきた。

やっと、「ああ、別に誰が読むでもないだろうし、日記でいいのか。」ということにようやく気付き、今に至ります。

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完全在宅勤務になった3月からまもなく丸5ヶ月が経過して、8月にはついにこの生活も半年を迎えようとしている。

数年前に鬱になった時、ただただ引きこもって一日中寝ていたことを思い出す。

今は週に4日程の仕事はしているけど、家からほぼ出ないという点では昔と似たような生活だ。

この約半年で生活スタイルが変わった人もいれば、考え方や価値観が変わった人は本当に多いだろう。
とにかくいろんな出来事に敏感になっている人が多いように感じるし、私自身がまさにその一人。

とにかく人の死に関わる情報に敏感。

テラスハウスの件に始まり、中学生の頃から知っている有名な俳優さんの件、ALS患者さんの嘱託殺人事件。

誰一人として、身近な人間ではないのに、人間の死というものはこんなにもズシッと重いものが心にのしかかる。
気持ちの悪い感覚が頭と心にへばりつく。

私はなんで生きているんだろうか。
毎日外にも出ず、一応仕事と呼ばれる作業はしているけれど、役に立っているんだかどうなんだか。
ベランダから飛び降りたら死ぬのだろうか。最初に見つけた人はトラウマになるだろうな。

世の中で起こるいろんな情報に揺さぶられて、でも私は困っている人たちのなんの役にも立てなくて。ただその出来事を知っているだけで何の行動も起こさない。

「目の前のことをただやればいい」
よく聞く言葉。私の目の前にはパソコンとスマホとテレビの画面だけです。

画面越しの出来事ばかりで、自分の目で実態を見ることのない世界で日々生きている。

オンラインで誰とでも繋がれる時代。
誰とでも話せる時代だけど、私は別に誰とも話さない。そんな風に話す人はいない。

多分、これが要因なのだろうな。
自分でしか考えないから自分の考えの中でしか物事が回らない。

他者とのコミュニティは生きる上で絶対必要ですね。
それも、ひとつではなくて複数あった方がいい。ひとつだと、そこが世界になるから。逃げ場がなくなる。
きっと私に必要なものだろうなあ、と思うけど、これも行動を起こさないから、思うだけ。

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大人になったら、肩書を持つ何者かになると思ってた。
"医者" とか "作家" とか "保育士" とか
職業に肩書きがあって、その肩書きひとつで、なんとなくその人の生活が想像できるような人になるものだと思ってた。

それが生き甲斐になるんだろうな、とも思ってた。

だけど、今の私には何者の肩書もない。

それなら、肩書きを手に入れたら生き甲斐になるのかと言ったら、私が肩書きを手に入れたところで生き生きとしているかと言ったら、そうではないだろうな。

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1ヶ月も経てば、何か今の心境は変わるだろうか。
コロナの状況は1ヶ月じゃ変わらないだろうけど。

この文章の中で一番言いたいことは、中盤でも書いた

『全てが画面越しの世界で、且つ、誰とも直接繋がらずに自分の考えだけで生きていると、本当におかしくなるよ』ということ。
コロナにかからない・移さないために在宅で仕事をしているから、体は多分健康なんだろうけど、この生活は心が不健康になります。

おわり


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