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帰国子女の独り言 日本の教育、英語圏の教育の違い コピペ or クリティカルシンキング



わたしは帰国子女。 英語圏の大学を卒業した。

当初、外国の大学の勉強法に多いなるショックを受けてとても戸惑った。

ちなみに、偏差値70前後の都内の高校を卒業した後に海外へ。

だから、日本では一応優秀と呼ばれる学習のレベルだったんだけど、、、、、、

何がどう違うって!

日本の学校教育は、コピー、転写がうまい人が点数を上げられる。
ただ、それだけ。
自分の考え方を構築して、それを述べるという訓練を残念ながら、都内の高校では学ぶことができなかったし、そのような訓練は一切なかったと思う。まあ、私は劣等生グループだったのではなっから誰も私に意見を求めることもなかったけど。マークシートに答えを塗りつぶすだけで、そこでは論理的な思考力や自分の言葉で物事を表現するという授業はなかった。


外国の大学ではエッセイ(小論文)と呼ばれる課題がよくあった。日本の大学に行ってないので日本の友人から大学のレポート提出なんて言葉をよく聞いたので内容が近いものなのかどうかよくわからないけど。

英語圏の私の行った大学はオックスフォード大学系の学習法だったと思う。

課題は、

クリティカル(Critical)にこの事案について述べよ!というのが多かった。


これがカルチャーショックの一番! 日本では「批判的精神」は歓迎されにいくい。しないのが、いい子の定番。

辞書を引くとCritical という言葉は「批判」とでてくる。

ある哲学者の~~~について批判的に述べよとはどういう意味?
ええ?そんな偉い哲学者のいうことを、こんな一介のボンクラ学生が批判していいんですかあああ?




大学時代、何十部ものエッセイを書いたけど、クリティカルに述べよ!という課題がほとんどだったと記憶している。

つまり、たとえどんだけ偉そうな人が提唱した説であっても、結局、
で、アンタはこれについてどう思うの?自分の考えはどうなの?
どの程度、この説を理解して、どの点で同意して、どの点で反対だと思うの?心象でなくって、ちゃんと論理的に正当な反論をしてみ?できるぅ?
反論するには、まずは説をちゃあああんと理解してなきゃできんだろう。


という訓練を何度もさせられた。

この学習のおかげかどうかはわからないが、帰国後就職した外資系企業のお偉いさんにはたいへんにウケがよかった。反対に日本の優秀な大学卒でも、従順に上司のいうことだけを訊いていた社員の評価は外国人ボスからは理解されず、双方、ストレスをため込む姿を見てきた。決して日本人社員が無能なのではなく、従順に上席に従うことが良い社員だと信じて行動しているのだが、外国人のボスからしてみたら無能だから意見を一切出せない人と思われてしまったようだ。

でもって、Critical thinking という習慣のない日本企業ではコピペがうまい人が重宝される姿もみてきた。

また、ついつい、癖でCriticalな視点で日本人と話しをすると
「攻撃だーー」と怒りだすのが日本人なので、こちらの意図しない怒りを先方から買ってしまうことも多々あり。
こちらの意図は、その課題についてもっと深めた議論をしたいというものだったが、日本人には「批判的思考」というものが定着していないようなので、少しでも別視点で意見を述べると否定されたと感情的になる人が多くて、今度は、逆カルチャーショックに悩まされた。

Critical / 批判的 という訳語がちょっと問題かもだが、多角的視点で課題について論じあいましょうという習慣が日本人には少ないのかなと思う。

そして、ワタシとしては非常に気持ち悪いなああと思うのが、
どっかから仕入れてきた「知識」を〇コピーして、それがあたかも自分の意見かのように語ることに躊躇のない人々が頭がいい人と認識されていること。それって?コピー機?っと私は思ってしまうが、日本社会は、忠実にトップのコピーをすることが秩序だったりするので、自分の意見を持つ!という極めて人間としての当たりまえの権利が行使されずらい暗黙のルールが存在して、互いにけん制しあっているようにみえるんだな。


でもね、
そろそろ、自分の意見に自信が持てる日本人を育てていかなきゃね。
なんでもかんでも、多勢の真似していれば安全という神話を崩壊させる時期なんじゃないのかな?








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