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ちぎり【短編小説】

※2,170字数。
 本作品はフィクションです。


 ーあたし、アイドルになるからもう会えない。元恋人のマナは3年前そんな風に別れを告げて僕の元を去った。いつもよりも仲睦まじく地元の文化会館で成人式に参加した帰路の途中だったから、今でもその時の光景は鮮明に覚えている。
 「でも、30歳になったら必ず迎えに行くから」マナの青々しい後ろ姿に向かって僕は声を振り絞った。たぶん、聞こえていなかったかもしれないけれど。
 僕はあれから大学を卒業して今年入社3年目になった。マナの事はもう忘れようと仕事に没頭すると決めた。風の便りで彼女は『ジェラシーフルーツ』というアイドルグループで活動していると聞いた。ひどく怪しげな名前だが、マナは悪い大人たちのレールに乗ってはいないだろうか。
 僕は1時間ほどかけて毎日通勤している。毎朝あるイベントスペースで元気よく踊っている女の子達を見かける。最寄り駅から2駅を過ぎた高架上から見える河川敷のスペースだ。電車は特急だから速すぎてよく見えないのと、やたら高所から見下ろすために姿形がはっきり見えない。見える限りでは女の子たちが女子高生風の制服を着て踊りながら歌っているからアイドルグループか大学のサークルだろうか。素人の僕が見てもダンスはキレッキレだし、かすかに聴こえてくる声はその辺のアイドルとは一線を画していた。
 どうしても気になって仕方がなかった僕は日曜日に見に行くことにした。
 ネットで調べてみたら、早朝の6時から9時まで市役所からスペースを借りてレッスンをしているそうだ。
 間近で見る姿は可憐で美しかった。全員ハタチ前後だろうか、25歳の僕とそんなに年齢差は無いがキビキビとした一挙手一投足は見ていて爽快だった。
 私たちのエールはあなたの元気になる。夢を諦めないで! 
 普段アイドルソングは好んで聴かないが、アップテンポな曲に乗った声は聴き取りやすかった。観る者を感動させる不思議な力があった。僕以外にも20数人が熱心に聴き入っていた。
 歌い終わると彼女達はマイクを足元に置いて、綺麗に並べて整列した。10人はいただろうか、スタイルは整っているがお世辞にもアイドルとは言えない面々が並ぶ。
 「みなさん、はじめまして!」
 空からバチっと音でも鳴ったように、センター位置に屹立するアツコという少女は私が絶対的エースだと言わんばかりの勝ち気な表情だった。
 それに続くように、
 「私たち、『スマイルアンドスマイル』です!」他のメンバーが追っかけるようにこう言うとニッと白い歯を見せ、恐れを知らない笑顔を見せた。グループ名に劣らないのは御顔ではなく歯並びだったか。20数名のギャラリーはドッと湧いた。
 曲紹介を丁寧に行うことなく次の曲を歌い始めた。ギャラリーは1人2人とポツポツと増え始めた。いわば路上ライブみたいなものだから、雑に進行しても誰も文句は言えないのだろう。と言うより、いま一体何曲目なのだろう。
 先ほどよりも頬を赤らめて声を何オクターブも上げて歌う。見ているギャラリーも真剣な眼差しだ。
 ずっと君を見ているよ。私はあなたの優しさを絶対に忘れない。
 少し感傷的な歌詞に合わせて美しい声が切なく響き渡った。10人の生歌は全員これまでのアイドルにはない優美さを兼ね備えていた。
 彼女達は歌い終えた後、手に持ったマイクで話し始めた。
 「この曲は大切な人を想うバラードです」
 僕は思わずマナを思い出さずにはいられなかった。

 翌日の朝、テレビをつけると昨日生で見た風景が映っていた。再びあの美しい音色がブラウン管から聴こえてきた。『スマイルアンドスマイル=略してスマスマ』彼女達は知る人ぞ知る歌うまアイドルだったのだ。
 さらに驚くことにスマスマはマナが所属している『ジェラシーフルーツ』の妹分グループだった。略してジェラシー。つまり、25歳のマナは少しお姉さんの部類に入っているわけだ。
 ジェラシーは、スマスマと共に路上ライブを行うこともある。仲良し姉妹グループの触れ込みでこう紹介されていた。ジェラシー姉の映像も流れていたが、彼女たちは全員が美形だった。
僕は思わず固唾を飲む。向かって一番右端にテロップに【マナ】と名前があった。喜びと懐かしさは束の間、マナたち10人は全員水着姿で歌っていた。何という、あられもない姿・・・僕は思わず舐めていたトーストのジャムを吐き出した。
 「なんで、そんな格好をしている・・・」
 3年前の袴姿がどこかで間違えて水着姿に成り変わったようだった。到底受け入れられない現実だった。いくら姉分グループとはいえ、セクシーさを売りにしなければならないほどマナは困り果てているのか。まさか好き好んで服を脱がされたわけではないだろう。やっぱり悪い大人たちに騙されているのか。僕は懐疑的にならざるを得なかった。しかし、今のマナは僕のモノではない。ファンのイチ偶像に過ぎない。世間に晒される好奇の的だ。一旦はその思いを飲み込んだ。
ジェラシーは一ヶ月後に解散コンサートをするという。一番隅に立っていたマナは映像では大粒の涙を流していた。僕は胸を撫で下ろし、安堵なのか喜びなのか分からない涙を流した。これでもうマナが危険な目に遭わなくてすむ。もしかすると、マナは僕のもとに帰ってくるかもしれない。一縷の望みをかけた僕の想いは妄想の世界で暴発していた。

【続く】



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