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人生 難しいね! 色々考えました!

さあ
今日の夕飯 何するかな
仕事帰りの電車の中で考えて
簡単に丼ものかな
と 思いながら
冷凍庫から牛肉をだして
電子レンジでチン

と 思ってたら

ナント

電子レンジの中には
食器洗い用の
ピンクのスポンジが
中央に
鎮座ましましていた

なんてシュールなの⁉️

などと
感動に浸るわけにはいかない!

またもや 
認知症の母の始末

老老介護の中では
こうした
予想だにしない事がまま起きる

頭では理解しているが
現実的に直面すると
ストレスになる

何やってんのよー
やめてよー
危ないでしょ!

ホントだったら
言ってしまうところを
仕方ない
認知症 認知症
と 息を呑んでいる

これは
小さな小さなホコリが
少しづつ溜まっていく様に 
気がつくと大きな毛玉になっている

フー

疲れた

いつまで続くのだろう
この生活・・

老老介護が始まり
半年も経つと
疲れがでてきた

始めの頃は
言いたい事を言っていたが
認知症には
言っても仕方ないし

元々の母の頑固さなどが見えて
私の精神衛生上良くないと思い
聞きながしを決めた


疲れる・・

たまに

思わず切れてしまう

そして 落ち込む・・

言っても仕方ないのに
どうしてもたまらなくなる

そんな日々が続く中の
ピンクのスポンジ事件

もう母の留守番は無理だな
危険だなぁ
老人ホームに入れるしかないな・・
夫とも相談して方針を決めた

老老介護の期限が見えて
ホットする一方で
決めた事で私の緊張感が薄れ
これまでの息を呑むストレス感が増した

毎日
あと少し あと少し
自分に言い聞かせて
日々を過ごした


まるで試練の様な日々
神さまは私に何を学ぶ様に
こうした経験を与えているのだろうか

あらためて
私と母の関係を考えた

母子関係は
基本的な人間関係の基本になる

今までも
それは私にとっての大命題と思い
かなり意識してきた事
心理の臨床屋としては
当たり前だが

それでは足りなかったなと
あらためて思う日々だった・・


知り合いの精神科DRに
面接をお願いして
自分と向き合った

母自身
親からあまり可愛がられてはいない
厳しかったと よく言っていた

きっと
甘えたくとも
甘えられずにきたんだろう

だから
子どもが甘えてくるのは
いやだったのだと思う

私には
暖かな優しい母の愛を 
感じた思い出がない

その母が認知症になり
私に甘えてくる

私には その甘えは
受け入れられるものではなかった
いつも避ける様にさりげなくかわした
それでも
頑張って
良い子をやって1年

限界😵だった
もう自分に嘘は付けない

適度な距離があるから
仲良く出来る関係だったのに
同居など 
無理だったのだ


最後の晩
母は
「強制退去するのねー
  どこに行くの?」 
と 聞いてきた

違うよ!
お母さんは老人ホームに入るのよ!

今まで何度も説明してきた事

「アンタ達は何処に行くの?」
よくわからないようで
また母が聞く

「何処にもいかないよ
  ここは私の家よ
 お母さんがホームに入るのよ
 もしかして
 ここにいたいの?」
私が聞くと

そうね 慣れてきたしね
ダメなの?

私は何の動揺もなく
静かに
「無理だな」
と言うと
母は不思議そうに
「なんで?」

私は同じ様に静かに
「もう疲れたよ」
言うと 母は無言になり
以降何も言わなくなった

あの時 母は
認知症の頭で
何を思い感じたんだろうか?

今でも思う・・

ホーム入所の時も
あっさりしたお別れだった

施設のスタッフは感じが良かったので
安心して帰路に着いた

家に帰り
介護ベッドのあった空間を見た時

その大きさに
私の肩にズシンとあった重さを
あらためて思った

今回の私に与えられた試練は
私の人との間の
境界線の甘い引き方を
正す為の経験だったのかもしれない


でも
まだまだ 疲れが残っており
傷を負った武将が
戦いは終えたのに
鎧兜を脱げずに 本陣の椅子に
腰掛けている様な
そんな感じの日々

しばらくは
そんな気持ちで 
生きているんだろうなぁ

人生の厳しさ
感じる日々






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