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『水を縫う』を読んで


よく聞く言葉だけど
「普通って何だろう?」
「普通でいようとする必要性は
 どこにあるんだろう?」
そう思った。


男だから 女だから
子どもだから 大人だから
夫だから 妻だから

そういう名前のつく役割を得た以上、
その役割にふさわしい存在であろうと
たぶん努力しようとする人が多いと思う。

周りの人に認められたいし、
自分で自分のことを認めたいから。

”こんなに頑張っている”
”あなたのために努力している”
それをわかってほしいがために。


だけど、
周りからの見え方を気にすることとか
なんとなく正しくあろうとすることとかって、
本当に大切なことなんだろうかと考えさせられた。


何が好きで何が苦手で、
何になりたくてどんなふうに生きたくて、
どんなことを感じて考えて、

それらには「普通」も「正解」もない。

人と違うことには、むしろ価値がある。



何が普通かって考えるのはやめて、
自分の「好き」も「なりたい」も「得意」も
ちゃんと大切に持っていたいと思ったし、


誰かの「好き」も「なりたい」も「得意」も
ちゃんと大切にできる
広いものの見方や考え方ができる
人間でありたいと思った。



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