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母の想いと看護師娘の経験から伝える♯1自覚症状があったとは。

母のがん治療について、母の想いと娘で看護師の私が経験した、患者の家族としての行動や気持ち、時々看護師としての考えについて書いていきます。

はじめに


母は6年前、がんで亡くなりました。
生前、母は闘病記を書きたいけれど、うまく書く自身がないので、私に闘病記を書いて欲しいと話していました。
その時の私は、闘病記を書いてみたいと思っても、どこに何を何から書いていいのか分からない状態でした。
noteを始めたことで、自分の経験や想いを書きだすことができると思うようになりました。
母が書きたいと言っていた「闘病記」を書いてみようと。

母は、抗がん剤治療と再発を何度も繰り返していました。
再発しても、「なるようにしかならない。やるしかない」と、前向きで、いつも笑っていました。
母は自分の行動や思いを残したかったのかもしれません。
母自身が悩んだり迷ったりすることもありました。
他の人も同じように困っているのなら、解決にはならないかもしれないけれど、あなただけではないと伝えたかったのかもしれない。
そんな母の想いと、看護師である娘の私が経験した、患者の家族としての行動や気持ち、時に看護師としての考えについて、書いていきたいと思います。

1.自覚症状があったと知らなかった

「話があるので、都合のいい時に電話ください」
2013年4月初旬、職場での昼休み中、携帯電話に実家の母から、メールが届いていた。

どんな話があるのか気になり、すぐに母に連絡した。
「この間、婦人科で検査を受けた結果が出て、子宮がんだってさ。これからの事とか治療の相談があるんだけど、抗がん剤とか話が難しそうだから、一緒に聞いて欲しいんだけど、いつ来れる?」ということだった。

全く予想もしていなかった。
ただ、普段は私の仕事を考えて、緊急以外は私の仕事中に連絡をくれる人ではなかったので、なにか良くないことが起きているとは思った。
だが、母ががんだとは想像もしていなかった。
私は、少しでも早く、医師から話を聞きたいと思い、翌週実家に帰り一緒に病院へ行って医師からお話を聞くことを約束した。

「がん」イコール「死の病」ではない。
治療法や薬もどんどん開発されて、生存率も上がっている。
それでも、私の気持ちを覆ったのは、これから母が抗がん剤治療などに立ち向かっていけるのか、その時私はどんな風に支えられるのか、そして親はいつまでも元気ではないという現実を突きつけられた感じがした。

私は仕事が終わり、自宅に戻ってから、もう一度実家に電話をして、詳しく話を聞いた。
母はその年の2月頃から、不正出血があったようだ。
不正出血は、ホルモン異常や腫瘍などが原因で起こる。

いつもだったら、私が看護師であるということで、あっちが痛い、こっちが痛いと電話をかけてきて、健康相談をしていた。
それなのに、今回の症状に関しては、全く話してこなかった。
いつも、私は医者じゃないから分からないと、冷たくあしらっていたことを反省した。
しかし、母の想いは私の想像と違っていた。
「受験で、大変な時に私の体調のことを相談するのも悪いと思って。がん検診を受けた結果が来たけど、入学のおめでたい時にそんな話をするのも悪いと思って」と、遠慮していたとのことだった。
ちょうど、その年は私の娘、母からすると孫の高校受験・入学の年だった。
自覚症状がでた2月頃は、ちょうど受験を控えている時期だ。
母とは、合格を知らせたり、入学式が済んだなど何度も電話で話していた。
病院を受診したことなど一言も聞いていなかった。

私は、子供の受験が終わるまでの大変さや入学までのことなど、自分のことばかり話していた。
母は孫の受験の大変さやそれを支える母親としての私のことを心配し、自分の体調のことで、私たち家族に心配や負担をかけたり、おめでたいムードを壊したくないと思い、ずっと黙っていたようだ。
水臭いと思いながらも、母の優しさを感じ、母にとってはいくつになっても、私はいつまでも子供なんだと思った。

母と病院に行く時間などを確認し、電話を切った。
電話を切ってから、母が定期的にがん検診を受けていなかったことを思い出した。
私は、定期的に子宮がん・乳がんのがん検診を受けている。
看護師という職業柄、がん検診で早期にがんを発見することで、治療も早期に開始できると実感しているからだ。

友人たちにもがん検診はすすめているのに、
なぜか、母には強くすすめていなかったことを後悔した。
いまさら悔やんでも遅かった。

それから、私はがん検診を受けるか迷っている人や同僚にも検診をすすめている。そして、お母さんにもすすめた方がいいよと付け加えている。

つづく








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