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教養を知らずに死んでいく毒親は放っておいて、私の代から教養はじめましょう。

 基本的に毒親に「教養」は存在しないだろう。
いや、「教育虐待」を忘れてはいけない。
子に過度な勉強を強要し、血ナマコになり受験させる親。
でも「教養」はテストや受験ではないはずだ。

 池上彰は自身の著書の中で、教養について「社会に出たあとで、じわじわ役に立ってくること。これがリベラルアーツ。リベラルアーツは人を自由にする学問。自分で学び続け、ものを自分で考えていく力」という文があった。
きっと教養がある人からしたら当たり前なことなのだろう。
 だが私は「これが頭を殴られた感覚というやつなんだろうな」とぼんやり思ってしまった。
本当に恥ずかしい。
 「教養=お金持ちの人がやること」という認識だったのだ。
音楽、美術、歴史、そういったものはお金持ちの立派な親によって得られるものだと。
なんなら、悪口として「意識高い」という言葉で終わらせていたかもしれない。
英語の授業でネイティブな英語の発音をすると笑い声が湧く、あの低俗と同じだ。
アメリカに住む大学生は、当然のように教養の大切さを知っている。
本当に恥ずかしい。
30歳になったのに、、、。
 教養は親から離れた後からでも、何歳からでも学べることだ。
なのにその本質も知らず、興味も示さず、親のせいにしている。
こんな情けないことはない。

 親のせいにしてはいけない。
いけないのだが、、、。
私の祖母と父へ感じた違和感を思い出す。

 小学高学年の時、私は祖母に「ピアノを習いたい」と言った。
なぜだかあの時の私はどうしても「エリーゼのために」が弾きたかった。
両手で弾けるようになりたかった。
 祖母は習わせてくれなかった。
だからピアノを習っている友達の家に、私は入り浸った。
楽譜を貸してもらい、ピアノを触らせてもらった。

 2年程前に祖母の家に行った。
窓際に、ピアノのオブジェのようなものがあった。
それを指差し、祖母は「これ、あなたにあげるつもりなのよ。あなた、小学生の時ピアノを習いたいって言ってたでしょ。数万円したのよ」

いらない。と即答した。
「私の話しや意見を聞いてくれる人は存在しないのだ」という気持ちや、ピアノを習わせてくれる親をもつ友人からの同情心を仰いだ時の、あの感情をなかったことにはできなかった。
これを貰うことは、小学生の時の私に申し訳ない。
だって、そんなどうでもいいオブジェを今になってくれるぐらいなら、小学生の時にピアノを習わせればよかったではないか。
 塾は習わせていたじゃないか。
テレビで見た「英語が大切」に煽られて、勝手に英会話教室の契約に祖母1人で済ませて、私を行かせたじゃないか。「あなたの将来のため」と、ありきたりな毒な台詞を吐いて。
なぜ私が「やりたい」と言った最初で最後の習い事は習わせてくれなかったのだろうか。

 父はよく「本を読め」と言っていた気がする。
だが父が本を読んでいる姿を見たことがない。
家に本は十冊もなかったと思う。
 「親のオレから、何かを学ぶことは難しいことなんだぞ」と言われたことがある。
当時の私は返す言葉が思いつかなかった。
親になった今なら分かる。
なんて気持ちの悪い親なんだ!人間なんだ!団塊ジュニア世代なんだ!
どう生きてきたらそんな台詞を吐けるのだ。
普段から、自分より年齢や学歴が下の人に対してそう思っているのだろう。
どうやったらそこまで自分を高尚な人間に仕立て上げられるのだろうか。
父に教養はなかった。
祖母にもなかった。
私もない。
教養とは何か。すら理解できていなかった。
 私はこのまま教養がないまま生きることは恥ずかしいことだと思った。
今から教養をつけることは遅いことだが、無意味ではないと思った。
人生においてじわじわ効いてくるのなら、なおさら。
だって多分、私の人生はあと何十年かはあるはずだから。
何より、子どもと一緒に学んでいけるだろう。


恥ずかしながら、自然や映画が教養の一部になり得るという認識すらできていなかった。

 父と出かけた記憶はほぼない。
母が生きていて私が保育園の頃までは、キャンプや海に行っていたらしい。
父は、「ディズニーに連れていってやったのに覚えてないのか」と自慢げに、やってあげたのに、と言っていた。
悪いがその時の記憶はない。
 私の記憶にあるのはラーメン屋ぐらい。
いや、一度だけ車で2時間ぐらいの場所に一泊旅行した。
父と私達兄弟と祖父母と、フェリーに乗った。
 その頃はほぼ祖母が私達孫の世話をしていた。
私達の育児で祖母はストレスが溜まっていた。
祖母がしつこく「私を労え」とごねて、父は渋々旅行の計画を立てた。
 近くに海があったのに海には入らず、ホテルの中のプールに入ってホテルのご飯を食べて帰った。
それだけだった。
たったそれだけだったのに、あの日の私は凄く心が躍ってしまっていた。
違う土地の土を踏むことが嬉しかった。
見慣れない景色を全て視界に入れようと、一生懸命に目を見開いていた。
今思うと、あんな渋々嫌々で手抜きをした、大人が子どもを楽しませようという考えも微塵も感じない旅行、楽しめなかったと言っても誰も責めないだろう。
 それなのに、あの日のフェリーからの海を、白波を、真っ青な空を見て、泣きたくなるような気持ちを私は覚えている。
自然に包まれている清々しさが最高だった。
これだけ印象に残してしまっていることが、悔しいような、悲しいような気分だ。

 私は自然に対する憧れが強かった。
早く大人になりたい。大人になれば自分の力で、どこかに行ける。遠くへ行きたいという憧れも強かった。
学年が上がるにつれて、学校行事でバスや電車に乗るようになる。
その窓から見える、木や影がキラキラしてて。
トンネルの合間に見れる自然の景色を、一生懸命になって見逃すまいとしていた。
友達と何をしたとかは思い出せなくても、あの自然に対する憧れの感情は思い出せる。
 あの時、私は確実に自然によって感性を磨いていたはずだ。


 映画に対しても勿体ない認識をしていた。
映画はだたの娯楽。だと。
あの映画の後の浸る最高の時間を、ただの娯楽と捉えていたことが勿体ない。

 学生時代、「華麗なるギャッツビー」を当時付き合っていた彼氏と観に行った。
字幕で見た。
俳優さんの話し方や声が綺麗だと思った。英語を聞く習慣がないからかもしれないが。
恋とか愛とか見栄といった、なんとなく派手な映画なのかなと思って見ていた。だが終盤になって完璧のように見えていた男が、自分を完全に否定し洗脳していても結局、自分の出生への負い目のような感情を抑え切ることができず、溢れて出てしまったシーンに圧倒された。
全然、派手なだけの映画じゃなかった。後味がいいものでもなかった。でも全て見終わった後、面白かったと私は思った。
 映画が終わった後の余韻が残っている流れで、彼氏に「どうだった?」と聞いた。
彼氏は「よく分からなかった」と。
シーンの意味が分からなかったとかではなく、映画全体の内容が意味分からなかったそうだ。
登場人物の名前もぼんやりとしていたようだった。
寝ていたのかな?
私は興醒めた。
そう言われたら、もう私は何も言えないじゃないか。
面白いとも面白くなかったとも、なんの会話もできないじゃないか。
これなら、1人で観て1人で余韻に浸り、1人であれこれ考えたかった。
 そうだ。あの時の私は誰かに湧き上がった感情を言いたかったし、共有したかったし、相手の目にはどう見えたか知りたかったのだ。

 逆に親友と「グレイテストショーマン」を観た時は、2人で何度も泣いていた。
人の戦う姿勢に私達は泣いていた。
人生、愚痴ってる暇ないねって結論になった。
余韻もたっぷり、帰りの車で語りに語り尽くし、最高の夜だった。
その時、少しも腹の裏を意識せずに誰かと語りあう事を楽しんだ。
自分の中だけで完結させず、他人とディスカッションする楽しさを噛み締めた。
人格の否定をし合うことがディスカッションではなかったはずだ。
自分が何を思うかは自由なはずだった。
余計な制限にとりつかれず楽に生きて良いと、若くして気がつきたかったものだ。


 ジブリの「君たちはどう生きるか」は夫と行ったが、2回目は1人で行かせてもらった。
やっぱりジブリは1人で浸りたい。
不気味さ、この描写はなんだ?この主人公は何を考えている?なぜこの行動をとった?何を宮崎駿は表したかった?このシーンをなぜつくった?
宮崎駿に「これくらいの教養なく、俺の映画を真に楽しめると思うなよ」と言われている気もした。
 「ハウルの動く城」は容易に物語にのめり込めるが「君たちはどう生きるか」は私には結構分からない部分が多く、物語りにのめり込むというより、思考にのめり込んで観ていた。
でも、それはそれで楽しんでいた。
何より、1人で観ることが最高だった。
そうだった。私は思考に潜り込むことが好きだったはずだ。
映画や小説で、その世界に容易に溶け込める。
自分で考えるということは、自分を知っていくことに繋がっていく。
それに気がついていたのなら、大人になってからの自分の棚卸しに時間をかけずに済んだかもしれない。



 映画は、私にとってただ眺めているだけのものではなかったはずだ。
映画の後の余韻に従い、あれこれと考える。
それを人に言う。他の人の言葉を聞く。そしてまた考える。
 これらは十分、ものを自分で考える力を育てるための教材だった。
当たり前のことだ。
でもこれを認識しているかしていないかで、色々変わってくる。
 映画に時間を使うことを惜しまず、観終わった後の時間と頭の使い方を雑にしないし、子どもとの会話だってきっと違ってくるはずだ。
「面白かったね〜」の一言では絶対に終わらないはずだ。
その先が待っているはずだ。
そして映画を観る2時間を勉強に使わないことへの罪悪感を、微塵も感じる必要はないのだ。
だってただの娯楽なんかじゃないから。




私の代からは「教養」への認識を持ちたい。
毒親DNAに抗いたい。
断ちたい。
入れ替えたいぐらいだ。
生き直したいが、そんなことができたら皆苦労して生きちゃいないだろう。
毒親連鎖を終わらせるのは、本当に大きなパワーが必要だ。
自分を甘やかした途端、本質を見失った瞬間、自分の毒親と同じ舞台に引きずり落ちることになる。
本当に簡単に落ちれるのだ。
無意識に落ちることが一番怖い。
私が下を覗くと、父と祖母がこちらを見上げ、じっと見ている。
私が落ちるのを待っている。
「自分達が正しかった」と言う準備をしている。
DNAなんて、ただの呪いだ。
私はそこに落ちる気はない。
足を組み、してやった顔で、ニヤケ顔で、幸せそうな最高な顔で、お前等を眺めていたい。

いやいや、相手にしてどうする。
それはもう、同じ舞台に落ちたと同義になってしまうぞ。

空を仰ぎ、鼻歌でも歌っていよう。下を向く私ではないからだ。







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