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女性部下を「相撲取り」と呼ぶハラスメント毒父に、正義を振りかざしてみた


 Voicy(音声配信)にて50歳代以上男性の話しを聞く機会が増えました。
父も50代。
でも何か違う。
何か、というより何もかも違うように見える。
同じ人間は存在しないことも、個性の時代というのも承知だ。
50代というざっくりした大枠で人を捉えるのも何か違う気もする。
それでも、私の中で「父と同じ時代を生きてきた人で、こんな人達が存在するのか…」と感銘を受けてしまうのだ。
同時に父を見る度、いや、これが現実なのか。と私はがっかりするのだ。


 父がある日、
「部下に、めちゃくちゃ太ってる奴がいてな。俺は“相撲取り”って呼んでる」
軽く聞いていたが、どうやら若い女性社員の方らしい。
私はもう反射的に「それセクハラじゃないの?」とイラつきを感じながら、返事をした。いや、パーソナルハラスメントか。
こういうワードに私が過剰に反応しすぎなのかもしれない。
そう自覚していても苛つきは込み上がってくる。
「本人は気にしてない。笑ってる」
「いや、上司のお父さんの言葉だから、笑って誤魔化してるんじゃないの?本心か分からないじゃないか」
「今の時代って、本当にすぐセクハラって言われるからな〜。若いヤツがよく、気をつけたほうがいいですよーって言ってくるんだよな〜」
「…。」
このようなやり取りが何度かあった。
いつものことだ。
私の質問に何も答えていない。そのことに気がついていない父。
結局最後は「〜な時代がなんちゃら」「俺の時代だったら〜」で終わらされることに本当に憤りを感じるのだ。
暖簾に腕押し。とはこのことだ。
 私も相手に、何に対して疑問を感じ意見を言いたいのか、しっかり言語化できず上手く伝えられていないのも問題だ。そんなことは分かっている。
 容姿に対して過剰になりすぎる方が逆に辛いという人もいる。
私の夫は目が細いのだが、それを夫本人はは全く気にしておらず、なんなら自虐ネタにしてゲラゲラ笑っている。

 それでも私は太っていた時期は周りの目が怖かったし、体型について言われたら傷ついた。
容姿のコンプレックスというものは、自分を嫌いになるには十分な理由になりえると、私はそう思っている。

 夫はとても年上の人の扱い(?)が上手い。年上によく好かれる。
だから父は夫がいると機嫌が良く、饒舌になる。
 私と父が2人の時、会話は最小限になる。会話のキャッチボールができないとまでは言わないが、基本的に目を合わせて会話はしていない。
 父は夫に対して、“職場の可愛い部下”に接する態度だと思う。
 基本的に私は、2人の会話を黙って聞いている。父は多分気がついていない。
父よ、あんた何回同じ話するんだよ。なんなら4回目ぐらいだと思う。
そして夫はあなたが気持ちよくなるように会話を運んでいるということに、気がついているか?
話の流れ的に夫が話すターンなのに、自分の話にすり替える。
 あなたの部下はきっと、物凄くあなたと会話をする時は気を遣っている。きっと父はそのことに気がついていないのだろうな。
気を遣われているといっても、とても情けない方向にだ。
腫れ物を扱うのと同じだ。


 夫に疲れないか?と聞いたことがある。
「俺、下っ端サラリーマン歴長いからね〜。職場のあの年代の人ってみんな同じだよ。同じように対応して、同じ反応される。上げるけどやり過ぎず、若い時のやんちゃを適度にイジると嬉しそう。もう息するようにやってるよね。逆に楽だよ〜」
 夫も大概だ。いい人では決してない。が、こうやって20歳も年齢の低い相手に、内心腫れ物のように扱われ、馬鹿にされている。
会話の相手として選んでいないのだ。
 そして父は、自分は年下に尊敬されていると思い込んでいる。
自分は立派な人間だと、価値の高い人間だとも思っているのだろう。
それが全て勘違いだと気がつかず、生きていく。

こわいこわいこわい。
何だそれ。こんなに怖いことってある?自分が父と同じ年齢になった時、そうなっていたらと想像したら…



 夫は団塊ジュニア世代の父のような人に、自分のことを言わない。
ましてや自分の本心や意見を言ったりしない。どうせ理解されないし話を最後まで聞けないし、結局自分の話をし始めるんでしょ。って思っているのだ。
 会話の対象外なのだ。
若者は団塊ジュニア世代の人に本心を見せない。
それが「今の若者は何を考えているのか分からん」の拍車をかけているのではないだろうか。
 会話の対象外って寂しすぎませんか?私は無口・クールと言われることもありますが、全くもってそうではありません。
人と会話を交わすのは楽しいことだと思っています。
特に意見を言い合う・その意見を深堀りしていくのはワクワクします。
またその思考をもつようになったきっかけを探したり、根本にあるものが見えたりしたら、それはとても美しいと感じる。
 フィルターや制限がかかって、形だけで中身のない定型文のような会話をするのは本当に苦手ですし下手くそです。
自分も嘘をつくからです。
 いや、嘘は言い過ぎかもしれません。そこは上手くやってます。20代前半までは“事実や本心2割”というのは多かった気がします。嘘は言ってないよ?でも本心じゃないけどね。っていったところです。
 しかしそういうことをしてしまった後は大抵、自分の口が腐っていくような感覚に陥ります。
勝手にです。
相手が何かした訳ではなくこれは完全に私の問題です。
 でもこの口が腐っていく感覚を味わう度に、「こんな感覚を感じるくらいなら人と会話をしたくない」と思ってしまっていました。
腐る感覚を強く感じた時の代表例を思い出しました。



 看護師1年目。夜勤で仮眠なしの12時間勤務。+2時間残業。
その残り僅かな体力・気力の時に限って、係長(看護婦長の一つ下の位。父と同じ年代)と休憩室で2人きりに。
すぐにでも家に帰りベッドに飛び込みたい。
 だがその係長は自分の話をするのが大好きな人でした。
その上その部署では代表的なお局でした。
 ナースステーション内で新人の失敗談を大声で笑いながらするし、私も2年目盛大にやられました(これは別日に詳しく…)。
お気に入りの男性医師が来たら横のパソコンに座り、猫のような声になります。
夫と昨日喧嘩した理由が、そのお気に入り医師との不倫を疑われてるから。と嬉しそうに話していました。
 新人の時の私は、この係長と話をする時はいつも緊張していました。
この人の話は決して面白くもないし、私の理解の外にいる人でした。
人とすら認識できてなかったかもしれません。
 緊張に加え疲労しきった頭を叩き起こし、この係長が気持ちよくなる言葉を探しまくった。
「わあ!凄いですね。〇〇さんの時代って本当に大変だったんですね。お子さんと仲いいですね。旦那さん、それだけ〇〇さんを大事に思っているんですね!」そういった言葉を並べまくった記憶です。
もう中身0ですよ。
 でも係長は私が中身0発言していることに気がついているのかいないのか分かりませんが、とめどなく自分の話をし続けました。
「あの人は結婚・出産遅かったけど私は10年も早かった。子育てが早く終わった方がその後に遊べるから絶対私みたいに早いほうがいいよ!」若者にアドバイスしているように見せかけた、自分の同年代に向けたマウント発言?もしていました。
 私は係長の話を聞きながら寝てしまわないようにするのでもう必死。
手の甲に爪を立てながら話を聞いていました。
 結局1時間以上、係長の話を聞き続けていました。

 家に帰ったらもう昼の12時です。
「ああ、私は何をしているんだ。また腐っていく。私の口はなんのためにあるんだろう」
別に付き合わなきゃいいんです。
 あんな自分の話しかできず、意見を言い合う楽しさも分からない人間なんか相手にしなきゃいいんです。
 今ならそう思えますが、あの時の21歳の自分は、虚無感や罪悪感のような感情が溢れ出て、死んだ目でベッドに横になりました。
ちっさい人間ってこういう時に言うのかなー。とか考えながら眠りに落ちました。



 この出来事を思い出したら、私も夫のことを非難できないと気が付きました。
 私も同じことをしている。
相手に本心をみせず、相手が気持ちよくなる言葉を浴びせる。
腫れ物を扱うように接し、違う意見なのに同調しているフリを見せ、会話の対象として見ていない。内心馬鹿にしていたのだ。
 あの日、私は係長に搾取されたのかもしれないが、私も彼女を馬鹿にしていたのだから、ある意味お互い様なのかもしれない。
 中身のない会話をすることは相手のせいだけではないらしい。と最近思うようになった。

 会話の対象にしないというスタンツだから、父の世代(勿論一部の人)に伝わらないんだ。
 そう思い立ち、私は父に本心の一部を言ってみようと思いました。
今思えばですが、正義を振りかざしてみようと思い立ったのです。


「その人は体型を言われることを気にしていなかったとして、周りの似たような体型の人は気にしていて、言われることを嫌だと感じている人もいるかもしれない。その人達への配慮はしないの?」と聞いてみた。
 私にとっては、これは大きな一歩なんです。
たかが一言。
しかし私から父に、このような一言を付け加えることは今までなかったんです。
多分、少しの勇気でした。



父から帰ってきた言葉は、


「いじらないと可哀想だろうが。そいつらにとっては救いだろ?」



もうさ、話になんねーよ。





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