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乳児院、養護施設、暴力、刃。「僕、運がいいんです」/四

四話目のインタビュー記事です。
建城(タテキ)さんは、生後5ヶ月で乳児院に入り、その後16年間児童養護施設で過ごした。定時制高校の卒業前にして母親との同居を決める。最初は喜んでいた母親も、彼がもう親の思い通りになるような年齢ではないことに気が付かず、認められず、彼に暴力を振り始める。その後彼に何の相談もなく、母親は同僚の年下男と再婚した。そしてこの再婚相手も彼に暴力を振るうようになる。彼は誰にも相談せず、戦わなくてもよい問題だと割り切り、一人で耐えていた。しかし耐えていればいいで済まない出来事が起きた。


一話目↓

二話目↓

三話目↓





卑小愚鈍な大人によって、彼の人生が終わっていたかもしれなかった


 建城(タテキ)さんはその日、体調が悪く布団で寝ていた。
母親が「ずっとあいつ寝込んでるんだよねー」的なことを年下男に言ったようだ。
その後、母は仕事に行った。


 彼は布団にくるまり、横になっている。
彼が寝ている部屋のドアが、ガチャっと開く音が聞こえた。
年下男が部屋に入ってきたみたいだ。
「なんで学校に行かないで寝てるんだ。学校行けよ」
という年下男の声が聞こえた。
「体調悪いんだけど」
と布団に入った状態のまま彼は答えた。
その直後、
ドンッ
と音が聞こえた。
音がした方を見ると、自分のお腹のあたりに包丁が刺さっていた。

建城さん:「さすがに、あの時は死んだと思った」

彼は反射的に布団から飛び出した。
細かいことは覚えていない。
スマホを持って家の外に走り出していた。
追いかけてきているか、確認する余裕もなかった。
最寄り駅まで全力で走った。
スマホ決算で駅のホームに入る。
たまたま布団のおかげで位置がずれたのか、自分の体に刃は触れていなかった。

駅のホームで一呼吸して自分を落ち着かせる。
年下男が追いかけてきてないことを確認し、友人に「助けて」と電話した。




 学校の先生にも相談した。
警察は呼ばなかった。呼びたくなかったそうだ。
もう卒業間近だったから、ことを大きくしたくなかった。
なにより、もう母親と年下男に関わりたくなかった。ただただ縁を切りたい一心だったようだ。
 毎日学校に連絡して安否確認をする約束の元、友人の家に泊まったり、カラオケから学校に通う許可が降りた。

 母親は家に帰ってこない建城さんに、特に何も言ってこなかった。
友達の家に遊びに行ってるぐらいに思ってたみたいだ。
自分の再婚した男が、息子に包丁を向けた事を知らないらしい。


 もし年下男は、彼を脅す程度の気持ちで包丁を刺したのだとしたら、足元とか、顔の横に刺すだろう。
本気で刺そうと思っていたのだろうか。



 高校卒業の一ヶ月前、引っ越しの日になった。
建城さんはシェアハウスに、母の旧友もいる時間に荷物を取りに行った。
旧友に「お世話になりました」と言うと、「いってらっしゃい。いつか飲みにいこうね」と優しく送り出してくれた。

田淵:「母親とその男は何か言ってました?」
建城さん:「いや、顔は合わせたけど、全く会話はなかった」
田淵:「その男は、罪悪感とか、そういった表情でした?」
建城さん:「いや、全然。真顔。いや、本当に、あの人たち何だったんだろう。僕も全くわからない」


 この年下男は、彼が警察に通報するのではという考えに至らなかったのだろうか?
愚鈍だ。謎で、危ない人だ。
精神的に不安定な年上女と結婚して、やり返さないと分かっている相手に暴力を振るうような、卑小で器の小さい男だ。
短絡的で不道徳な人間だ。

 建城さんは引っ越し後の住所は母親にも、もちろん年下男にも伝えなかった。
戸籍も分籍した。


 今、彼の戸籍には彼の名前1人だけだ。



踏み台よ、ありがとう。ってところか

 建城さんのラップ「Stray Dog」の一節

"お父さん お母さん ねぇ
この生命をなぜ"

 インタビュー前にこの歌詞を読んだのだが、ヒシヒシと感じる不安や困惑、怒り、悲しみがストレートで私は気に入った。
 今、インタビューを終えてこの歌詞を読むと、その通りだ。なぜだ。
同じ母であるからだろうか。
私からしたら、母親への不思議さが著しい。

 児童養護施設で16年過ごし、母親はやっと育児する宣言をして、息子を期待させておいて、勝手に男を作って再婚して。
自分の理想を押し付け、自分の理想通りではない子を、彼を、君を傷つけた。
自分の腹から生まれ、5ヶ月の間、神のように愛しく可愛い時期の赤ちゃんの君を、母親は見ているし覚えているはずなんだ。覚えていないとおかしいよ。だって責任感も資格も覚悟もないのに、君と一緒に過ごしたいなんて言えるはずがないんだ。
数年越しにやっとその神のような存在と一緒に過ごせることができた。積年の願いが叶ったっていうのに、会って数ヶ月か数年か知らないけど、常識もマナーも教養も良心も持ち合わせていないような年下の男が君に暴力を振るうことを認めた。
むしろ一緒になって君に暴力を振るったんだ。君を支配しようとしたんだ。    
 君は自分で考え、勇気や責任感をもって生徒会長になった。
それは君にとっての第一歩であり、子が強く生きようと努力しているところを、親である母親が邪魔したんだよ。
母親以外の全ての人達が応援し協力してくれている時、肝心の親が、一番見守り応援してあげなきゃいけない親が、君の足を引っ張ったんだ。
君が去る決断をした時、止めもせず、反省もせず、協力もしなかった。
君の心の邪魔をした。足枷をかけた。
それがそんな簡単に外せるはずがない。
これらの出来事からまだ2年かそこらだろ?
まだねじ曲がっていても、捻くれていても不思議じゃないと思う。

 親との問題って、簡単に答えは出ないし、時間がかかる問題だと私は思っている。
なのに私の目の前にいる青年に不安や不幸感が見えない。
そう見せないようにしていただけかもしれないが。
憎しみや哀れみに囚われず、背筋を伸ばして生きているように私には見えた。
この青年も十分不思議だった。
少し、違和感すら感じた。


田淵:「母親に、謝られたことはありますか?」
建城さん:「謝られたことない。謝って欲しくない。どうせ悪いと思ってないんで。何が悪かったか本人は分かってないし。事実があるだけ。虐待をした。虐待された。それをどう受け取るか。自分も最初はネガティブにうけとめた。今はそれを音楽発信として受け止めてる。母親からしたら、虐待したつもりがないかもしれないし、ただのしつけだと思っているかもしれないし、もしかしたら清々しいと思ってるかもしれないし。それならそれでいい。ただ僕に関わらないでよ。謝られても気持ち悪い。許せる・許せないですむ問題って凄く簡単なことだと思ってる。喧嘩して謝って許せるのは、それだけ喧嘩の事実が簡単だったってことだと思う。でも戦争が終わらないのって、許す・許せないで片付かない問題だから。僕の中での虐待は、許す・許せないの枠から出ている。じゃあ謝る必要も謝られる必要はない。ただただ嫌いだって事実・感覚があって、関わらないでってこと」

 母親をどう感じているのか、どう捉えているのか。
そして、その感情は自分のどういった価値観から生まれたのか。
これらを言語化し、即言葉にしている。
 彼が背筋を伸ばして生きているように見えるのは、順に、自分に向き合い、考え、消化してきたからなのか。
消化しきれないものは、音楽活動に昇華させる。
毒親育ちというアドバンテージをもっているが故に、幸せに敏感で、豊かに生きていける。
踏み台よ、ありがとう。ってところか。



「自分の過去を語れずに何が語れるんだって思ってる。過去すら語れない人に未来も今も語らせたくない」


 建城さんが中学3年生の時、クリスマス会のゲストで、ラッパーで音楽活動をしている晋平太さんと出会った。
 建城さんは学校で賞をとった作文を読むことになっていた。
読み終わった後、晋平太さんに文章を褒められた。
「ラップ、やろうよ」と声をかけられた。
彼はラップの世界にのめり込んだ。

 ラップに出会う前は苦しい時期だった。
いじめ、不登校、持病、受験。

建城さん:「もうだめだな。生きてる理由ないなって。生きてる意味ないな。が漠然とあった。でも死ぬほどの動機じゃないし、死ぬのもめんどくさいし。と思ってなあなあに過ごしてた。そういうネガティブな気持ちを肯定してもらえた」
田淵:「児童養護施設は武器として売っていくのですか?」
建城さん:「売っていきます。嫌だなって思われることも絶対あると思うし、お涙頂戴だって思われることも確かにある。でも、自分の過去を語れずに何が語れるんだって思ってる。過去すら語れない人に未来も今も語らせたくない。自分は語ろうと思ってる。それと、安易だけど、有名になれば姉2人に会えるかもって思ってる。母と父はどうでもいい。でも姉2人は、完全に親の都合だけで会えなくなっちゃった。連絡とる手段がない。なら有名になっちゃおって」

 青い。若い。安易。
そういった言葉で騒がれるってところか。
建城さん:「ストレートな表現は絶対曲の中に入れてる。基本的には丁寧な日本語を使うように意識してる」
 ラップの世界は私には分からない領域だ。
だが"言葉"を丁寧に捉え、私と同じ"言葉"で戦う彼を、私はどうやったって否定することはできない。


"戸籍の名前は自分1人"の彼が考える家族愛


田淵:「私は、家族愛がよく分からないのですが、建城さんはどうですか?わかります?」
建城さん:「友人では超えられない線。その線を超えないのは、危ないから。家族のくくりになったら線を超えられるようになるのが、家族の契約。ちょっと危なくなるのを受け入れて線を超えるのが家族の愛情。そこまでしても家族になりたいと思える人かってことかな」

 抽象的な私の質問に対して、戸惑ったり吃ることはなく、答えてくれた。


 建城さんは結婚願望がある。
田淵:「親になるイメージありますか?どんな父親になりたいですか?」
建城さん:「家の中でコミュニティが完結するのは勿体ないって思ってる。自分が広げられるところや向かいたい方針を、上手く繋げられる存在でありたい。社会の中の一つとして、閉鎖的でありたくない。家族と社会をつなぐ立ち位置かな。家族と社会をつなぐ扉。みたいな」

 児童養護施設に16年間入所していた彼だからこそ、このような言葉が出てきたのだろう。
施設という枠組みの中だけで完結せず、社会を意識して生きていく必要を強く感じていたのかもしれない。

田淵:「遺伝子について意識しますか?」
建城さん:「します、します。遺伝子の勉強をすると必ずでてくる話。性格の遺伝には特に気をつけないと。母がヒステリーだったから、自分は溜めないで細々と吐くように意識してる。音楽があるのはでかい。そこで爆発できる。人に害をなさず吐き出せる。何より周りに恵まれてるから、話せば分かってくれる人ばかりだから。変に溜めないでいられる」

 彼は、本当に自分の周りにいる人達に感謝しながら生きているのだろう。
毒親育ちの人が、遺伝子という呪いから開放される日は来るのだろうか。


 インタビュー中、彼は何度も「自分は運がよかった。運がいい」と言っていた。

田淵:「運がいいと思うのに、何か理由があると思っていますか?人に対して真摯に接するようにしていると言ってましたね。それですかね?」
建城さん:「いや、真摯に接しているけど、それって必ず返ってくるわけじゃない。返してくれる人と巡り会える運が自分にはあったってだけ」

 与えたら与えてもらいたいと思うのが人間だ。
私が分からない”無償の愛”を、彼ならば理解し得るのかもしれない。



僕、運がいいんです


 インタビューが終わった後、私は彼にあてられていた。よくわからないが、自分の身の回りに幸せを感じた。
 家族でドーナッツを食べた。
娘は、減っていくドーナッツに対して「ちっさくなっちゃうよー」と寝転がり泣きわめいている。そりゃ食べたら減るでしょ。夫婦で笑って見ていた。

 そのあと、青空の下を歩いた。
私の少し前に、小学生ぐらいの女の子と男の子が自転車に乗っている。

 ふいに小学生の時の、私と弟が重なった。
弟と自転車に乗って、いつも一緒にいたことを思い出した。
 義母に「土日に家にいるな。17時まで帰って来るの禁止」と言われていたから、弟と児童館に行ったり川辺で遊んで時間をつぶした。
川辺に沿って、真っ赤な彼岸花が咲き誇っていた。
私と弟は彼岸花を摘み、それを自転車のカゴいっぱいになるまで入れて、家に持ち帰った。
それをプレゼントした時の義母のヒステリーぶりったら。
「何考えてるんだ?!どういう意味か分かってるのか!」って。
顔を真っ赤にして。
鬼のように顔を歪ませて。
今となっては、最高に笑える。
純粋、無知ゆえのってやつだ。
あの時の私と弟よ、ナイス。
こんな下賤な記憶が蘇ったのに、私はたまらなく幸せな気持ちで、小学生を眺めていた。



 こんな気持ちにさせてくれる人が、運を呼ぶのだろう。










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