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毒親は子の話しを聞かない。傾聴なんてもってのほか。②


“中村淳彦さん”という滝に打たれて②


①の続きです。
毒親が主な理由で自分の考えを見つけることが不得手となった30歳の女が、「傾聴」をテーマとした講座を受講することによって、まさか自分の奥深くを覗くことができるようになるなんて思ってもみなかった。
そして、その深い海の底にあるものを言葉にし文章にすることが、自分にとっての楽しみとなるなんて、もっと思ってもみなかった。


 新しい出会いというと、他にもライティング講座内で、中村淳彦さんと編集の小嶋優子さんが、「雨宮まみ」さんの本をすすめてくれた。
私は全く多読家ではないため、初めて聞いた著者だった。「こじらせ女子」って言葉は当たり前のように使っていたのに。
この講座を受けていなかったら雨宮まみさんの文章に出会っていなかったかもしれない。
 私は今まで弟以外で「この人、自分に似ているな」と思う人と出会ったことがない。
私は矛盾した色々な私が存在している。ペルソナが多いと言うのだろうか?
夫や親友達に対しても、彼らが私に似ているから好きなのではない。
私の一部分に共鳴しているという感覚だ。
その共鳴している部分が、私の好きな一部分なのだ。
夫と過ごしている時の自分が好きだ。ということが、夫と結婚した理由の一つだ。
もしかしたら、雨宮まみさんもそういった、色々な自分をもっているような人だったのでは。と感じる文章があった。
 「女子をこじらせて」は夫に読まれないように、お気に入りの和柄ブックカバーをつけて、本棚の奥に入れることにした。(エロ本かよ)
 なぜなら、女の奥深くに入りすぎている内容だから。だから最高に面白い。
こんな奥深いところを言語化し、文章をつくりあげることが本当に凄い。
人の成せる技かよ。と思った。
 別に夫がピュアな人間とか、そういう訳ではない。
だが男子校出身の夫には知らない女の世界、女の思考がバッチリに書かれているのだ。
認識できていない部分を完全に言語化している気がする。
下手したら、“女”という概念を覆される男の人もいるのではないだろうか。
 女にとっては当たり前なのだが、言葉にするのはタブーな内容を面白おかしくも感慨深い表現で書かれている。
吸い込まれる。強制的に浸る状態にもっていかれた気がした。
 女子の思考をここまで体現されたこの本を夫に読まれると、私のドロドロした本心も全て洗いざらい知られるような気がした。
いや、8割9割はもう知られているか。でも残りの1割2割を隠そうと、少しもがいているのだ。

 雨宮まみさんの、ごちゃごちゃと色々考えて生きているところが私にもあると思う。
 「ごちゃごちゃと」という言葉は悪いイメージのようだから、そろそろ使わないようにしようと思う。
 でも、私にとって“ごちゃごちゃ考える”は、もう30年連れ添ったものであり、なんだろう。笑いながら言うものなんだ。
“ごちゃごちゃ考える”ということは私の友人なのだ。
でも私も30歳になったのだから、もう少し言い方を変えてみようと思う。
これからは「熟考する」という言葉を使うようにしよう。
(雨宮まみさんについて、これ以上は別記事にします)


 ライティング講座受講生との会話が、熟考するきっかけになったこともある。
 「文章を書き始めて1年ぐらいだよね?」と聞かれ、そういえば日記とか文章とか今まで書くことなかったなあ。なんでだろう?と考えていたら一つの出来事を思い出した。


 看護師1年目の時、「1人の患者さんにピックアップして好きなように書きなさい」というような課題が出た。
 私は書いたものをチームリーダーに見せた。
「まあ、あなたらしくていいと思うよ」と言われた。
褒められわけではないがOK貰えたのなら酷いものではないか。と思った。
それに、このリーダーは国語の先生ばりに私のカルテ記事を指摘する人だったから、私は安心してもう一段階上の上司の係長(看護師長の一つ下の位)に提出した。
「なんか、物語?みたいだね(笑)。なんか違うよねー」
“鼻で笑われる”とはこのことだった。
赤面だ。
当たり障りのない言葉を返す余裕もなかった。
痛いよ。あなた。と言われたようなものだったから。
当然のように、私をネタにして休憩室で陰口を言い、笑い者にしていた。
私は同期の子の文章を読ませてもらって「これが正解なのか」と思い、書き直して提出した。

 そんなんだから、自分が書いた文章を褒められることが私に起こるなんて思いもしていなかった。
 内心、「自由に書いていいって言ったから自由に書いたのに…」と思いながらも、「こういう私の頭の中に浮かぶ言葉や文章は、他人から見たら痛くてキモくて恥ずかしいものなのか」と思ったのだ。
 それ以来、親友と夫以外に私の頭の中の言葉や文章を言ったことはないし、ましてや書くなんてことはしたことがなかった。
 “私は世渡り上手に生きよう”
新人のその時に誓ったのだが、その時の私はそれが正解でカッコいいことだと思っていた。


 でも中村淳彦さんから制限を捨てろ!と1年間も言われ続け、変わっていった。
 中村淳彦さんがある日の講義の中で、「自分の意見は何を言ってもいいんだから」と言っていた。
私にとって、その言葉はずっと静かに残り続けた。


言ってもいいんだあ。
この、私の中のネガティブなところや、面倒くさいところを。
おまけに恥ずかしい、痛い、一貫性がない、矛盾だらけなところも。
何よりキモいところを。
というか、私は“痛い奴”と思われても別にいいのではないだろうか?
10年前はそう思えなかったかもしれない。
でも今、私の文章を読んだ人に「なにこの記事書いた人、頭おかしい。キモい」と言われたとして、私は果たして傷つくだろうか?
いや、多分傷つかないな。
それに文章を褒めたり共感をもらった時、嬉しい気持ちと同時に、「世の中全ての人が私の頭の中の言葉・文章を“痛い奴”で終わらせる訳ではないのだ」と知れたのだ。
勿論、痛い奴だと思う人は沢山いるだろう。
でも私自身がそれを受け入れているのなら、もういいじゃないか。と思えるようになった。
私はネガティブを土台にしているが、希望も普通にもって生きている。
自分のこと嫌いなくせに、自分について熟考している。
本当に嫌いなら自分の考えや行動を熟考することはしないはずだ。
結局、私は私が大好きなのだ。
自分が嫌いで大好きな、矛盾した人間。
それでいいじゃないか。と思うようになっていることに気がついたのだ。
何より、反論のない意見なんて一つも存在しない。
誰も傷つかない意見なんて存在しない。
"これ書いたら嫌な気分になる人いるかな"、"この言葉を書くと嫌われるかな"
こういう感情をもって文章を書いていることに気がつけたのだ。


 この一年、文章を書く。
少し時間を置く。
あ、これ綺麗なこと言ってみたな自分。嘘ついてるな。
って思ったら、消す。
なぜ私はこの文章を嘘と思ったんだろう?私の本音はなんだ?本物はどこにある?
という思考に自然となり、考え始める。
これを繰り返した。
完成後も、noteの文章は何度も編集している。
まるで嘘発見器。
それを繰り返していくうちに、嘘を消す機会がかなり減っていることに気がついた。

 この記事なんか一番最初に書いた時は、綺麗事ばっかでした。
例えば「スプライトを娘にぶっかけ返したしたことを虐待って思われるのが怖い」とか「育児世代に母親失格認定されるの怖い」といった感情が当初ありました。
 その後、何度か書き直しました。
全て取っ払った、本心のみの言葉で出来上がった時の感覚は、最高なものでした。
「これ、自己満だな…。でもこれが私の本心であると断言できるのだから、もうこれでいい!」と半分投げやり感もあったりして。
 そう思うと“気合の入った記事”とは真逆だが、“初めて自分の制限を全て取り払った記事”だったのかもしれません。
今、気がつきました。
それに目をつけた中村淳彦さんは、やはり流石ですね。一流ライターの洞察力とでも言うのでしょうか。
こんなの書いた私にしか分からないような微々たる変化です。
全ての制限を取り払った記事だと、なぜ気がつけるのでしょうか?
それに中村淳彦さんがピックアップしてくれるまで、自分の中で全く注目していなかった記事でした。
自分のnoteのトップに固定できる記事を、すぐにこの記事に変えました。(現在は変更)
私は、私のミジンコサイズしかないチャンスを取りこぼすところでした。
これに関して私は本当に感謝していて、少し泣きました。



 インタビュー記事というものは、誰が書いても大きく変わらないものだと思っていた。
インタビューされている人が同じなら。
インタビューされている人が主役な訳だから。
 私が初めて記事で書かせてくれた青年を思い出す。
私の書いた記事は、彼が書いてほしかった内容とは少しズレていたかもしれない。
もっとこういうものを強調して書いて欲しかったとか、思ったのと違うとかきっとあっただろう。
 でも私はインタビュー記事を書いている時、凄く楽しかった。
毒親、児童養護施設入所経験のある人に対してインタビューをする。
虐待やネグレクトなど、辛い体験を聞く。
そういう話しを聞いているのに、私は自分の精神を削られるような気持ちにはならなかった。
自分も虐待経験があるからなのかもしれないが、相手の話しの奥深く潜っていく感覚の心地よさの方が強かった。(勿論、人見知りな私なので疲労困憊にはなりました)
 そして聞いた内容を文章にする。
その時はもっと心地よい。
深く深く、海の底にむかって潜っていく。
そんな感覚になる。
潜りすぎてしまった昔の危険な時とは少し違う。なぜなら私自身の私の内側ではないからだ。
他人から聞いた言葉達や感情、それに対する私の感情に潜るのだ。
“潜る”というより“浸る”に近いかもしれない。
自分の中に浸っている。
やはり私はキモいな(笑)

 インタビュー記事を数回やったぐらいで何言ってんだコイツな話しなのだが、インタビュー記事は、作る人によって文章の内容も雰囲気も変わってくるものなのだと腹落ちした。
 上品な人が書けば上品な文章に。お花畑な頭の人が書けばお花畑文章に。私のような怨念人が書けば怨念文章になるのだろう。
そう思えば、書く内容は他人のことだとしても、それを書き出すのはライター自身なのだから、自分の棚卸しが必須なのにも頷けるようになった。


 今の時代、毒親に苦しむ人は多い。
日本人が幸福度高くて幸せです。って雰囲気ではない。
でも日本国内で戦争はまだ起こっていないから“みんなが明日生きるので精一杯”ってわけじゃない。
それなりに余暇もあり、文章を読む人だっているハズ。
みんな幸せです。な世だったら、私のような怨念文章を読む人も少ないだろう。
だが、みんな何かしら重いものを背負ったり、考えたり、押しつぶされながら生きている。
少し前に自殺した32歳兄がその証拠だ。
 だから私の文章を読み、わかる、わかる〜。とか、こんなヤバい人いるんだ。とか、なんかキモいけど気になる。とか、なんでもいいから気になって読んでくれる人がいることに期待している私なのだ。



 私にとって、自分の記事を読んでもらえる機会がかなり増えた。
中村淳彦さんのおかげだ。
ここまでの全て、中村淳彦さんのお膳立ての結果だ。
 10年後20年後に「こんなことあったね〜。私、中村淳彦さんって凄い人に文章読んでもらってぇ、褒めてもらったんだ〜」っとか言ってたら、クソダサい(お下品)。
そんな自分、恐怖すぎる。
それを想像したくない。

 中村淳彦さんの「プロを目指すなら腹をくくれ」という言葉。
言っている意味はわかる。ただ多分、私は本当の意味でしっくり理解できていない。
 じゃあ、自分は何をすればいいのだろう?腹をくくった自分の行動は何なのだろう?
迷走中だ。
フワフワしている。
とりあえず、今は書きまくることにした。
書きたいと思ったものを書き続ける。
これが地に足のついた行動なのか分からない。というか、まだ全くそういう段階にも至っていない私なのだろう。
 ただ今の私は、自分の心と言葉が合致した時の快感がたまらないのだ。
私の周りに大量に散らばっている積み木達を、様々な入れ物に入れていっている。
普通のタンス・おもちゃ箱・毒キノコが生えているゴミ箱・ガラスの透明で美しい入れ物・鍵が何重にも掛かっている箱などに分けていく。
一つ記事を書く度に整理されていっている気がする。
 そして最近の私は、兄が死んだり、前置胎盤になったり、2人目の出産、父がかなりヤバイ奴だったと今更ながら気がついたり。
出来事や考えることが沢山ある。
だがそれらのおかげで多分、感受性?レーダー?的なものが敏感な時期でもある。書きたくなるものが、いくつも浮かんでくる。
だから、今、書かないといけない。今だから書けるものが沢山ある気もするから。

 今、私は幸福の中にいる。
今死んでも後悔することはないだろう。
いや、やっぱり文章を書くことを始めてまだ5センチ程しか進んでいないのは後悔だ。あとアイスランドにあと3回は行きたいな。母娘ショッピングもしてみたいな…。
いや、やっぱり後悔がないは嘘です。
 ただ、私は今普通に幸せです。
と、普通に言える。
一つも不安や大変なことがないとか、そういうことを言っているのではない。
不幸な理由が思いつかないってだけだ。
 毒父・毒祖母について色々と怨念がこもった文章を私は書いているが、書いていて重い気持ちにちっともならないのだ。
もうネタにしている。
過去のことをネタにできるのだ。
私の中で完全に精算された出来事たちだから。
あの人達に苛つくことが全くない訳ではないが、全く引きずらない。(保険金問題は少々引きずったけど)
あの人達は私にとって、もう私の一部ではなくなっているのだ。“私という人間”の外にいる人たちなのだ。
まあ私の夫や子に危害を与えようものなら、倍返しして、それを記事にし、世に晒してやる。ぐらいには思っている。
 「恨む」もない。
今の私は幸せであると同時に忙しいのだ。
子育て、家族や友人と遊びに行く計画、看護師、ライティング講座だってそうだ。
悪口記事を作成している時以外で、あの人達のことを思い出したり考えている時間なんて私にはない。
 きっと、そんなふうに歳を重ねた私だから、精神病んでいるような文章を精神病まずに書き続けられる気もするのだ。
 出産というビッグイベントがあるとしても、書くことが楽しいと感じれるようになった今は書き続けたい。
インタビューだってまだまだ始めたばかりで、数を踏まないと全く意味がない。

 中村淳彦さんが「なんか、飽きたな〜。ライティング講座は今月で終了!」となる日が急にくる可能性だってあり得る。
流石にそこまで急には起きないとは思うが、いつか終わりはくる。
 信頼して相談できる人がいつまでも存在し続ける訳ではない。
吸収できる今、吸収しないと。
ありがたいことに、中村淳彦さんは惜しみなく、それらをくれる。
 この1年間で滝のように刺されたが、それは痛みだけではない。
私という人間を濁流で流し、気持ちのよいものにしてくれた気がするのだ。
 この人にとってどんな得があって、ここまで言ったりしたりしてくれるのだろう?と思ったこともある。
 めちゃくちゃ褒めたり、紹介もしてくれた。
中村淳彦さんのその言葉達は、少し大げさに言ってくれているだけなのかもしれない。
それでも今、しがみつかないといけない。と本能が言っている。
こんなチャンス?(チャンスというチャンス的な仕事の依頼とかはそういったものは何も無いのだが笑)はもう訪れないかもしれない。
出産というビックイベントがあったとしても、一時停止している場合ではない気がする。
 それに今、ただ単に、ごちゃごちゃと色々書きたいのだ。



「文章を書く」ってなんか凄いことというか、偉そうなことを言っているように聞こえますね。
でも実際の私は…


「ぶわーって感じた時、ぶわーって頭の中に言葉や文章が浮かんで、ぶわーって書いて、ぼーっと熟考してたらポツポツ文章追加されていって、この日本語変だな。直し、完成!」


こんな感じです。




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