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毒親は子の話しを聞かない。傾聴なんてもってのほか。①

“中村淳彦さん”という滝に打たれて①



私は自分の意見を言うことが苦手だ。
そもそも自分の考えを言語化することに時間を要する。
その理由の一つに、毒親が関係していると思っている。
なぜなら私の毒父・毒祖母は、私の考えを質問してくることなどなかった。
たまに私が何か(私なりに勇気をもって)言ったとしても、意気揚々とした態度で否定していた。
それが何年も何年も積み重なり、そのうち自分の考えが分からなくなった。
きっとこんな私でも、私の娘(3歳)ぐらいの年齢の時は、自分の意見がありその意見を通そうと大暴れしていたに違いなかったはずなのに。
インタビューライターになるために始めた「傾聴の訓練」だったはずが、私自身のより深い部分を覗くことになるなんて、1年前の私は知る良しもなかったのだ。


 1年前、インタビューライターをやってみたいと思い、「悪魔の傾聴」という本に出会いました。
著者の中村淳彦さんが講師を務める「悪魔の傾聴ライティング講座」というものがあることを知り、受講者になりました。
 受講開始から1年が経過しました。
現在は田淵未来というペンネームで毒親を主なテーマにしたエッセイ、インタビュー記事を作成しています。
 講座を受講後、この1年で私の中で変わったものがある気もするので、書いてみました。(同じ受講者の方々が書いたり、スタエフで言ったりしているので真似してみました)


 中村淳彦さん。
ノンフィクションライター。一流のプロライター。
尊敬している人です。
と、言いたいところだが、私は出版業界についての知識0。経験0。
中村淳彦さんの凄みを理解できるほどのモノサシを、私は持ち合わせていない。
何がどう凄いのか説明できない。“なんか凄い”なのだ。累計120万部がどれほどの凄みなのか私は理解し得ない程の素人なのだ。
そんな奴が尊敬していると言っていたら、それはただの嘘なのでやめておきます。
 この1年間、滝行をしているような感覚だった。もちろん今も。


 私は看護師をしている。
今までそれなりに先輩達にしごかれてきたと思う。(看護師はキツい女が多い)
ただ、仕事上で今まで受けてきた“指導”とはなんとなく違う気がする。
このライティング講座は仕事ではないのだから違うのは当然なのだが、一歩、人として寄ってくる?踏み込んでくる?上手い言葉が思いつかないのだが、そういう感じがするのだ。

 なぜ私はそう感じるようになったのだろうか?
受講生徒が「自分は〜をやりたいと思っています」などと考えを言うと、それに対して、中村淳彦さんが深堀りしていく。
「〜はどう思う?俺は〜と思う。〇〇さんは、そこんとこどう思うの?これからどうしていくの?」
 私には、他人にこういう質問をされた経験があまりない。
私の親が毒のため、私の意見や考えを質問されたことがない。
仕事上での指導でも、アドバイスや叱咤で終わることがほとんどだ。
 そもそも私は私自身の性格が悪いと思っているし、変、異質な部分も多いくせに世渡り上手になりたくて、あまり他人に自分のことを話さないようにしていた。
 初めてこの質問をされた時は、なんだか責められているような気持ちになった。
世渡り上手を目指していた私は「上手に答えなければ」の感情が前に前に出た。
当然のように、そんなこと考えている奴が上手く言葉を話せる訳が無い。どもった。どもった。
 また、中村淳彦さんは一人一人にアドバイスをしてくれる。
そのアドバイスの後、
「どう?やれる?」
と聞いてくる。
 中村淳彦さんについて知ったような気になるつもりは微塵もないが、多分「アドバイスはするけど、最終的に決めるのも実行するのも君だから。君がどうしていくか決めなさい」という意味だと私は捉えている。

 講座中Zoomとはいえ、数人〜数十人が参加している中で自分の名前を呼ばれる。
その度に私は心臓バクバクだった。
そもそも人前で話すのが物凄く不得意だ。
人前でなくても、職場で女性3人以上で会話する時は徹底して聞く側に回る。
 だが私の中で不思議な感覚も芽生えた。
中村淳彦さんに質問され、緊張すると同時に、自分の考えや本心を述べることに対して気持ちの良さも感じている気がするのだ。
 少しずつ私が変化し始めている前兆だったと、今は思える。


 最初は「インタビューライターの仕事をする上で、なぜ自分の棚卸しが必要なのだ?他人のことを書くことに、自分は関係あるのか?」なんて考えていた。
 自分のやりたい事が「発信者」「表現者」「創作者」であることの意識がなかったのだと思う。
看護師という仕事は正直、決められた業務を決められた時間内で行えば成り立ちはする。
自分が今までしてきた仕事のスタンツとは全く違うものを始めようとしていることに気がついていなかったのだ。
 “文章がその人そのものを映し出したもの”ということも、認識していなかったのかもしれない。



 中村淳彦さん著書の「悪魔の傾聴」を読み、あまりに面白く内容も新鮮だった。
次のページには何がくるんだろう。とワクワクしながら本を読むのは本当に久しぶりだった。
こんな本を書いた人はどんな人だろう?
あ、X(Twitter)やってる。
なに!ライティング講座やってる!
ちょうど独学でインタビューライターを始めようと、本を探し回っていた時だった。
申し込まない理由はなかった。
勢いのままライティング講座に入った。
だがそこで他の受講生達の文章を読んで、私は凄い勢いで冷静になった。

「初心者って言ってるけど、みんな普通に書いてるじゃん。この人、プロじゃないか…。プロが混ざっているよ?。え、この人はプロじゃないの?なんでこんな綺麗な文章が書けるの?ああ…、大学出てしっかり勉強してきた人ってやつか…。何このじわじわくる面白い人…。こんなのセンスじゃないか」 

といった感じで、私のネガティブパワーは全開になった。
よし!私は見る人専門になろう!
と思ったのだが、「折角お金を払っているし…。中村淳彦さんに直接みてもらえる機会を逃すのか?自分の中の“恥をかきたくない”の感情に負けてしまったら、私という人間がここで終了してしまう気がする」そんなことをグルグル考える日々だった。



 初めて自分の文章を書いた。(読書感想文以外で)
たった1000字の文章なのだが、毎日何度も読み返す。
書いたあと、その文章を送るのに1週間はかかった。
何度も投稿のページを開いては閉じて、ビビりまくってた。
 私の頭の中を文字にするのがほぼ初めてだった。
キモくないかなあ。
意味分からんって感じかなあ。
そもそも文章の書き方や日本語、大丈夫なのかなあ。
 私はかなりの勇気を出して提出した。

 提出した後の講座で、私は泣きたくなった。
というか、終わったあと泣いてた(笑)
講座後の夜は寝れなかった。
 今だから言えるが、実は中村淳彦さんを少し憎んでしまうような感情もあって(笑)
でも、泣きたくなったり憎んでしまうような感情が生まれる理由を、私はよく知っている。
 中村淳彦さんが言っていたことが事実で真実である。と自分の中でしっくりきているからだ。図星ってやつだ。
 私は無意識に、看護師という職業を立派な仕事だとレッテルを張って自己を保っていたことに気がついてしまったのだ。
職種についている人は無意識に自分に制限をかける。
その組織の考えが自分の考えだと思いこんでいる。洗脳にも近いものかもしれない。
 自分という人間を修正しなければならないと思った。
看護師になり、組織に入り、組織に染まり、でも染まったことに気が付かなかったとしても生きていける世界なんだ。職種の世界とは。医療の世界とは。
その中で今日、私は気がつくことができた人間なんだ。
気がついてしまったら、もうこれを無視して生きてはいけない。
この機会を“傷ついて悲しい”なんてもので終わらせてはいけない。
その勢いのおかげで、SNSやブログを作ってみたり、取材相手をXで探し回る活力になった


 もう一つの最近の大きな変化は、人に褒められる機会があったこと。
特に「ワーママ三十路女、ひとりで海に浸る」の記事が、中村淳彦さんから褒めてもらったことが私にとって衝撃的だった。


中村淳彦さんが“異次元”と表現してくれた時、正直「え、これが?なんで?」と最初は思った。
 私の頭の中をそのまま書いただけだったから。
何より知性を感じない文章。
何故いいのだろうか?と考えてみたが、分からない。
あ、もしかして私の頭の中がおかしいのか?
今のところそれが一番しっくりくる。
少しおかしくなっている私の頭の中の文章を“異次元”と表現してもらえたのだろう。
加えて勉強を真面目にしてこなかった人間だから、難しい言葉を使わない。
 でも先日ライティング受講者の方から、そんな頭の弱い私におすすめの本を教えてもらえたので、この答えは今後変わっていくかもしれない。


 私は30歳なのだが、恥ずかしながら褒められた経験があまりない。
その理由はもちろん、私の能力的な部分だ。学生時代の成績は中の中。
赤点とらなきゃOK精神。勉強を真面目にやってこず、今思うと部活も頑張っているフリをしていただけな気がする。熱くなっているフリ。
 そんな中途半端な自分に加え、私は決定的な欠点をもっていた。
自分の思いや考えの前に、これをするのは得策か?可能か?
そちらの思考が先に出るのだ。
看護師になったのがいい例だ。

看護師の仕事に興味があるから看護学校に行こう。
ではなく、
看護師ならそれなりに安定したお金を稼げる。稼げたら親に頼らず一人で生きていける。立派だねと言っている人が多い。なんかカッコいい印象もある。周りの人間にも舐められない。看護学校に行ける成績はあるだろうか?国家試験には通るかな?大丈夫そうだな。よし、看護師になろう。
これで進路を看護学校に決めた。

恥ずかしい人間です。
自分の心の聞き方も知らなかったのです。
自分の心のくせに優先させることができず、他人の目ばかり気にする。
こんな奴が人に褒められるようなことを成せるはずもない。
そもそも私は自分が嫌いで仕方がなかった。
そのくせ、自分について考える。
嫌いなら考えなければいいのに。とまた自分を嫌いになる。
このループに入っていた。
 ただせめてもの救いは、看護師という仕事が“全てが私に合わない”とまではいかなかったことだ。
患者さんとして入院している時、人は患者さんになる。普段の自分とは違う自分になるそうだ。
「看護師さん」という職種を目の前にすると「患者さん」というペルソナをつくる。
入院するということは、人生においてのビックイベントだ。
皆、上っ面な言葉はあまり発しない。
患者さんと会話している時は、深いところで会話ができたり、本心であろう心の中を聞けたりする。
他人と深い会話をすることは、私にとっては楽しかった。
 看護師同士で上っ面な会話をしているぐらいなら、患者さんと深い会話をしている方がよっぽど楽しい時間だった。
 なので私はあまりナースステーションでカルテ記事を書かなかった。
集中している時に話しかけられるのが嫌いだったし、中身のないノリの会話をするはもっと嫌いだ。
 人としてコミュニケーションの一貫でしょ!と言われそうだが、私は仕事に来ているんですが?。という浮いた?舐めた?スタンツだった。
 これを聞くと嫌われそうだが、有り難くそこまで不器用ではなかった。卒なく会話を交わすことができたし、仕事自体も徐々に卒なくこなせるようになり、仕事できない人認定をされたことはなかったと思う。(多分)
まあ、“普通”の枠に入っていたってところだろう。
 なので仕事上で褒められたことが、全くないって訳ではなかった。
普通に褒められて、普通に「いえいえ、私なんてー」と返事をして。なら、全然ある。
ただこの会話は私の中では中身のない会話の一つだった。

 だが最近また、褒められて泣きたくなる気持ちが生まれるようになった。
私と同じくライティング講座を受講している、“なっちゃのさん”が、私を凄く褒めてくれて…。
スタエフ(音声配信)で褒めてくれたのを聞いた時、胸を強く抑えられるような感覚になった。
嬉しい気持ちは勿論ある。
ただ…。ごめんなさい。そんなに褒めてくれたのに、私はなっちゃのさんが使う言葉をググって調べているような人間なのです…。
 「奇譚のない態度」なんて、私は普段の会話で出てこない…。
恥ずかしながら「きたん 意味」で調べてました。
 ああ、これが真面目に勉強してきた人とそうではない人間の差か。と過去の自分をまた呪う。
 それに褒めてくれるものの、実際の私はニタニタ・キャッキャしながら文章を書いている。つまり、上品とは程遠い。
この記事がいい例だ。インタビュー記事の提出や出産前の手続きなど、他にもやるべき事が山程あったのに、「ナカアツを取り巻く女たちの話」をスタエフ(音声配信)で聞いた後の私は面白さのあまり、頭に次々に言葉が溢れかえり、病院の待合いでニヤニヤしながらnote記事を書いていた。

もう一度言います。私には“上品さ”がない。
でもそれは諦めることにした。
 文章にその人自身の上品さが反映されるということが分かっただけでも、私にとっては進歩だ。
 それは音声配信になると、もっと著名に理解できた。
スタエフ(音声配信)で同じ受講者の方の話しを聞くようになった。
初めて聞いた時は、逆に中身が入ってこなかった。
え、なんでこんなにスラスラと自分の出来事や考えを話せるの…?
 台本のようなものを作らずに話せる人もいるらしい。
いや、台本を用意していたとしても私にはでき得ないことだ。
 中村淳彦さんが「田淵さんは音声配信はやりたくないんでしょ」と言われたことがありますが、違います。それには語弊があります。
「やりたくない」ではなく「やれない」のです。
いや、間違っているわけではないですね。「やれない」という気持ちの中に「やりたくない」も含まれていると思うので。
ただ、本当に、本当に、私にとっては、音声配信をするということは空を飛ぶようなことなんです。
私が矛盾だらけな人間だからなのか、自分の考えを頭に浮かばせ言葉という実態にするのに時間がかかる。
私にとって言葉が出来上がり外に発するという行為は、早すぎるスピード感なのだ。
 そして文章だけではなく、スタエフを聞いていると、声や話し方から上品さや熱量が十分に伝わることが分かった。
私にはどう見繕っても、上品の素質を持ち合わせていないことに気ずき、認め、余裕で諦められた。
というか、上品な文章を書く私など、それは私ではないのかもしれない。
と言いつつ正直、もう少し上品な30代を迎えたかった…。
だがこればかりは積み上げてきたものの違いだ。
 40代になった時、今よりもう少しマシになっていれば良しとしよう。


 だが、ライティング受講生の方から褒めてくれた時、どうしても「いやいや私なんて…」という言葉は言いたくなかった。
職場では、全然言ってます。
褒められても、そこには裏があったり(仕事辞めないで欲しいとか)その場の流れで言ってみた褒め言葉だなって思うから、私も当たり障りない返事をする。
 だが、文章を書く人達のこのコミュニティの中では、私はなんとなく嘘や方便を垂れたくないのだ。
そもそもnote記事や中村淳彦さんのVoicyで、これだけ自分のことや自分の考えを晒している。
私がかなり面倒くさい人間で少しおかしな頭だ。ということを、もう隠し通せない。(開き直っているだけかも)
 私にとって、文章を書くということは初めての経験で、そういうコミュニティに属するのも初めて。
 私はかなりの人見知りで、新たなコミュニティに入るということに足踏みしてしまうタイプだ。
ディスコードを知っても「なんとなく私には無縁な雰囲気な気がするな。うん…。」といった感じで、内心見えてないフリをしていた。
中村淳彦さんからの案内があり「もう逃げ切れないな」という気持ちと、「私も30歳になったのだから!」(30歳という節目にどれだけ期待しているのだか)という気持ちから、かなり遅れての参加をした。
 コミュニティに参加をしてみて私は驚いたし入って本当に良かったと今は思える。私が今まで関わってきた人達とは全く違うのだ。
私が今まで属していた医療業界は似たような属性の集まりであって、少し外に出たら見たことのない知らなかった属性の人たちが沢山いることを肌で感じた。
なにより中村淳彦さんが言うように“上流階級”だ。
私は生まれた瞬間底辺でスラム街育ちのようなものだ。
だから余計に吃る。
自分の言葉を発するときに、仕事場でするような上っ面の流暢でクールなフリができなくなった。
(でも、本音を言うと「私なんて…」は内心全然あります)


夫:「え、なにこれ。ラジオキャスターじゃん」

受講生とSNSやオンラインでお話しはしているが、まだ一度も誰にもリアルで会った事がない。
なので中村淳彦さん含め、私の中では「本当にリアルに存在してるよね?今までのこと、夢じゃないよね?」という気持ちに時々なる(笑)



またまた長くなったので②に続きます…。


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