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⁵孤独は、キョウヨウ探しの暇(いとま)


キョウヨウ(今日の用事)のない私の来し方を語って、
どう思われるかなと心配してますが、少し暇におじゃまいたします。
 
孤独は、不思議な力を持っています。
私は、72才の人生を振り返り、
孤独の法則について気が付きました。
 キョウヨウは、今日行く所と用事ですが、……
 
孤独は、夢をなくして、寂しく、気分が落ち込んだとき、キョウヨウを探そうと働いてくれる。
 
孤独には、二面性がある。
一面目は、寂しいと言う外向きの助けを求める感情の働き。
二面目は、自分を再生しようとする内向きの知性の働き。
 
孤独に落ちていたときは、自分は人生を転換する屈折境界点の中にある。
 
私は、高校生2年の夏休み、宿命を受け入れ、大人しく漁師の跡継ぎとなるか、最後の土壇場の決断をしなければならない心境になっていた。3年生になってからでは、進路を分ける試験が終わり、家を出て生計をたてる準備に間に合わない。
 
私は、漁師の長男。跡継ぎとして期待されていた。当時、暮らしていた漁村は、屋号で呼び合い、商店は全て掛け売り、子供の私も屋号で呼ばれ、学用品でさえ掛け売りで買い物していた。
 
村の屋号で「一」の付くのは血筋だと言われた。祖父は私に定置網漁業の素晴らしさを「定置網は待っていれば魚が入ってきてくれる」と度々語った。祖父は漁師として揺るぎない自信を持っていた。祖父に可愛がられ、幼いながら床の間を背にして御神酒をいただいた思い出がある。私が後を継ぐのは宿命。受け入れざるを得ないと諦めていた時期があった。
 
高校2年生の夏休み、孤独になっていた。
まったくキョウヨウがない。
 
長距離サイクリング用の自転車旅行を手に入れて、
一人で20日間以上にわたり、無心で漕いだ。
 
光が、水との境界点に斜めに侵入するとガクッと折れ曲がって進むように、
日常から離れた、旅という異界に入り、一人旅は、ひとりで生きる自信を見つけ、人生のベクトルを変える決意に達した。
 
ベクトルの転換点には、母の教えに拠るトラウマがあった。母とは、小学校4年頃に離別。戦争をまともに体験した世代で、幼い私に「全ての生きものには命がある。命を粗末にしてはいけない」と度々諭していた。
 
「命」の言葉が私から離れない。漁師は毎日大量の魚の命を奪うことを生業としているではないか。毎日、足下で死んでいく魚を見て、「命」を奪う漁師の仕事が成長するにともない死ぬほど嫌になってきた。
 
高校2年生の時の孤独は、自分の生きていく方向を変える屈折点でした。
  孤独に陥ると、感情と知性が一体となって動きだし、宿命から命を運び出し、離そうとする。運命を自分で変えようとするのです。
  
 自転車旅行による決心は、一転して、興味のアンテナである確証バイアスやカクテルパーティ効果と言われる感情の感度を高くし、魂が興味ある情報をキャッチし始めた。
 
ペダル漕ぎが、日々の行動へ波及して、資格試験に受かり、部活では大臣賞をいただき、ミラクルな恩師に恵まれ、通信制大学の面談授業に出席できる就職先へ進むことができた。
 
家族には申し訳ないと思いましたが、卒業と同時に家を出た。そのとき、応援してスーツを買ってくれた叔父がいた。
 
法則として、
巡航速度で人生をやり過ごしていると、何時か目指していた方向に終わりが来る。
原因は、トラウマ、技術革新、健康、年齢、自然災害、事故、未来は変動要素が多くて予想が付かない。
最後の土壇場でキョウヨウがなくなり、孤独に陥る。
 
私のように、嫌なものを迂回すると、別ルートが見つかる例もある。
無心でペダルを漕いで、自分の性格が変わり目標を探しだせた。
 
潜在意識が、人の行動の90〜97%を決めていると言う。
潜在意識の塗り替えは、習慣を変えるか、環境を変えるか、最終的には気持ちの落ち着く方へ自分を変えること。
 
阿闍梨のような修行が、悟りとなる。
阿闍梨が修行に入った理由を耳にすると孤独がその前にあった。
自分が自分を乗り越える、修行こそが潜在意識の塗り替えの典型と思う。
 
私は、孤独に陥った高校2年生、母の言葉の頑固なトラウマにはじき返された気持ちだ。それはそれで良かった。

尽きないキョウヨウは、夢を実現することかなぁー
只今、夢に向かっています。

この件は、人生振り返りゲームへ参加して思い出せた内容です。
ゲームをご一緒していただいたIさんHさんに心から感謝します。
 
 屋号)社会保険労務士パーソナルキャリア相談室


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