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【ほぼトラ】バイデン撤退で蘇る第二次ドルショックの可能性(その1)

7月22日未明にバイデン大統領が大統領選からの撤退を発表した。同時に後任にカマラ・ハリス副大統領を支持すると発表した。
現職大統領が大統領選挙から撤退するのは1968年のジョンソン大統領以来だ。
現職大統領の選挙戦からの撤退で連想されるのが、ジョンソンい替わって大統領に当選したニクソンがとった数々の大胆な政策だ。
そして、その中でも米中国交正常化と並んで日本に影響が大きかったのが、有名な”ニクソン・ショック”だ。

第二次ニクソンショックの可能性

ここでは、トランプ大統領が大統領に当選することを前提として、実施される可能性のある通貨政策として、最も過激なドルの大幅な切り下げ政策、いわば”第二次ドルショック”について考えてみたい。

ドルショックの本質

ここで1971年の夏に突如実施されたニクソンショック、ドルショックとは何だったのか?その本質について考えてみたい。
金とドルの交換を停止するとは、一体何を意味するのだろう。
簡単に言うと「ゆっくりとしたデフォルト(債務不履行)」だ。
別の言い方をすると「借金の踏み倒し」だ。
ニクソンショックの起きる前には、アメリカの巨額の貿易赤字が積みあがっていた。特に経済復興を果たした旧敵国の日本と西ドイツへの巨額の赤字が生じていた。この巨額の赤字は、スミソニアン体制の元では、アメリカが保有する金で保証されているはずだった。
もう少し具体的に言うと、各国が米国に対して抱えるドル資産に見合う金をアメリカ政府が保有しているはずだった。
だが実際には、1960年代の後半から、アメリカの貿易赤字の増加で、アメリカ政府が保有している金を超える余剰ドルが米国外に流通するようになっていた。
この金準備を大幅に超える過剰なドルの存在に目ざとく気付いたスイスの銀行など欧州の投資家たちは、ドルの大幅な下落を見越して、金を買い集め始めていた。そして1968年には、欧州に金の自由市場が成立し、プレトン・ウッズ体制が定める1オンス32ドルの公定価格から大幅に乖離するようになっていた。ドルを大量に保有する国の間では、ドルの価値低下に対して動揺が広がっていた。
銀行の取り付け騒ぎと一緒で、もし外国政府が一斉に保有するドルと金の交換を求めてきた場合には、アメリカ政府は支払い不能になる。
この支払い不能を避けるために先手を打って金の支払いを停止したのが、所謂ニクソンショックだ。
これは、普通の銀行でいうと、取り付け騒ぎを抑えるために銀行休業をするようなものだ。この金とドルとの交換停止をもって、アメリカは”虎の子の金”の国外流出を食い止めることが出来た。
イメージとしては、会社更生法やアメリカのチャプター11に近いかもしれない。支払い不能になったが、ビジネスは継続するようなものだ。
そして金との交換を停止したドルは、その後の急激なインフレを通じて徐々に価値を失うことになった。これが”緩やかなデフォルト”の意味だ。同じような例を探すとすると、江戸時代などの武士に対する徳政令に相当するかもしれない。

ペトロダラー体制

ニクソンショックで価値が半分以下に下がったドルだが、最終的には変動相場制の元で、ある程度安定的に推移するようになる。その基盤になったのが、石油とドルをリンクさせる所謂「ペトロ・ダラー体制」と呼ばれるものだ。

サウジと米国の合意

このドルと石油をリンクする体制は、第四次中東戦争後の1974年にサウジアラビアを訪問したニクソン大統領およびキッシンジャー国務長官とサウジアラビア首脳との間で、当時第四次中東戦争の対抗策として対米輸出が停止されていたサウジ原油の輸出をドル建てで再開することから始まったと言われている。
ドルと石油がリンクすることで、米国以外の国は”石油を輸入するためにはドルが必要”になった。この”石油輸入のためのドル需要”ドルの暴落を防ぐ役目を果たした。

ドルが米国に還流

これはサウジなど産油国にもメリットがあった。ため込んがドルを中心とする外貨が暴落してしまっては元も子もない。またオイルショックで多額のドルをため込んだサウジなどの産油国も、余ったドルの置き場所として米国を選択せざるを得なかった。
皮肉な話だが、絶対王政や独裁制を敷いているOPEC諸国にとって、民主主義の下で財産権が保証されており、外国に対しても公正な司法制度機能している国となると、世界中探しても実はそれ程多くない。また運用の面でも巨額のオイルマネーを受け入れるだけの市場規模のある国は限られる。
極端な例えになるかもしれないが、巨額のオイルマネーが、中東のエジプトに流入したとしても、投資案件はカイロ市内の限られた不動産ぐらいだろう。世界的に活動している大企業はないし、エジプト政府の国債なんて怖くて買えない。また当時はロシアや中国は共産主義で私有財産が認められていなかった。今を時めく新興市場は存在もしていなかった。そうなると巨額の資金を預かり運用できる金融市場を持つのは、せいぜいのところアメリカとイギリス(そして日本)ぐらいだった。ちなみに当時の日本は、今と違って資本規制が残っていて、外国人が自由に投資できる環境にはなかった。
ということで、石油の輸出で得た巨額のドルは、結局のところアメリカとイギリスの金融市場に還流することになった。
こうして成立した現在の変動相場制の本質は、”ドル石油本位制”ともいえるものだ。

当時の市場の反応

このドルの”緩やかなデフォルト”ともいえるニクソンショックの結果、世界中でインフレが昂進することになった。日本でも1973年には、物価が2桁上昇する”狂乱物価”が発生し、有名なトイレットペーパー買い占め騒動も発生している。

金銀、石油が急騰

その中でも特に上昇したのが、貴金属の”金(ゴールド)”と”銀(シルバー)”そして、原油の価格だ。
ただ、これは逆にみるとドルが下落したのであって、金や石油の本質的な価値は変わっていないと考えることもできる。

株と債券は金利急騰で下落

金や石油が高騰する一方で、株や債券などの金融資産は大幅に下落した。これは、ドル安に伴うインフレの昂進で金利が急騰したためだ。通常のインフレは、株式市場には有利に働くこともあるが、石油価格の上昇による不況を伴う物価上昇であるスタぐネーションが発生したことから株式も債券も揃って下落することになった。
1970年代の米国株式市場は、乱高下を続け「株式の死」とも呼ばれた。

不動産は上昇

不動産に関しては、判断が難しい面がある。日本など金融市場が未整備だった国では、インフレに伴ない不動産が急騰した。しかし金利が上昇すると不動産価格にはマイナスだ。最終的には、インフレを抑制するために実質金利を高くする必要がある。不動産価格の上昇は、頭を押さえられることになる。

ペトロダラー体制の欠点

1071年のニクソンショック、そして1973年のオイルショックを経て確立された石油とリンクしたドルを基準とする変動相場制は、しかし根本的な問題をはらんでいた。

双子の赤字

プレトン・ウッズ体制の元では、金の保有量に限定されてたドルの供給量が、変動相場制となったことで、実質無制限になった。
米国は、この特権を利用して、他の国なら外貨不足から不可能な巨額の財政赤字と貿易赤字を垂れ流すようになった。
しかしペトロダラー体制が続く限り、外貨不足やデフォルトを心配する必要はない。
この無分別とも言えるドル供給のため、その後の国際的な金融市場は、定期的に混乱に見舞われることになった。

FRBによる利上げ

国際通貨であるドルの金利と通貨供給量を最終的にコントロールするのは、アメリカの中央銀行であるFRBだ。
しかし、このFRBが最終的に責任を負っているのは、あくまでもドルの通貨価値と米国内の景気、特に失業率だ。
そのためFRBは、時として国際的な影響を無視して利上げを行うことになった。
そしてFRBが利上げを行うたびに、ドルに依存する国際金融市場に動揺が走ることになった。
特にドルの借り入れに依存する経常収支赤字国が、このFRBによる利上げに苦しむことになる。
1980年代以降、度々メキシコやアルゼンチン、ブラジルなどの中南米諸国が、高インフレと債務不履行に見舞われたのは、FRBが国際的な影響を無視して、米国内経済を見ながら金融政策を行ったためとも言える。
1997年から98年にかけて発生した、アジア通貨危機からロシアのデフォルトにいたる大混乱は、この米国政府とFRBによる無責任な金融政策がピークにたっしたものだ。

LTCM破綻からリーマンショックへ

FRBによる国際的影響を無視した無分別ともいえる金融政策の影響が、メキシコやアルゼンチンにとどまっているうちは、米国は特に気にもしていなかったようだ。
しかし1998年に発生したロシアのデフォルトに端を発した超巨大ヘッジファンドLTCM(ロング・ターム・キャピタル・マネージメント)の破綻を切っ掛けに風向きが変わり始めた。そして2008年のリーマン・ショックが発生すると、ペトロダラーバブルともいえるドルの過剰流動性の影響がアメリカ国内にも及ぶようになってきてしまった。

中東への軍事介入

ペトロダラー体制のもう一つの副作用が、米軍による中東諸国への軍事介入だ。
ドル・ショックとオイルショックが起きる1970年代より前は、中東はどちらかというと英仏の縄張りで、米国が中東に積極的に関与することは少なかった。
しかし1970年代以降にペトロダラー体制が成立すると、サウジを中心とするペルシャ湾の油田地帯の確保のため、米軍の中東への軍事介入の頻度が増すことになる。
イラン革命後の1980年代には、イランイラク戦争にイラクへの武器援助で間接的に介入、またアフガニスタン紛争へもイスラムゲリラ勢力への武器援助を行っていた。ちなみに、この時のイスラムゲリラの一人がオサマ・ビンラディンだ。
さらに1990年代以降は、湾岸戦争、アフガニスタン侵攻、イラク戦争と立て続けに介入を繰り返している。
中東での軍事活動を支えるために、米軍はバーレーンに中東軍の巨大な基地を置いている。
また2001年に起きたアルカイダによる9・11テロもペトロダラー体制の副作用と言えなくもない。

そもそも石油価格が不安定

もう一つペトロ・ダラー体制の根本的な問題点の一つが、”そもそも石油価格が不安定”という点だろう。
金は、そもそも実用性がほとんどないため、実需による価格の変動は比較的少ない。
一方で、原油は究極の消費財のため、世界の経済の状況によって需給が大きく変動する。それに応じて価格が乱高下することになる。
また近年では、中国などの新興国の需要が激増した関係で、旺盛な需給による価格の変動が激しくなっている。

第二次ニクソンショック?

仮にトランプ政権が誕生した後、第二次ニクソンショックとも言える通貨価値の調整、特にドルの減価が行われるとして場合、何が起きるだろう。いくつかシナリオを想定してみたい。

85年プラザ合意型:グローバルサウスの反対で無理

最初に考えられるのが、1985年に行われたプラザ合意のような協調体制によるドル減価を伴う通貨価値の調整だ。
しかし今回は事情が聊か異なる。世界的なドル保有者に中国やロシアが含まれている。彼らがアメリカの言うことを素直に聞くだろうか。
1985年当時は、日本と西独は経済大国とはいえ、冷戦下で安全保障を米国に完全に依存していた。米国に逆らうことは出来ない。
一方現在は、中国やロシア、産油国のサウジアラビア、そして最近とみに発言力を増しているグローバルサウス諸国が、世界的なドル保有の半分近くを占めている。これらの国が、すんなりと貯めこんだドルの減価を受け入れるとは思えない。何しろウクライナへの支援でさえ足並みがそろっていない状況だ。
逆に下手にドルの切り下げを行おうとすると、中ロやインドなどのグローバルサウス諸国や、加えてサウジなどの産油国がドルを売ることで、制御不能のドル大暴落を引き起こしかねない。

第二次プレトンウッズ体制:金本位制復活

もう一つのチョイスとして考えられるのが、何らかの形での”金本位制の復活”だ。
実際にここ10年ほどの間に、中国やロシア、インドなどの新興国を中心に各国の中央銀行がドルを保有を減らし、巨額の金を購入している。
またプレトンウッズ体制の下で、アメリカ経済は、黄金の50’sとも言われる1950年代の繁栄を誇っていたことから、アメリカの国内にも金本位制への復帰を唱える勢力が依然として存在している。
そこで外国為替レートを金に固定することで、再び第二のプレトンウッズ体制を構築すべきだとの話が出るかもしれない。
実は、この固定相場制復帰を部分的に行ったのが、欧州共通通貨であるユーロだ。ユーロで実現できたのだから、世界共通通貨も不可能ではないとの話が出るかもしれない。
しかし、プレトンウッズ体制が成立した時と異なり、世界を圧倒的にリードする国が今は存在しない。ユーロ統合の際には、独仏という圧倒的な力を持つプレーヤーが存在した。それでもポンドを巡って大混乱が生じた。仮に世界通貨のようなものを導入しようとした場合には、為替レートの設定一つをとっても意見の一致を見るのは不可能だろう。

本命?ビットコイン本位制

最後に考えられるのが、ビットコインなどの暗号資産をある種の準備通貨にした為替制度かもしれない。実際にトランプ元大統領は、ビットコインなどの暗号資産に好意的と言われている。最近行われた暗号資産のカンファレンスにもトランプ元大統領自身が出席している。

暗号資産を用いた国際通貨体制の再構築については、次回の(その2)で考えてみたい。






第二次

ニクソンショックとは?

1971年8月15日に当時のアメリカのニクソン大統領が突然ドルと金の交換停止を発表した。これが有名な”ニクソン・ショック”だ。
アメリカは1944年に締結された”スミソニアン合意”に基づき、金一オンスと米ドル32ドルを交換することを約束していた。”金為替本位制”と呼ばれることもある金本位制の一種だ。
そして、このスミソニアン体制の下で、各国の通貨はドルに固定されていた。日本の円は、ご存じの通りニクソン・ショックまでは、一ドル=360円の固定相場制だった。
第二次大戦直後は、アメリカの経済力が圧倒的で、ほとんどの国が対米貿易赤字を抱えていた。アメリカは、スミソニアン合意で設立されたIMFと世界銀行を通じて各国にドルを貸し付けることで、戦後の国際経済体制は維持されてきていた。
日本もアメリカに輸出をすることでドルを獲得すると同時に、世界銀行などから借り入れた長期のドル融資を活用して、新幹線や製鉄所の建設資金に充てていた。
しかし日本や西ドイツなどの復興が進むに従って、このドルと金の交換を保証する体制に軋みが生じ始めた。
特に日本と西ドイツが対米輸出で巨額の貿易黒字を計上するようになると、国際金融市場でドルが余るようになり、固定相場制を圧迫し始めた。
また当時燃え上がっていたベトナム戦争でアメリカが巨額の支出をしたことも、ドルの余剰に拍車をかけた。当時の日本でも、ベトナム戦争向けに在日米軍が巨額の物資調達を行ったことから、対米貿易黒字が膨れ上がることになった。
最終的には、対米自立を志向するフランスが、アメリカに対してドルと金の実際の交換を要請したことを契機に、アメリカ政府は突然ドルと金の交換を停止することになった。

第二のドル・ショック

今回の大統領選挙でも既にトランプが、ドル高是正に言及している。また円と人民元がドルに対して安すぎるとも発言している。
ドル高是正をやる気満々だ。
仮にトランプが大統領当選後に”ドル高是正”を行う場合には、どのような展開が考えられるだろうか。



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