見出し画像

【石丸ショック】マスコミがマスでなくなった日

7月7日に行われた東京都知事選の結果が波紋を呼んでいる。
といっても当選した小池都知事のことではない。
165万票を獲得して2位に躍進した石丸氏のことだ。

選挙後のテレビインタビューが大炎上

石丸氏が話題を呼んだのが、投票結果が出た後のマスコミとのやり取りだ。型通りの質問を投げかける各テレビ局のキャスターやコメンテーターに対して石丸氏がとった”木で鼻を括ったような”態度が炎上した。
この石丸氏のツッケンドンともとれる受け答えに対しては、パワハラだ、大人げないなどの批判が相次いでいる。
普通なら型通りの受け答えをするだけの選挙後のインタビューで、何故石丸氏があのような受け答えをしたか不思議に思った人も多いだろう。
一部では、石丸氏がサイコパスやアスペルガーではないかという話まで出ている始末だ。

Youtubeでは普通に対談

しかし一方で、選挙前後のYouTubeなどの動画を見ると、石丸氏は対談相手の質問に対してきちんと受け答えをしている。
たしかに内容的には”薄い”と思わないこともないが、受け答え自体は丁寧に行っている。
このことからわかることは、石丸氏の一見、相手を見下したような対応は、むしろTV向けに作られたものではないかということだ。

テレビはもうマスではない

以前なら在京キー局のTVとなれば、首相をはじめどの政治家も出演したがる垂涎物のメディアだった。
これは大手マスコミが、一種の”情報のゲートキーパー”として機能していたからだ。スマホやSNSが登場する以前の時代には、テレビなどマスメディアが取り上げなければ、その問題は、事実上世の中に存在しないも同然だった。
しかしSNSの登場で、マスコミのゲートキーパーとしての役割は、大きく変化してきている。最近では、大手メディアが取り上げなくても、SNSが中心になって炎上することで、世間の注目を浴びることが増えている。その一例が昨年大きな話題となったジャニーズによる性加害問題だろう。
SNSを中心に集票をした石丸氏にとっては、TVなどの従来型マスコミへの対応は、どうでもいいことかもしれない。むしろ相手を攻撃することで、SNSを中心とする”石丸信者”に向かって”マスゴミ”と闘う勇者アピールする場にすることさえ出来る。今回のTVでの炎上騒動は、これを狙ったのではないかとさえ思える。

旧来型マスゴミの構造的欠陥

今回の都知事選に関する騒動で、改めて露呈したのが、旧来型メディアの代表であるTVの弱点だ。

”尺”問題

弱点の第一に挙げられるのが、所謂”尺”と呼ばれる放送時間の制約だ。TV局には当たり前だが、チャンネルが一つしかない。その限られたチャンネルで放送可能な時間には、物理的な限界がある。そのため、ややもすると表層的なやり取りにならざるを得ない。
この”尺”の問題にチャレンジしたのが、田原総一朗で有名な”朝生”だろう。深夜帯をあえて選ぶことで”尺”の問題の限界突破に挑んだ。しかしやはりTVの限界を完全に克服することは出来なかった。そして今では完全に”オワコン”だ。

予定調和

もう一つの弱点が内容が予定調和的になりがちなことだ。放送時間の”尺”が限られている以上、予め、ある程度の”結論ありき”で番組を制作せざるを得ない。要は事前に”シナリオ”が用意されていて、コメンテーターや解説者は、予め定められたシナリオ通りに発言することになる。
本来TVの視聴者の大半は所謂”情弱”だ。自分で独自に情報収集する能力も意思もない。従来ならTVが提供する”結論”を”正しいもの”として無批判に受け入れていた。何しろ”TVが言っている”のだから、”真実に違いない”という訳だ。
しかしSNSが登場したことによりTVとは違う”別の意見”を簡単に入手できるようになった。コロナに関する情報が典型だろう。マスコミや政府が発表する情報に違和感を持った視聴者・国民は、YouTubeやⅩで簡単にTVとは異なる”オルタナティブ"な情報を入手できることに気づいた。政府やマスコミの放送内容に対して”認知的不協和”を感じた多くの人が、その”違和感を解消”してくれるSNSの情報に飛びついた。
そのSNS上では、ユーザーの滞在時間を最大化するようにアルゴリズムが組まれている。ユーザー個々人に最適化したコンテンツが津波のように切れ目なく提供されることで、認知の強化が図られる。これは一種の”麻薬”だ。SNSに脳の報酬系を絶え間なく刺激されることで、ドーパミンが出続けたユーザーは、更にSNSに嵌っていくことになる。もうTVを見る時間はない。

報道ではなく”誘導”

TV番組が”尺”で制限されている以上、内容は”予定調和”にならざるを得ない。その結果、TVの内容自体が、報道ではなく”誘導”になってしまっていた。この結果として、実際に”どのような内容を放送するか選別することで”世論を誘導する力”をTVが持つことになった。これがテレビ局のプロデューサーや経営陣が絶大な権力を持つことを可能にした理由だ。
その代表例が平成の時代を代表するニューズ番組である久米宏のニュースステーションだろう。ニュースステーションは、放送開始当初から、その従来のニュース番組とは異なるスタイルが視聴者に受け入れられ、絶大な影響力を誇ることになった。そして一時は、時の政権の存続さえ左右する力を持つようになった。

SNSがマスを分解してしまう

ところがスマホ+SNSという強力なライバルの登場で、このTVを中心としたマスメディアの権力が崩壊を始めることになった。
SNSでは、基本的にコンテンツを作るのはユーザーだ。プラットフォーマーは、あくまでも”場”を提供するに過ぎない。
そしてユーザーは、ほぼ無限にあるコンテンツの中から”自分にあったコンテンツ”を選ぶことができる。TVが一方的に提供するコンテンツを押し付けられることはない。
また視聴履歴や”イイネ”ボタンを通じて、表示されるコンテンツが更に最適化されていく。そこにま大手TV局や電通などの広告会社が想定する”マス”は存在しない。無限に分散した素粒子のようなユーザーがいるだけだ。

マスごみが”マス”でなくなる

今回の東京都知事選における石丸陣営の躍進は、マスコミ特にTVのオワコン化を決定的にしたように思われる。”規格化”された”大衆向け”のコンテンツがその威力を失ったのだ。
そして今回話題になった石丸氏のTVでのちぐはぐなやり取りは、TVがもはやオワコンメディアとして”いじられる対象”に落ちてしまったことを象徴しているようだ。
”マスゴミ”と揶揄されていたうちは、まだましだったのだ。そこには多少なりともTVなどマスメディアが持っている力に対する”畏敬と畏怖”が感じられた。
しかし今回の石丸事件を見るにつけ、TVは以前の”権威と権力を備えた最強のメディア”から、”東スポ”や”週刊実話”のような”面白コンテンツ”に堕してしまったようだ。

石丸とはブランドだ

素粒子のように分散してしまった”大衆”だが、人間本来の欲求として”群れる”ことを欲する面がある。所謂”社会性”と呼ばれるものだ。
群れることに対する欲求を満足させるためには、ある種の”シンボル”が必要だ。そして今回の都議選での”シンボル”が、”石丸伸二”というキャラだったのだろう。
このシンボルは、ブランドもののブランドと一緒だ。中身を伴わなくても構わない。”誰かと一緒にいたい”、”誰かの共感が欲しい”、”誰かに認められたい”という欲求を満たしてくれればいいのだ。要は”押し活”の”押し”ようなものだ。中身がなくても構わない。
その意味で、”石丸伸二”は全てを備えている。京大卒、三菱UFJ勤務、そして”イケメン”という三拍子がそろっている。彼自身が”ブランド”なのだ。
そのブランド要素の中でもSNSの石丸信者が特に反応しているのが、”三菱”だ。日本社会の陰の支配者として君臨している”三菱”のブランド力は強力だ。そして”三菱ブランド”を”押す”自分も、あたかも”三菱ファミリーの一員”になったような錯覚を支持者に抱かせているのかもしれない。

蓮舫ブランドの凋落

今回の都議選での石丸躍進と並んでのサプライズが、蓮舫候補の凋落だろう。そして、この蓮舫候補の凋落もTVなどマスメディアの凋落と並べてみると理解しやすいかもしれない。
元々、蓮舫氏が世間の注目を集めるようになったのもマスコミ、特にTVでの活躍が切っ掛けだ。その端正なルックスと青山学院大学卒業の洗練された都会的なイメージは、政界のアイドル、反権力のジャンヌダルクとして、良くも悪くも多くの有権者の関心を捉えた。そして自身も、そのイメージを存分に利用してきた。
しかし、この一見華やかなイメージが象徴するのは、正にTVが提供してきた”規格化されたコンテンツ”そのものだったのかもしれない。そして”大衆向けに企画された商品”である蓮舫氏は、もはや多様化したユーザ=有権者のニーズにを満たすことは出来なかった。要は昭和時代のアイドルと一緒だ。憧れの対象ではあっても共感は得られない。ユーザー=有権者が求めているのは、多少ブスでも、歌が下手でも、共感が感じられる”会いに行けるアイドル”なのだ。
蓮舫氏が都知事選に際して、具体的な政策を提示できなかったのも、反権力の闘志、ジャンヌダルクという規格化された商品のイメージに縛られたためだろう。具体的に政策を提示すれば、当然反対意見が出てくる。蓮舫氏の反権力とは、あくまで自民党や小池都政などの”反対する対象”があって初めて存在価値を発揮できるものだったのだろう。

政治は”押し活”へ

今回の東京都知事選以降、政治の主軸は、政策ではなく”ブランド競争”になるだろう。既に多くの識者が指摘しているように、大半の国民は、複雑な政策を理解する知力も意思もない。あるのはイメージだけだ。
今までは、そのイメージをTVを中心とするマスコミが作り上げていたが、今やその主戦場はSNSに移ったことは明確だ。
今後も石丸氏に続いて多くの”ブランド候補”が雨後の筍のように登場するだろう。そして”押し”のイメージを確立できた候補者、政党が今後の政界での勝者となるかもしれない。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?