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倭人は暢草を献じる32(小説)(エッセイ・とんぼ)

エッセイ・とんぼ < 万の言の葉 >

「万両」
サクラソウ科の常緑小低木。
高さ約1メートル葉は互生し、長楕円形で厚く、光沢がある。
夏、葉腋に白い小花を下向きにつける。
果実は球形、赤く熟して冬から春まで保ち、観賞用。
季節冬。(広辞苑より)
万両という言葉の響きからも縁起の良い植物と言われているそうです。
財運や徳の高い人などの意味もあり景気がよくお正月のお飾りにも使われていますよね。
庭にも何本か植えてありますが、庭石や石灯籠の影に植えてあって
回り込まないと見えない場所に目立たぬように咲いています。
先祖代々の方々がささやかに一家の繁栄を願って下さっています。

可愛い赤の実が沢山ぶら下がっていますが冬の間に鳥たちに食べられてしまいますね。
もう直ぐ本格的な冬が来ると我が家の庭にも鳥さん達がやってくるので
楽しみに待っているところです。
身近にある草花や樹木・生き物を見ながら四季を感じることができることは幸せなことです。
日本には約7,000種もの多様な草木が育っているそうです。

「フランスは、詩人の国。十九世紀の露西亜ロシアは、小説家の国なりき。
日本は、古事記。日本書紀。万葉の国なり。長編小説などの国には非あらず。」(太宰治・機関雑誌もの「浮かぶ葦」より 乱麻を焼き切る)

万葉。様々なあらゆる草木の葉。
日本には美しい草木の葉が何千種類と存在し
私たちはその草木と語り合い共に生活してきました。
日本の美しい景色。
そこから生まれてくる万の言の葉。
太宰治先生が書かれた「日本は万葉の国なり」。
美しい万葉の言の葉に思いを及ばせながら心の糧にしたいと思います。


♢「ほう、ふるさとを捨て、海を渡り、逃れてまいるのか。」
 「帰るべき故郷を奪われた者たちであります...」
  戦いに敗れ、難を逃れた難民達は
  何を求めて海を渡り秋津洲へ渡ってくるのか...

🌿秋津先生の著書で、難しい漢字や言葉、興味を持った事などは
 辞書やネットなどで調べながらゆっくり読んでみて下さい。
 きっと新しい気づきがあり、より面白く読み進められると思います。

倭人は、暢草を献じる32
原作 秋津 廣行
  「 倭人王 」より

豊浦宮の留守居を守る浪響なみひびきが、躊躇(ちゅうちょ)する
昆迩(こんじ)を見かねて応えた。

 「もともと海賊の多くは、長江口(ちょうこうぐち)周辺に多くの拠点を持っており、越王(えつおう)の配下にありました。
越(えつ)は長らく呉(ご)と戦いを続けましたが、呉(ご)を破ると
都を琅邪(ろうや)に移して、勢力を北に向けました。
この時、豊浦宮(とようらみや)は倭人(わじん)である山東の
莱族宇林(らいぞくうりん)を通じて、越(えつ)との交流が始まりました。だが、越王の北進策はそこまででありました。
最期の越王無疆(むきょう)が楚(そ)に滅ぼされてからは、さすがに豊浦宮と琅邪(ろうや)との交流は無くなりました。
王を失った百越衆は箍(たが)が外れたように散り散りに離散し、多くは南に戻りましたが、一部は、海賊となって山東半島や朝鮮半島に跋扈(ばっこ)する者も結構いるそうであります。」

 阿津耳(あつみみ)は、初めて聞く大陸沿岸の海賊の状況に、大いなる関心を持って聞いた。

 「越(えつ)の残党が海賊となって、東海を暴れていると申すのか。」

 「いえ、越人(えつじん)だけではありません。
戦いに敗れたものは、逃れる場所を失って、海に救いを求めてやって来るのです。だが、皆が皆、海賊となるわけではありません。
戦いを嫌い、難を逃れた難民の一部は、海を越えて秋津洲に渡り、知佳島や松浦や豊浦宮に流れて来る者もおります。」

 「ほう、ふるさとを捨て、海を渡り、逃れてまいるのか。」

 「帰るべき故郷を奪われた者たちであります。豊浦宮では、多くはありませんが、八潮男之神(やしおおのかみ)の許しを得て、これらの流民を受け入れ、宮の北海岸にひっそりと匿かくまい、生活させております。彼らについては、知佳島(ちかしま)の小値賀(おぢ)か衆が、責任をもってお世話しております。」
        
                             つづく 33



万両。赤い実から雫。
表からは見えない場所に。


勝手口前の庭石の傍に。

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