その日、私はたった2回カフェをした人のことを想いながら、涙が止まらなかった。
あれは本当に不思議な出来事だった。
特別タイプなわけでも、ロマンチックな雰囲気でもなく、ハプニングが起きたわけでもない。
たった2回カフェをしただけなのに、わけもなく涙があふれてくる。
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大学4年の秋、私はパリから大まかなルートを決め、のんびりとフランス一人旅をしていた。
航空会社で働く両親のもと育った私にとって、旅行は昔から身近なものだったので、大学時代は留学と旅の思い出ばかりだ。
現地の暮らしを知るのが好きで、旅では「Workaway」と「Couchsurfing」を愛用した。Workawayはお手伝いと交換に、食事や部屋を提供してくれるサービスで、Couchsurfingは文化交流を目的に、人の家に泊めてもらうサービス。Couchsurfingで見知らぬ人の家に泊まることは躊躇し、利用者同士がコネクションをもてるチャット機能だけを利用していた。
現地の人と積極的に関わる一人旅には、寂しいことはない。
フランスの家庭で子供のお世話を手伝ったり、同じく一人旅をしているドイツ人の女の子と待ち合わせて朝ごはんを食べたり。
私の旅はのんびりとゆるやかで、充実していた。もう会うことはないと思うからか、出会ってすぐに大きな夢や悩みなどを語りあうこともあり、そんな時間は楽しかった。
そんななか、南フランスのニースにたどり着いた。
ニースで出会ったのは、長い金髪の男だった。
待ち合わせ場所に10分遅刻して現れたその人は、スウェットパンツ、ビーサン、キャップに、猫背気味で、不良のように見えた。
「あやしい…」
一人旅でとぎすまされている私の危険センサーが、わずかに反応した。
しかし、今日はこの人に街案内をしてもらうことになっている。
「行こうか。こっちだね。」
流暢な英語で、はにかむように笑うその人を見ながら
不審者なのか良い人なのか、イケてる人なのかやばい人なのか、私の経験値では判断がつかなくてバロメーターが左右に揺れていた。
Niceのビーチには「Castle Hill 」と呼ばれる城跡がある。
ここはニースがまだフランスから独立していた頃の要塞で、ルイ14世により破壊されたもの。今では公園になっており、ニースを一望できる素晴らしい眺めが人気となっている。私たちはそこへ向かっていた。
「こっちからも行けるみたいだね。」
城跡に登る、隠れた細い道を指して、彼が言った。
「いや、普通の道の方が良いんじゃない?」
誰もいない道に連れ込もうとしているのかもしれないと半信半疑だった私は、他の観光客が通っている道を選んだ。
登りながら私たちは、過去の旅について話し始めた。
彼はオーストラリアを2年、タイを1年旅していたことのある、なかなかの旅人だった。
オーストラリアで何ヶ月も宝石を採り続けていたこと。そして宝石はまるで卵からでてくるように殻の中からでてくることがあること。酔っ払ったアボリジニをたくさん見たこと。キャラバンで、店のものを盗むことが大好きな老夫婦に出会ったこと。そのおばあちゃんが「盗んだビールはたまらなく美味しいねえ」と、にやっと笑うこと。
タイのバス停で適当に行き先を決めてたどり着いた島が楽園だったこと。
島の料理人は、バンコクでは食べたことのないほどの美味しいタイ料理を作ること。僧のもとで働いて、瞑想をする習慣がついたこと。
それは、私がしてきた旅よりもずっとワイルドで偶発的で、冒険そのものだった。城跡の頂上に着いたときには、私はお腹をかかえて笑っていた。
その日は10月31日、ハロウィン。
私たちはカフェに寄って一杯飲むと、まだ日がでているうちにさよならをした。
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2日後、Niceの近郊にあるEzeという有名な観光地に連れていってもらった。別にまだこの人のことを完全に信用していたわけではない。ただ、カフェもEzeの植物園の入場料も、さらっと払ってくれるジェントルマンな一面が垣間見えた。
こういう人はもちろん下心があるだろう。油断は大敵だ。
Ezeは岩山の上にあり、中世の面影を残す魅力的な村だった。私たちは地中海を見渡した。海は力強い太陽の光に反射し、キラキラと輝いている。
ヨーロッパにいると「もう耐えられない...!」と思うほど「美しい」という感情が身体中を支配することがある。自然、古い建物、歴史が作り出すコラボレーションは、私にとってはまるで宝箱の中に落ちてしまったような、至福と興奮の体験となるのだ。
Ezeの景色を見終わると、ふもとのカフェでクレープを食べた。6時ごろだっただろうか。
「じゃあ、夕食の用意をするから、そろそろ帰らないと。」彼が言った。
「あ、そうなんだ...!」
この不良は、6時には家に帰るのか!そして夕食を料理するのか。
「またいつか会えたらいいね」
私が泊まっているホステルまで見送ってくれた彼は、さらっと帰って行った。結局、全く危ない人ではなかったのだ。
私は疲れてベッドに横になった。
そろそろニースをたってリヨンへ向かう予定だ。もう会うことはないだろうな。もしかしたら数年後くらいに日本にくるかな。
そんなことを考えながら、ぼーっと天井を見つめていた。
え?
気がつくと顔が涙で濡れていた。
なんだこれ。
たった2回会って、カフェで話しただけ。得意の一目惚れもしていないし、タイプでもない。
しかし、涙は次から次へとあふれてきた。自分ではどうしようもなかった。悲しいという感情とも違うのだ。
「日本に来ることがあったら、連絡してね。今日はありがとう」それだけメッセージを送って、私は翌日リヨンへ旅立った。
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1週間後、リヨンで23歳の誕生日を迎えた。
「Happy Birthday ! Enjoy your day :)」彼からきたFacebookのメッセージを、今でもとてもありがたいと思う。
それがきっかけで、私たちはオランダを一緒に旅行することになった。自然と始まった遠距離恋愛は、気づけばもうすぐ4年目を迎える。あの不思議な涙は魂からのサインだったのだろうか。
彼はとてもリラックスしていて、自然を愛し、人生は楽しむためのもの、ということを知っている人だった。昔から良い成績をとって「認められたい」と頑張りすぎてしまう私は、このスタンスに何度も救われた。
秩序があり、丁寧で、美しい。同時に、窮屈で、他人の目を気にして頑張りすぎてしまう、そんな日本。日本で育った私たちは、力を抜いて自由に自分を表現していいということを、忘れてしまいがちだ。
土日も仕事のことが心配でパンクしそうになっている私に、彼が「なんで休みまで会社に捧げる必要があるの?自分の人生でしょう」と問いかけてくれたことは数知れない。
数ヶ月に一度会える時間を通して2人で10カ国以上をまわってきたけれど、来年からはずっと一緒にいたいと思う。
私たちのこれからは、どんな物語になるのだろう。
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