その気持ち、君だけの才能
”頑張ったこと”に対しては”褒められたい”気持ちくらい生まれる。”言えないこと”は”言わないからいいこと”だったりもする。不平等だなって感じる日々、それは気付いたら嬉しい誤算になってる。
・なんであの子だけ褒められるの?
・言いたいことも言えないのは弱さのせいじゃない
・この才能、実は気付いてくれている人がいるよ
なんであの子だけ褒められるの?
だいたい、日の当たるステージに立っている人はいつも一緒だった。同じことをしたって、その人より何か「頑張った」って思えることがあったときでさえも何一つリアクションも貰えないことがざら。
「言われないこと」=「それだけ高い評価」っていう方程式を持っている数学者はエセだ。人はいつだって「一言」を欲しがっているんだから。
人一倍気を使って、その場に上手に溶け込もうとして、他の人を盛り上げようとした結果、脇役にされてしまうんだから、損な役回りだって言いたくもなる。
「言ったもん勝ち」だってのもわかる。言わなきゃ伝わらないこともわかってる。でも気付いてほしかったりしてることにも気付いてほしい時だってある。
大金を積んで欲しいわけでもない。どこかに連れて行って欲しいわけでもない。つまり、大きな対価を得たいわけじゃない。
「よく頑張ったね」「偉いね」って言ってほしかっただけなんだけどなー。
言いたいことも言えないのは弱さのせいじゃない
物事をはっきり好き嫌いで分けて、それを言動にして表現できることは凄いと思う。
それと同時に思うのは、「イマジネーション出来ないのかな」とも。
人の気持ちを考えることってしようと思って出来ることじゃなくて、これは生まれ持った才能でしかない。
どれだけ読書したって、人の話を聞いたって、自分ファーストの人には永遠にわからないし、身に付かない。
おかげでこの才能の所持者は至る所でその力を発揮しているわけだけど、同時に多大なる自己損失をしている。
サッカーでは、点を取る”フォワード”にばかり注目が寄る。最後にゴールを決めた人がヒーローになるシナリオで出来ている。
その”フォワード”に気を配って、相手選手をガードしたり、走るスペースを作ったりしている、つまり、見えないアシストをしている所はカットされて放送される。
ちらっとだけでも放送してくれたら、それだけで嬉しいのに、なかなかカメラはこっちを映してくれないものだ。悲しくもなる。
これを「もっと自分出して!」とか「素直になりなよ!」とか言ってくる人。ホントにイマジネーション能力、皆無だなと思う。
この才能、実は気付いてくれている人がいるよ
ずっと「損だな」って思ってた。今でも思ってる節はあるけど、その気持ちをしまえる引き出しは手に入れた。
ホントに今まで日の目を浴びてこなかった、それは自分の力、自分で選んだ道、そうやって自分ばかりを責めてきたけど、少しこの考えにチクリとした痛みを与えたらスッキリした。
振り返れば、沢山の人に支えられてきたことに気付く。いや、気付いていたけど何か余計な高みを夢見すぎて目の前の幸福が霞んでた。
僕は沢山の人からいただいた光で”光合成”をしてきた。その繰り返しが今の、何の不自由のない、贅沢な悩みしかない日々をつくりあげたことは言うまでもない。
欲しいものや食べたいもの、行きたい場所や気になる場所、大切な時間、貴重な時間、ほぼほぼリアルに感じて生きてくることが出来たのは、きっと「言えなかった」「弱かった」「気にしてた」自分が生み出した財産。
日の目を浴びてこなかったことは、日の目を浴びるための準備運動だったのかもしれない。いや、準備運動でさえなかったのかも。今、ランナーズハイの状態になっているだけかもしれない。つまり、生まれてから今日までずっと走っていたってこと。
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