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架空家苞記「笑う晶洞種子」

MEMO
場所/廃鉱跡地の山奥
案内/地主の女性
備考/当初は地主のご子息が同行予定だったが、急用が出来たとのことで地主の女性が案内を引き受けてくれた。高齢だが足腰は元気なので大丈夫と本人談。しかし念のため、予定時間を短縮してルートも変更。立ち寄った沢で女性が動揺したため、当初の目的地である廃鉱跡地には到達せず。


まあまあ、本日はよくお越し下さいました。夫が亡くなって以来、山まで来たのは久々で……人様をご案内するなんて初めての事ですから、不手際がありましたらお許し下さいまし。それにしても、お天気に恵まれて良うございました。ほら、あすこの廃鉱跡地から山稜の方までよく見渡せますでしょう。

わたくし は普段は別の場所で暮らしております。ええ、土地の管理等は専門家にお任せしておりまして、ほとんど山には来ません。元々、父がこの鉱山を継ぐまでは都会育ちでしたから、ここでの生活が合いませんで……。越して来た当時も苦労しました。

辺りは森と山ばかりで、街とは大違い。私は昔からこの通りでしたから、村の子供達から慇懃無礼な余所者だと揶揄されて、いつも寂しい思いをしておりました。そのような思い出が私を山から遠ざけた一因でございましょう。父から夫が事業を継いだ後も、私は山にはほとんど入りませんでした。

さあ、廃鉱跡地はこの先です。この下に川がございまして、その下流に……川ですか?ええ、雪解け水が流れているような小さな川ですよ。昼でも薄暗くて、楽しい場所ではございませんが、本当にご覧になりたいですか?……承知しました。さあ、こちらへ。

足元が滑りやすいですから、お気をつけ下さいまし。ああ、この場所も随分と久しぶりです。子供の時は陰気な場所だと思っておりましたが、今も薄気味悪い、泥の香りが体にまとわりつくような心地がします。このような場所に興味がおありなのですか?まあ、不思議な方ですこと。

ではここで少し休憩して、それから廃鉱に向かいましょう。

あら、何でしょう?魚でもおりましたか?……まあ、貴方、それは良くない物ですよ。ああ、お願いですから、その恐ろしい物を私に見せないで下さい。どうか遠くにやって下さいまし。後生です、どうか。

……取り乱して申し訳ございません。でも、あれは私にとって本当に良くない物なのです。ご覧になりましたか?指先ほどの種子の中に、キラキラと怪しく輝く結晶が詰まって……。ええ、私にはそれが何より恐ろしいのです。ああ、もう二度と見ないと思っていたのに。

先程お話しましたように、祖父から鉱山業を継いだ父と村に越してきた時、私は十一でした。父は快活な人格者で、村の方達とはすぐ懇意にされておりました。しかし、鉱山労働者の子供達は山育ちで、私のような者は物知らずのおひい様だと囃し立てられ、一向に馴染めませんでした。

それでも私が子供達と交流を続けたのは、母のためです。家に籠っていても優しい母を心配させるばかりですから、私は毎日村の子供達に付いて回りました。馬鹿にされ、追い払われても、私は黙って彼らに付きまとう以外の方法を思いつきませんでした。彼らの両親が鉱山での仕事を終えて帰ってくる頃合まで、私は粗暴な子供達の良い憂さ晴らしを務めたという訳です。

その日は、厳しい寒さが和らいだ朝でした。私はいつものように子供達の輪の外に佇み、彼らの話に耳を傾けておりました。今もその朝の妙な静けさが忘れられません。水車小屋や家々は雪解け水で濡れていて、鉱山の方からは作業場の煙がたなびいて、畦道に集まった子供達の中心には揃いの外套を着た兄妹がおりました。

お兄さんは少々乱暴者でしたが、子供達のまとめ役でした。妹さんはお兄さんを敬愛しており、二人はいつも一緒で、私はその仲睦まじい様子を密かに羨んでおりました。冬の雪深い山には子供だけで入る事を禁じられていましたので、ようやく雪が解け始めたその日、山に行こうとお兄さんが提案したのです。

私は黙って彼らの後を付いて行きました。雪の残る山は寒かったですが、初めて歩いた深い山道、険しい崖、木に下がった氷柱、風の音と鳥の鳴き声、高台から見る景色は新鮮に感じました。子供達は私が付いて来ているのを知っておりましたが、ようやく山に入れた興奮が先立って、わざわざ苛めてくる様子もありません。

しばらくして、誰かが沢に下りて山菜を探そうと言ったのです。皆は流れる川の傍まで行って、残っている雪を掻き分け始めました。私は山菜など知りませんが、母への土産が欲しかったのです。皆から離れ、一人で木々の根元を眺めた時、私はあれ ・・を見つけてしまいました。ええ、先程貴方が見つけた種子です。

固い殻がひび割れて、中に光り輝く物が見えました。掌の上で、木々から零れる日の光を反射して、本当に綺麗でした。貴方、晶洞をご存じですか?岩石の中に熱や水で空洞ができて、そこに結晶が形成されるものです。鉱山でもよく見られるもので、父が大きな岩を輪切りにして見せてくれた事がありました。あの輝く宝石がぎっしり詰まったような美しい晶洞が、不思議な事に小さな種子の中に在ったのです。

私が種子を見つけた事に気づいて、子供達が集まってきました。彼らは口々に、このような種子は雪解けの季節にだけ見つかるもので、見つけた子供の宝物になるのだと言うのです。先程まで私を無視していた子供達の羨む顔に囲まれ、私は静かな興奮と大きな困惑で混乱しておりました。どうやら私の持つ種子は、今まで子供達が見つけた中でも特に大きく、美しかったようです。あの兄妹も驚いておりました。

特に妹さんは感心したようで、私にその種子を譲ってくれないかと頼まれました。自分の家にある一番美しい種子と交換してもいい、とまで仰って。私は何と返事をしたらいいか考えあぐねておりました。今まで村の子供からそう熱心に話しかけられた事は一度もありませんでしたから。黙りこんでいる私を、お兄さんは不愉快に思ったのでしょう。

なんだい、物知らずのおひい様には勿体無いやと言って、私の手から種子を摘まみ上げ、彼の口に放り込んでしまったのです。彼からすれば、妹さんを困らせる私が気に食わないし、皆が羨むような物が手に入らないのであれば無くなってしまえばいいと考えたのかもしれませんわね。私は怒りも悲しみもせず、ただ驚いてしまって……。

妹さんも驚いた様子で、吐き出すように言ったのですが、お兄さんは既に種子を嚙み砕いて飲み込んでしまった後でした。生意気なやつは放っておけ、彼はそう言って背を向け、沢を下流に向けて降り始めました。あっという間の出来事に驚いていた子供達も、各々気まずい顔をして歩き出しました。私は呆然としておりましたが、けっきょく彼らの後をいつものように追い、山を下りました。

その夜は色々な事を考えて、眠れませんでした。種子の中の輝き、妹さんのお願い、冷えて帰ってきた私を心配する母の顔……。だから、次の日の朝は寝不足で、父からあのお兄さんが亡くなったと聞かされた時もすぐに反応ができませんでした。ええ、彼が亡くなったと言うんです。昨晩、いつも通りに家族で食事をとり、就寝し、そのまま目覚めなかったと。

そうです、因果関係などわかりません。昔は子供が突然亡くなる事なんて珍しくありませんから。今なら命を落とす可能性はほとんど無いような些細な病気やケガで亡くなる事だって。でも、彼は私の見つけた種子を飲み込んだのです。彼の死因が何であれ、私は動揺し、震え上がりました。

この辺りの風習で、子供の葬儀には子供は出席しません。子供を持つ人も大人だけが出席するのです。私の両親も私を家に残し、お兄さんの葬儀に出かけました。鉱山の仕事も休みになり、私は不気味に静まった村の片隅、両親の帰りを待ちわびて玄関で座っておりました。

しばらくして、門の外に立つ人影に気づきました。妹さんです。思わず門扉を開け、彼女に駆け寄りました。目元は真っ赤に泣き腫らし、頬は青ざめておりました。彼女は静かな声で、あれ ・・はもう誰も持っていてはいけないと思う、と言うのです。私はすぐにその気持ちを悟りました。急いで外套を着て、彼女と出かけました。

葬儀の留守番をしている子供のいる家を、妹さんと二人で巡ったのです。事情を説明すると、皆は黙って頷き、宝物である自分の種子を差し出してくれました。妹さんが外套のポケットに全ての種子をしっかりしまい、それから山へ向かったのです。二人とも一切喋りませんでした。慣れない山道を、空腹と寒さに震えながら、妹さんから離れないように必死に付いて行きました。

妹さんの案内で辿り着いたのは、山道から外れた深い森の奥、獣道の先にある淀んだ小さな沼でした。集めた種子をポケットから取り出し、私達は二人で全て沼に投げ込んだのです。小さな種子達は水音を立てて、濁った水の底へ沈んでいきました。これで終わりだと私は安堵しました。でも、そうではなかったのです。

妹さんと沼の水面を眺めていると、小さな泡が底から立ち上ってきました。種子の中の晶洞が、水の中でパチパチと弾ける音も聞こえたんです。細かい泡が、弾ける音が、小さなさざ波が、たくさんたくさん、何重にも重なって、まるで子供の笑い声のように聞こえるのです……私は凍り付きました。

沼の底に沈んだ子供達が、あのお兄さんが、笑いながら手を伸ばして、今にも私を引きずり込もうとする……恐ろしい幻影が私の頭いっぱいに広がって、動けませんでした。次の瞬間、妹さんが私の腕を掴んでその場から駆け出したのです。彼女も恐ろしかったでしょうに、私を引きずって走り続けました。今も彼女の手の強さと、目の前で揺れるおさげ髪の後ろ姿を鮮明に思い出せます。

二人で転がり落ちるように山道を下って、私達は村に戻りました。我が家の玄関には留守番の私を心配して様子を見に来てくれた庭師の老人と、葬儀から戻った両親が立っておりました。全身泥だらけの私達を見て、さぞ驚いたでしょう。両親は叱る事もせず、泣き続ける私達を慰め、暖炉の傍で暖めてくれました。

件の種子についても、庭師が虫の図鑑を見せながら教えてくれたのです。沢に生える木の果実に親虫が産卵すると、種子の中身を喰い尽くした幼虫が冬を越すために自身を半透明の粘液で覆い、休眠するのだと。その種子が雪解け水に落ちることで、半ば乾燥した粘液の中で蛹から目覚めて羽化するのだと。果実や種子に毒はなく、虫も無害であり、私達が気に病むような事は何もないのだと。

しかし、私達にとって、既に虫や種子や晶洞は重要ではありませんでした。

沼の底から響く、あの笑い声……。

私は何度も悪夢を見て、虫の図鑑のある部屋すら入れなくなりました。村の子供達に付いて回る事も、山で遊ぶ事もやめました。けっきょく、妹さんとはお友達にはなれませんでした。あの日の事はお互いに話し合う事もなく、一年程経って、彼女は遠方に住む男性の元へ嫁いでいったのです。それ以来お会いしておりません。元気でおられると良いのですが。

……ああ、長い昔話を聞かせてしまいましたね。申し訳ございません。とにかく、私にとってその種子が良くない物であるという事を判って頂きたかったのです。どんなに時が経っても、その種子は私の胸の中にあの時の恐怖を芽吹かせるのです。

貴方には関係の無い話ですから、私にはそれを捨ててくれなどと頼む事はできません。でも、もし貴方がそれを持ち帰りたいのであれば……どうか、どうか、取り扱いにはお気を付け下さいまし。

くれぐれも、お気を付け下さいまし。


MEMO
概要/胚ではなく半透明の結晶状物体が詰まった種子。案内人の話によれば分泌物に内包された昆虫の蛹であると思われる。外殻、結晶状物体共に乾燥して固い。
保存/表側の汚れを除去後、除湿剤と共に密封容器で収蔵済。
余談/帰路で購入した絵葉書で案内人に礼状送付。後日、時候の挨拶含む長文の返信あり。案内を途中で切り上げた事の詫びと、改めて廃鉱跡地を見たいのであれば案内を引き受けるとの申し出。また、種子を水に浸けないようにと何度も念押しされた。収蔵済。

2022年 11月23日 小説家になろう公開

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