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架空家苞記「髪編みの唄」

MEMO
場所/いくつかの集落が統合された山奥の村
案内/地元を知るタクシー運転手
備考/案内人のおかげで移動が大変スムーズ、地元の美味しい飲食店も知れた。村の跡地は再開発のためほぼ確認できず、住民も大幅に入れ替わった様子。数十年前の詳しい事情を知りたければ村役場にある当時の記録書類閲覧申請が必要とのことだが、案内人いわくどうせ断られますよとのこと。


タクシー運転手になってからずいぶん長いですが、こんな依頼は初めてでね。案内といってもお役に立てるかどうか……ここで暮らしたのは両親の出稼ぎ中、祖父に預けられていた頃だけですから。再開発でかなり様変わりしてますし、村の元の様子がわかる場所は一部しか残ってませんよ。歴史的資料をお探しなら期待外れかも……違う?はあ、研究目的などではないと。そうですか。

ここからだと村の全景が見えるでしょう。あそこが祖父の家があった場所です。祖父は鍛冶屋で、村中の金物製造と修理を引き受けてました。作業場はお客さんから預かった刃物や金属加工の道具で一杯でね。危ないから入るなと言われていましたが、僕は祖父が仕事をする様子が好きで、よく覗き見たものです。

あの山の中腹あたりには共同墓所があります。さすがに再開発もされずに今も残ってますね。大昔は土葬でしたが、祖父の代に疫病が流行ってからは火葬が主流になったんです。それまでは亡くなった人を特別な儀式で弔っていました。あそこに土壁の小屋があるのが見えますか?ええ、そこで儀式を。……もう何も残ってないと思いますが、行ってみますか?

荒れ具合から見て、ずっと使われていないみたいですね。村の人もここまでは滅多に来ないでしょう。入っても大丈夫ですよ、古くても頑丈な建物ですから。ほら、入口の鍵も元からありません。ここは常に解放されていて、誰でも亡くなった人のために祈る事ができる場所なんです。さあ、中へどうぞ。

どうです?意外と広くて明るいでしょう。窓の向きが工夫されているんです。今は何もありませんが、昔は壁一面に亡くなった先祖達の髪編み飾りが飾られていました。僕は髪編み飾りに日の光が当たって透ける様子が気に入って、半日も眺めていた事がありましたね。……ええ、ご存じなくても当然です。この村独自の風習ですよ。亡くなった人の遺髪を綺麗な模様に編み上げて、飾るんです。

黒、茶色、赤毛、金色に銀色、短い髪に長い髪、模様もサイズも様々です。亡くなった人の家柄や個人の人柄などを反映して作るので、同じ飾りは存在しません。不気味に思われるかもしれませんが、髪編み飾りには死者の無念や命を落とした悲劇は感じられないんです。美しい模様に整えられた遺髪を眺めていると、村の歴史や過去に生きていた人々の存在を実感できるというか……。

飾りは髪編みと呼ばれる専門の職人達が作ります。彼らは小屋の裏手の山に住んでいて、ほとんど姿を見せません。村で人が亡くなると、彼らが呼ばれます。彼らは遺体から髪を切り取り、飾りを編み上げます。遺体を埋葬後、遺族が飾りを引き取り、ここに掛けて祈ります。彼らは葬儀屋とも墓所の管理人とも違う特別な人達なんですよ。一年中なめし革の外套を着ていて、一言も話しません。

たまに食料や道具の調達のために村に現れるのですが、まあ髪編みだとすぐわかりますからね。村の子供達は怖いもの見たさで遠巻きにして囃し立てて、村の人もあまり歓迎しているようには見えませんでしたね。彼らは大切な儀式の仕事をしているのにどうして尊敬されないのかと、子供心に不思議でしたよ。

祖父だけが髪編み達と交流してたんです。職人気質の頑固者でしたが、それ故に自分の仕事を必要とする人全員に公平に接する人でした。髪編み達は遺髪を扱うため、特に切れ味の良い刃物や特別な道具を使いますから、祖父の作業場まで修理を頼みに来る姿をよく見かけました。彼らは一言も話しませんがね、祖父は彼らの求める事を常に理解していたように思います。

一度だけ興味本位で、彼らの作業場へ行く祖父に同行した事がありました。祖父がハサミを研いだり、折れた釘を取り除いたり、彼らの道具を修理している間、周囲を観察してたんです。作業場の近くには髪編み達の家があり、女性や子供達もいました。皆が揃いの外套を着ている点と、妙な静けさ以外は、普通の村のようでした。

そこで彼と出会ったんです。こっそり忍び込んだ部屋で奇妙な刃物を見つけて……横の作業台には遺髪の束が置かれていました。思わず手を伸ばした瞬間、背後から「いけないよ」と囁く声がして、文字通り飛び上がりましたよ。僕と同じような背丈の子供が戸口に立ってたんです。僕が初めて聞いた髪編みの声でした。

彼は親切で、色々と髪編みの事について教えてくれたんです。ええ、彼は話してました。呟く程の小さな声ですがね、髪編みは一人前の職人になった者以外は言葉を発していいそうなんです。さすがに家族同士で会話もできないと不便ですもんね。で、なぜ一人前になると話さないのかと聞くと、彼は作業場へ連れて行ってくれました。あれは圧巻の光景でしたね。髪編み達が作業台に向かって、髪を細いピンセットや特殊な針で編みながら歌っていたんです。死者のための唄ですよ。

遺髪という素材は繊細で貴重ですからね。手元の髪を吹き飛ばしてしまわないよう、彼らは口を閉じたまま喉を鳴らして歌うんです。言葉や内容はわかりませんがね、僕はあれほど重々しく荘厳な唄を他に知りません。不思議と懐かしいような、いけない秘密を聞いているような凄まじい唄でした。髪編みの声はその唄のためだけに存在するので、彼らは話さないんです。

そうそう、革の外套についても教えてくれました。彼がフードを脱いで見せた顔……いやあ、あれは忘れられないですよ。まるでトカゲや蛇のようなツルツルとした肌で、体毛が一切ないんです。髪の毛も、眉毛も、睫毛すら一本も生えてませんでした。髪編みの人達は生まれつきそういう体質だと言ってましたね。肌を保護するために、特別な肌着と革の外套を着ないといけないみたいで。

……そうですね、村の人達が彼らを避ける理由も何となく察しました。共同墓所の裏の不便な山奥にひっそり暮らしてるのも、遺髪を編む仕事だけを任されるのも、おそらく髪編みの人達に対する差別に基づくものじゃないだろうかと。墓所の髪編み飾りの数を見れば、その歴史が数十年……いや百年以上は続いてきた事もわかります。

僕はただの余所者で幼く、彼らを慰める方法も言葉も持ち合わせていませんでした。でも彼の親切な態度や、髪編みの唄や仕事ぶりに感動した事は本当です。僕は彼にその気持ちを精一杯伝え、感謝しました。ちょうど仕事を終えた祖父が探しに来て、彼とはそこで別れました。彼と会話を交わしたのはそれが最初で最後です。

……。

共同墓所の奥に小高い丘が見えますか?あれは墓所に埋葬できなかった人達を集団で埋葬した場所です。ええ、僕が髪編みの作業場を見に行った後、村では疫病が蔓延して死者が多数出ました。祖父からは村へしばらく来ないようにと言いつけられました。幸い祖父は罹患しませんでしたが、村の様子を知らせる手紙が届く度に、両親と心配したものです。

仕方ない事ですが、村では感染拡大対策として感染者の遺体や遺品を全て燃やす事にしたんです。村人が亡くなるとすぐに遺体は火葬され、髪編み飾りを作ることもなくなったと聞きました。おかげで感染は徐々に抑え込まれ、疫病の流行も峠を越えたとの報せを祖父から受け取りましたが、僕はあの少年が気がかりで……。

数年後、ようやく祖父の許しを得て村を訪ねました。村はすっかり様変わりしていて……一番悲しかったのは、ここに飾られていた髪編み飾りが一つ残らず燃やされてしまった事です。疫病の流行以来、村の大切な遺産だった遺髪についても村人達に忌避感情が生まれたようで、役場が処分を決めたのだと祖父が話してました。

髪編み達も疫病のせいでずいぶん人が減ったそうです。髪編み飾りを作れなくなった彼らがどうしていたかと聞くと、村で誰かが亡くなるとどこからともなく現れて、葬儀を見守るようにあの唄を歌ったそうです。彼らは何も言わずにやってきて歌い、何も言わずに去っていくので、始めは皆不気味がっていたようですが……でも、疫病でお別れも言えずに亡くなってしまった家族や友人のために唄を捧げてくれる髪編み達の姿を見て、徐々に村人達はそれを受け入れるようになったと聞きました。

僕もその光景を見たんです。疫病がほぼ沈静化した頃、祖父と親しい農家のおばあさんが亡くなったと聞いて葬儀に行った時でした。遺族や知人の葬列から離れた場所、丘の上に髪編み達が立っていたんです。例の外套を着てひっそりと並び、口を閉じて、あの唄を歌っていました。いやあ、胸打たれました。美しい髪編み飾りが無くなっても、あの唄は残っていたんですよ。

そして気づいたんです、彼らの一人があの少年だって。でも僕が声をかけても、彼は穏やかな表情のまま一言も返事をしません。彼が一人前になったんだとわかりました。それでも言葉を受け止めてくれているように感じて、もう一度会えて嬉しいとか何とか、つまらない事を話し続けました。それから、君達の唄は素晴らしい、歌詞や意味を知りたい、僕にも歌ってほしいと言ったんです。

その途端、彼の穏やかだった顔が曇り、瞼を伏せて静かに首を振りました。僕は明確な拒絶の態度に驚きましたが、まあ確かに不躾な要求でしたから、恥ずかしくなって黙ってしまったんです。彼らはそのまま立ち去りました。その後は祖父が体調を崩して僕らと同居するようになり、都会の家で看取ったので、それから村に行って彼に会う事はありませんでした。

……今思うと、あれは死者の魂を慰める唄ではなかったのかもしれない。虐げられた髪編み達は、口に出せない、言葉にできない思いを村人達の遺髪に編み込んでいたんじゃないかって。それ以外の全ての言葉を捨てて、何世代も何十年もかけて……いや、すみません、ただの僕の想像です。その後、髪編み達もこの地を離れたと聞いてますし、きっと今はどこかで平穏に暮らしてますよ。そう思いたいです。

さあ、そろそろお昼時ですね。山の麓に美味しい店がありますから……え、何ですか?おお、それは正に髪編み飾りですよ。この建具の隙間に落ちてた?数十年前に処分し忘れたものが残っていたんですね。すごいですよ、貴重な発見です。

ああ、この繊細な模様、懐かしい、なんと美しい。やはり素晴らしい物ですよ。歴代の村人達は皆この神聖な飾りに祈りを捧げてきたんです。これを作る人達に恨みつらみなんて相応しくない。死者の髪に呪いを紡ぐはずがない。彼らは誇りを持って仕事をしていた。あの唄もきっと亡くなった人達を想う温かい内容だったんですよ。彼が僕に歌ってくれなかったのも何か理由があったに違いない。彼は悪い人じゃない。悪い事は全部僕の想像に過ぎない。そうでしょう?だってそうじゃないと……

ねえ、あんまりじゃないですか。


MEMO
概要/人間の髪の毛で編まれた飾り。髪の持ち主の情報、製造年代などは不明。
保存/案内人いわく髪はカビやすいので管理に注意とのこと。除湿剤と共に収蔵済。
余談/帰路で購入した絵葉書で案内人に礼状送付。後日、タクシー会社のダイレクトメールに走り書きのメッセージがついた返信あり。収蔵済。

2022年 12月17日 小説家になろう公開

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