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小説│天志那罔象 アマノシナミヅハ

 だいぶ昔に書いた作品で詳細はよく覚えてませんが載せておきます。実際の台風はレコードやCDのような縦横比らしいです。



001


 台風。
 熱帯低気圧。
 北西太平洋――東経一〇〇度線から一八〇度経線までの北半球に中心が存在する。
 最大風速秒速一七メートル以上。
 東アジア、東南アジア、ミクロネシアに上陸。
 激しい風雨をもたらし、気象災害を引き起こす。
 例えば、落雷。損壊。洪水。浸水。流出。土砂崩れ。塩害。雪崩。高潮。
 言わずと知れた「天災」である。

002


 その日、机越しの窓から臨む海は黒々としていた。
 空が暗かったから。
〔――内放送です。ただいま、八――で、――〕
 曇空は珍しい。北寄りの向きだから太陽は見えないけど、普段なら今の季節、晴れていればお昼にはちょうど、家の屋根の影が、海岸沿いの防潮堤と重なるのが見える。
〔――の――気は曇りですが、午後からは――が急速な――〕
 うちにテレビなんてないので、ラジオを聞く。朝起きてからの日課だ。
 でも今日は、どういうわけかラジオの音は耳に入ってこなかった。黒い海とその向こうに霞む対岸、曇り空との曖昧な境ばかりが気になる。焦点に集まる白黒つけられない灰色が苦しみながら鳴動しているように見えた。
 部屋は、いつにも増して暑かった。
「……」
「ガタガタガタガタ……」
 立て付けの悪い木枠の小さい窓が風に震えている。
〔――なお、――号は現在――湾を通過――り――〕
「……あ、時間」
 普段通りに起きたはずなのに、身支度を整えていたらかなり時間が過ぎてしまったようで、急いで一階へ降りる。
〔――に注意してください。警報が――〕
 調子の悪いラジオは窓の前でずっと独り言ちていた。

 僕はいつもと変わらずキッチンの前に立っていた。
 同時に自分の口の中に押し込みながら、二食分の簡単な朝食を作る。それから、昼食用の弁当も――同じ家で暮らす祖父のために。
 祖父は痴呆だ。
 詳しいことは知らない。診断書を目の前にして、認めてしまうのが怖かった。唯一の肉親である祖父が、遠くへ行ってしまうような気がしたから。
 だからといって、特段祖父と仲がいいわけじゃない。
 元々お互い口下手なのが拍車をかけて、上手くコミュニケーションは取れていなかった。
 祖父は、昔気質むかしかたぎな人間で――昔を知るほど僕は生きてはいないけれど――しかし幼い頃に両親を亡くした僕がきちんとこの歳まで生きてこられるくらいの助けはくれた。とてもしっかりしていた、数年前までは。地元の農家であり、痴呆でも長年続けてきた仕事は中々抜け落ちないようで、今もしているけれど、しかしその活動は、普遍的な農業の衰退に加えて、本人の仕事の粗が多くなるに比例して年々零細になっていく一方だった。
 ちなみに食事の用意は昔から僕の役目だった。
 幸い――か、まだ孫のことを忘れてはいないようだったが、それも時間の問題かもしれない。孫より長く付き合った農業を忘却しかけているのだから。
「じーちゃん、飯作ったから……昼飯はこれ」
「……おう」
 返事は来るか来ないか、まちまちだ。昨日までの三日は連続して、なかった。
「……」
「……」
 いつもは日焼けしている祖父を見ると、とても病気には見えなかったけれど、今日の曇天のせいか、電気を点けていない居間は薄暗く、祖父のくたびれたシャツの襟口から力ない老人の像を見るのはそう難しくはなかった。
 何か声をかけようとしたが、やめた。
 無言で食べる。頭を突き合わせて食べる。

 その他、朝にやるべきあれこれを済ました。
「じゃあ、行ってくるから」
「……あ、おい、セイタ、どこ行くんだ」
 玄関で一応の挨拶をしたところで、急に引き止められる。
「どこって……学校だよ。高校」
「どこだ」
八百やつも階段降りたとこだよ。みなかみ高校」
「……ああ……そうか、学校か……もう高校生になったんだな」
「…………じゃ、いってきます」
「出かけるときは神棚に手合わせてから行け。特に今日は――」
「さっきやったよ」
 言下に答えた。
 もちろんやっていない。祖父は神様に執着する節がある。痴呆のせいだろうか、単なる、老人ゆえの古い習慣だろうか。
「そうか」
 これも毎日のやりとりだ。慣れた。
 最近ではもう、祖父が変わってしまった当初の、家をあとにする不安はなかった。
 多分、大丈夫だから。今までも。

003


 数時間後、僕は地上十メートル、海沿いに伸びた防潮堤の上で時間を潰していた。南西に港が見えるけど、あそこから以外は基本的に海へ立ち入れない。もちろん、僕のようなことをしない限りは。
 僕が住む島は、内海に浮かんでいる。左右を山脈に囲まれていて、雨が降りづらい。台地と海岸平野で出来ており、住民の生活のほとんどは中央部の台地に集中していて、学校もその中腹にある。『下』に降りているのは僅かな観光産業と漁師、公務員の少数――最後の日に受けた授業内容は意外にも鮮明に覚えていた。確か地理。
 僕はいわゆる不登校生徒だ。もう何ヶ月も学校に行ってない。
 平日の、学校がある時間帯はいつもこうして――釣りの真似事をしていた。学校に行かなくなるまでは詳しく知らなかったけど。ただ、竿を吊るして待っていればそれでいい、傍から見たらそれで問題ない背景の一部になれるから――もし釣れてしまったとしても、すぐにリリースする。
 今日は何故か普段に増して空虚さを覚えた。風が吹いている。

 後背する壁面から四限終わりのチャイムが微かに聞こえた。
 かなり遠いから、あちらからこちらに人がいることなんてわからない。こっちから見る学校だってかなり小さい。それに僕は今私服だ。たとえ見えても、気づかれない。
 ここら辺の地域に住む高校生の大半は大陸の方へ出ていく。幸いにも奇跡的にこの島に高校があるので、近辺の子どもはここに通うことがある。それぞれ下宿したり、フェリーで通学したり。それでも規模の問題から――そして少子化過疎化から、生徒の人数はさほど多くない。どころか、学力や『外の世界』を求めてこの島の子どもでさえ外に出て行ってしまうことが多く、結局この島出身のみなかみ高校在籍生徒は現在僅か二人きりだった。
 僕と――幼なじみ。
 他は全て、外から来た人間だった。教員もそうだった。
「…………」

 ……そもそもは、ちょっとしたトラブルがきっかけだったはずだ。大したことなんてなかったはずだ。でも――自分でもよくわからないというのが本音で――人付き合いが苦手な僕が不和を起こしてしまうのはいつものことだったけれど――
 でも、幼なじみと向き合ったのは初めてだった。
 彼女との間に問題があったわけじゃない。島の外から来た人間の外気に晒された結果僕の内気が招いたトラブルだ。対して、彼女は外の空気に興味津々だった。結論、彼女が相手の肩を持った。
 彼女が向こう側に立った。僕は本当に何も言えなくなってしまった。
 次の日は金曜日だった。体調が悪いと担任に伝えて休んだ。土日を過ごした。月曜日、学校に行く気は起きなかった。
 空が晴れていたから。
 差す朝日が鬱陶しくて布団から出ないでいたら、ボケているくせに目ざとく――いや、単に朝食を用意していなかったからか、祖父が上がってきて、「お前なにしてるんだ」と怒鳴った。見透かされているんじゃないかと思ったけれど、どうしても動く気にはなれなかったから、先週の風邪がぶり返したとか、嘘をついて収めた。朝食だけ作った。固定電話回線は外しておいた。
 次の日からはきちんと起きた。起きて、食事を用意して、洗濯をして、神棚への挨拶はしないで、制服に着替えて家を出た。その日、祖父の返事はなかった。
 家を出たところで、四日も空けて今更と思い直し、階段を降りて海を眺めに行くことにした。『下』には人が少ないから、気が楽だった。そして、普段眺めていた防潮堤に登る入口を見つけた。家に釣り道具がしまってあったのを思い出して、次の日からはそこで釣りごっこをするようになった。
 最初の頃は私服の着替えも持って出たが、最近では私服で家を出ても、祖父は何も言わない。自分の孫が高校生であることすら忘れていたのだ。飯が出ればそれでいいらしい。
 波が荒い。空が重い。風が強くなってきた。
 脳裏に浮かぶのは幼なじみの彼女が――昔の見る影もない、高校生になって、若者めいて洒落けに満ちていった粉だらけの顔が――考えるな、振り払え。
「とぷっ……」
 ウキが沈んだ。しかし、逃した。
 釣りは趣味じゃない。手段だ。僕の目的はこうして――祖父に――あの祖父にさえ、高校生を演じつつ、崖の上から刺さる目をなるべく避けながら、ここに逃げ居座ることが使命だ。そうするしかない。今更考え出したところで、答えがあるならもうとっくに出ているはずだ。
 僕は彼女と違って『外』に興味はない。
 島を出る必要がなかった僕には、『外の世界』のことはよくわからない。新聞とラジオでのみ知る外界はモノトーンだった。
 島を出ることが出来なかった僕には、ここ以外を想像することが困難だ。僕には家族がいるから。
 今僕はこの島を出ることも出来ないし、出たいとも思えない。さながら、呪われているようだった。ここ以外に有り得ないのに、ここでさえ苦しい。
 ほだされてるなんて――思ったことはなかったけれど、一度そう思えば、そうとしか見えなくなるのも事実だった。
 しかし祖父は、いずれ死ぬだろう。近い将来の話。
 でもそのとき、僕は『外』に出られるのだろうか。島を覆うこの暗い天蓋を自ら破る自信はなかった。『外』から来る『違うもの』に流され揉まれてしまった僕が、果たして『外』の奔流に抗えるのだろうか。
 じゃあ、僕はこの島で死ぬのか。
 どちらにしても早く死にたい。生きづらいから。
 晴れてなくたって学校に行く気は起きない。
 死んでいなくなれば楽だ。死にたい。
 悪魔の体現のような黒い波が、普段より近く見える。僕を新たな人生へと妖艶に誘っているように見えた。今降りれば、多分死ねる。
 ……何を馬鹿なことを。僕は臆病者なんだ。死ぬ勇気なんてあれば、とっくに祖父を見殺しにして逃げている。動けないから僕は僕なんだ――考えたって無駄だ。
 思考の潮汐に飲まれないためだけに見つめているウキが、その波に揉まれて時折見えなくなるけど……そもそも本当に釣りをしに来ているわけではなかったので気にしなかった。とりあえずは今日も夕方まで、ここで――と、そこでひと吹き、一際大きな風が起こった。
 そして――不意に僕は、光を浴びる。
 どうやら、強風に煽られてか、雲間が開いて日脚が僕に直撃したらしい。珍しいこともあるんだなと、緑色が残るその網膜で光の元を見遣ると、上空は晴れていた。雲の上だから、晴れていた。
「……あ」
 そして、その窓からは、月が見えた。昼間の白く光る月が滲んでいる。
 白球は僕のほぼ真上からスポットライトを照らす。
 やめて欲しい、注目されてしまう、と危惧したが、
「……いやまぁ、誰も見ないか」
 『下』には人が少ないのだ。
 そう、自意識過剰だったと、反省した。気分が晴れないのはいつものことだけれど、今日は一段と――いつもは、晴れ空に皮肉を言われているような気がしてならなかったものだけど、曇っていたら尚更だった。
 しかし、ただ、熱い。直射日光というわけでもないのに。干物の気分だ。強めの風も、涼しいわけではなく、ただ僕から水分を奪っていくだけの存在に感じる。徐々にこの巨大なコンクリート塊にへばりついていくような錯覚さえ覚えた。僕の、この島への呪縛をさらに強めるように――
 ぺちっ。
 突然、軽妙な音を立てて頬に何かが当たった。風で飛ばされてきたゴミだろうか――いや、それにしては――当たった何かは防潮堤の下に落ちていったようだ。頬を拭って臭いを嗅ぐと、生臭い。
 後ろに乗り出して目を凝らしてみると、それは小魚のようだった。
「……魚……?」
 風に乗って飛ばされてきた……? 竜巻に巻き込まれた小魚が空から飛んで来る事件を知っている。
 僕の頬と、地面に打ち付けられてなお、絶命していない様子だったが、僕は小魚のために十メートルを降り、また登る気力はなかった。自分のことで手一杯なのだ。せめて竿に掴まっていようとするだけで両手が塞がっているのだ。僕は何も出来ない。僕は動けない。
 それに、僕が暇潰しのために釣ってしまった魚じゃない、勝手に煽られて飛んできた魚だ。
 知らない。
 文字通り、どういう風の吹き回しか、雲間はまだ開いたままで、下に落ちた小魚は僕と同様に、炎天にさらされていた。
「……お前も僕と同じようにゆっくり干からびていくんだよ」
 へばりついて絆されるんだ。
 それでも助ける気にはなれなかった。風が強かったから。
 そして、なるべくもう気にしないようにしながら、体勢を起こした――ら、誰かいた。
 遠くの方で、片手をメガホンの形にしながら叫んでる声が、風の間に途切れ途切れで聞こえてくる。見覚えのあるシルエット。
「おい! セータ!」
 叫ばれたのは、僕の名前だった。
「…………あ、アマネ――」
  そこには――向こう側にいるはずの幼なじみがいた。もう片方でペットボトルを持っていた。青いパッケージの、スポーツドリンク。
 どうしてだ。まだ学校は終わってない――それに、ここはバレていなかったはず。いやバレていても、今まで誰からも何の音沙汰もないんだ――というか、なぜ彼女が――
 ぼうっとしていた間に、次第に強まっていた風は、僕の思考も途切れさせる。
「お前何してんだ! そんなとこいたら危ないぞ!」
 ……何を今更、心配するようなことを。
「……ふ」
 突然、数ヶ月ぶりに顔を見たショックで頭が狂ったか、僕はそんな皮肉混じりな微笑さえ浮かべられた。
「今日台風だって知らないのか!? 島内放送聞いてるんだろ! ラジオで!」
 え?
 何か忘れたかと思っていたら、ラジオを持ってき忘れていたのだ。いつも暇つぶしに聞いていた。今更どうでもいい話だけど。
「早く! 早く上がってこい!」
 その必死な形相は、数年ぶりだった。昔海で友達が溺れたときの顔が、あんなんだったっけ――
 とにかく、身を案じられている。数ヶ月間見向きもされなかった人間に。
 台風……? ラジオを忘れた――いや、今日の朝のラジオだけは聞いた、確かに聞いたけど、憶えてない。暗い空しか憶えていない。頭がゴチャゴチャになって、二の句が継げなかった。
「あっ! セータ! 後ろ!」
「!」
 一際大きく彼女は叫んだ。
 振り返った僕の目の前には――黒い壁があった。
「な――」
 暗闇に飲まれた。
 あっ。死ねるかも。

004


 目が覚めると、耳まで水に浸かっていた。
「……?」
 首を起こした――死んだかな。
 水溜りに仰向けで寝ていたようだ。
 空は見たこともないくらい真っ青だった―― いや、よく見ると頭上は晴れているけど、水平線は暗かった。境目は未だ灰色で混ぜられている。その上、遠くの空はある程度の高さまでの全方位を、雲の壁で囲まれていた。
 まだ頭が働かないのも相まって、どこか気持ちよかった――清々しい。現実感が皆無だ。
 晴空を快く思うのはいつ以来だろう。死んだからか。生まれ変わって感受性が豊かにでもなったのか。僕は呑気に空を眺めていた。
 突如、腰に鈍痛。どこかにぶつけたらしい。
 それは確実な生の感覚だった。
「…………死ななかったっぽいな、やっぱ」
 そしてようやく先程の――何時間前か知らないが、防潮堤を越えた波に飲まれたことを思い出した。でも、そんなことは今はどうでも良かった。
 常識的な自己認知を終えてなお、自分が自分でないような感覚はなりを潜めない。
 それに――空がこんなに青いなんて知らなかった。思えば晴空をこんなにまじまじと眺めたことはなかったかもしれない。
「…………?」
 待て、水溜り――? 全身が浸かる水溜りなんて出来る場所は――そして、ようやく僕はその異常事態に気づく。
「いや……水溜りって……いうか」
 わざわざ奇をてらう必要もあるまい。
 ただ単に、僕が寝ていた水溜りは――町全体だったのだ。

 海岸平野の町は――その町を取り囲む防潮堤と、台地の壁面で挟まれた『プール』として、流入してきた海水によってくるぶし程度の高さまで満たされていた。水はゆっくりと港の方へ返っていく。
 水を吸った服に普段以上の重力を感じながら、立ち上がる。そして、町の全体像も見える。どうやら、防潮堤の上から流された僕は、何十メートルか先で引っかかっていたようだ。釣り道具はどこに行ったかわからない。『下』にある数少ない商店から商品が流れ出していくのが見えた。幸い定休日らしく、店主は多分『上』だろう。ドアの施錠は残念ながら意味をなくしていたけれど。
 未だ、夢心地のする光景。
「すごいな……」
 恐らく、『下』で働くか、住んでいる少数派を除く大多数の島民よりは余程普段の様子を見慣れている僕だから、余計だった。
 季節柄気温が高いので、水は心地いいくらいだが――不思議にも、不謹慎だとは思わなかった。紛うことなき天災の渦中にいながらも、僕はむしろ先ほどとは打って変わって――このスポットライトに興奮さえしていた。この雲のドームが僕だけのに存在しているように思える。
「はは……」
 この世の出来事なんてもうどうでもいいと思っていた僕に、あの世の方からこちらへ出迎えてきてくれた様子だ。
 太陽は見えない。月も見えない。雲の壁の向こう側にいるらしい。
 空ばかりに気を取られていたら、足に何かが当たった。それは、飲みかけのペットボトルだった。青いラベルがついた、スポーツドリンク――
 持ち主は――アマネ!
 拾った僕は、急激に現実へ引き戻される。なんにもなりやしないのに、パッケージに示された成分表ばかりを目がなぞった。
 ――今日台風だって知らないのか!?
 そうだ、波に飲まれる直前、僕はあの幼なじみと突然の再開を果たしている。台風が来ていることを、わざわざ伝えに。あいつは――
「これって、津波――いや、高潮か」
 昔、新聞で読んだことがある。台風と共に発生する海面上昇。それに僕は――そして恐らくは、あの幼なじみも飲まれた。
 途端、押し寄せる波のように――皮肉だが――吹きすさぶ焦燥感に、煽られる。
「……あまっ……アマネ!」
 大声なんて久しぶりだから、上手く叫べなかった。
 僕の心象と対置される現実は、しかし無風だった。ドームに声が響く。
 どこかにいるはず。僕のように運良く引っかかっているとは限らない。流出物の下敷きになっているかもしれない。港の方へ流されているかもしれない。
 今僕に、学校で起きたあの出来事を考える余裕なんてなかった。バシャバシャと音を立てて走る。
「アマネ!」
 今度はうまく叫べたが、返ってくるのはやまびこのみだ。やはり港の方に流されてるのかもしれない――そう思い振り返ったとき、港の方に人影が見えた。
「!」
 その人影は立っていた。こちらに歩いてくる。女性のようだった。彼女かと思ったが、揺らぐ焦点が合った途端にそれが違うとわかった。なぜなら――そもそも服装が違う。横縞のマントで身を包んでおり、加えて、その女性は白髪だったし――
 そしてなにより、水面を歩いていたのだから。

005


 港の方から歩いて来た女性――少女は、表情と歩調の一切を変えることなく僕の目の前まで来て、止まった。僕は身体が動かない。明らかに異質な異邦者を目の前にして無様に立ち尽くすしかなかった。金縛りになったことはないけど、多分こういうことだろうと思った。呼吸をしたくても、出来ない。
 先ほどまでの、酸欠による白昼夢とは明白に違う。狐につままれたような、雲につつまれたような――
「こんなところにいるなんて、珍しいね。人と会ったのは久しぶりだな」
「……」
 目の前の少女には、ひと目で十分わかるほど現実感がなかった。少女を中心としてリアリティが渦巻いて吸われていくような感じを受ける。
 現実、非現実、現実、非現実、現実、非現実――頭の中がごちゃごちゃだ!
「……話せないの?」
 痺れを切らしたようにそう言われた瞬間、金縛りが解けた。目線までも縛られていたので、すぐに僕は彼女の異質さの元凶の一つである足元を見た――そしてそれは、どう贔屓目ひいきめに見たって人間の足じゃあなかった。
 いわゆるあしゆび――鳥の足、そのものだったから。
 三叉さんまたの、細くしなやかなそれには鱗と爪が生えている。
「!」
 枝分かれに合わせてもみじ型の波紋が広がる。映り込む僕の顔が歪んだ。
 普通だったら有無を言わず飛び退いているところだが、どうにもそれは難しそうだった。代わりに、
「話せ、る」
 と口走っていた。
「よかった」
 と言われた。

 非現実、である。絶対に、論理的には説明出来ない――『ふわふわ感』みたいなものに空気を占領されているのがわかった。
「きみは、なんなの……?」
 非現実から逃げられなかった僕は現実よりも少し勇気と知的好奇心に溢れているようで、少女にそんな質問をした。
 少女は少し答えかねるようにしてから、「しんらこう」とだけ答えた。
「しんらこう?」
「そう」
 知らない。
「あなたは、何?」
 同じ質問を返された。
「僕は――」
 あなたは何。僕は何。僕は――何だ?
「――僕は、不登校生徒、だよ」
「……なるほど」
 意外と伝わったらしい。
「私、あなたと話がしたい」
「別に、いいけど……」
 目の前の少女の意向はどうにも掴みがたかった。もちろん正体もだが。
「名前は?」
「カワカミ、セイタ」
「かわかみせいた。わかった」
「きみの名前は――シンラコウ、でいいの?」
「そう。他にもあるけど」
「他?」
「そう。でもいい。せいた、家族は?」
「祖父が一人――ボケてるけど。それ以外は、いない」
「そうね、知ってる」
 知ってる?
「私は姉妹がたくさんいるよ」
「……そう」
 僕はこの妖怪まがいの子と何を問答しているんだ――とは、思えなかった。『話がしたい』と言われてから、僕はどうにも、この話を続けることだけを考えている。
「じゃあ――あなたはしんだら、何になるの?」
 ……出し抜けに訊くものじゃないと思う。質問意図が汲めない。汲めなくとも、そこまで気にならない。非現実だから。もしくは、空に穴が空いていたから。
 僕は質問に答えるだけだ。
「……僕が。僕が死んだら――」
 だってそれは毎日考えていたことじゃあないか。
「いや、そんなこと考えたって、意味ないよ」
 それが毎日、考えた末に至る結論だった。繰り返し練習してきて、まるでここで発表することを予定していたかのように、思考がするすると僕の口から漏れる。
「だってどうせ死なないから。死ねないから」
 どうしたって、現実の僕は――空が晴れていたり、曇っていたりするから、死ねない。死ねないし、この島からも出られない。
「しねない、か。姉たちは皆しんじゃったんだけどね」
「えっ」
「しんで、別のものになった」
「別のもの」
「そして私も、もうそろそろしぬ」
 ……自分の死期が近いから、こんなことを聞いた?
「……どうして?」
「篭ってる。篭ることが私、だから?」
 そう言って少女は初めて僕から目線を外し、島の周囲を囲む雲の壁を見遣った。
「これがなくなれば、私はしぬ。しんで、別の何かになるの」
「篭ることが私……」
 比喩だろうか。しかしそれは、自分とも共鳴するような気がした。島に縛り付けられて、塞がれて過ごしてきた――塞がれて?
「じゃあ、あなたはしんで――あなたはもししんだら、何になりたいの」
「……しんだら――」
 少女の『しぬ』には、人間の死生観というより、ちょうど昆虫の変態のようなニュアンスが含まれていることに、僕はようやく気づいた。
 しんだあと、か。
死後の世界とか――宗教的な物事は、考えたことがなかったように思う。目の前の苦が遠くを見させなかった。
「しんだら、もっと楽しく生きたいな……」
 もっと強い人間になりたい。上手く想像もできなかったので、それらしいことを言うに留まる。馬鹿みたいな答えだったが、
「そっか」
 と返された。
「なれるよ、多分。今はちょっと――乾いてるだけだから」
「乾いてる?」
 やはりどういう比喩かわからない。が、僕のオウム返しには答えずに、少女は、
「でもどうして、不登校になったの?」
 少女がもし、人間だとしたらもっともな疑問で――そして、はばかるべき質問だったかもしれない。
「……なんとなく。なんとなく、行きたくなくなったんだ。幼なじみと対立して、気まずかったから。もう関わりたくないから――」
 自分より目線の低い少女に訊かれた質問は、しかし僕には重くのしかかった。現実。親に叱られて言い訳をする子供はこんな気持ちなんだろうか、わからないけれど。身体に力が入る。
 ぐじゃ。
 あの、飲みかけのペットボトルを握っていることに今気がついた。 僕の右手から、現実が渦を巻いて溢れ出ていた。
「……アマネ」
「私は止まれない、しぬまで止まれない。しぬように止まれないの――」
 少女もまた、僕の右手を見ていた。
「関わりたくないなら、それは捨てていいよね?」
「……?」
 どういう意味だ?
「それは、あなたの幼なじみのものでしょ――私のせいで、どこかに行ってしまった」
「きみは……なんでそんなことを――『私のせいで』?」
 相変わらず僕の質問には答えずに、少女は続ける。
「でもあなたは今それを握って、掴んで探してる――」
 目線が再び少女と合う。
「頑張って探してね、きっと二人ともしんで、仲直りできるよ!」

 違う。
 ただ、情けなかっただけだ。
 高校でのトラブルで、彼女が向こう側についたとき、僕はそこで初めて、彼女がいなければなんにも出来ない自分を見た。今まで彼女に頼り切っていた男が鏡に映っていた。ものすごく恥ずかしかったし、情けなかった。弱いくせに自尊心だけが肥大していた。もう顔も合わせたくなかった。見透かされてるようで――せめて叱って欲しかった――いきなり見放された。
 自分から掴む場所を探そうとしなかった僕が、外からの風に煽られて落ちていっただけだ。彼女という拠り所を無くした僕は、掴まるとっかかりが消えた崖から落ちて、今海を目の前にしている。
 情けなかった。
 僕が成長しようなんて気は起こらなかった。
 空が晴れていたから。
 彼女が何故いきなりそうしたのかはわからないけれど――僕にとってはそれがこの閉じた世界の終わりにも等しかったからだ。世界が終わった以上僕はどうすることも出来ない。
 そう考えていた。長年の甘えで頭がドロドロになっていた。水分が足らない。糖が析出し始めている。
 でも今も、僕は彼女の痕跡を掴んでいる。潤いを渇望している。
 ペットボトルはグチャグチャになっていた。
 結局――どこかで、彼女が助けてくれることを待っていたのだ。いつまで経っても何も変わらない閉塞の日々に嫌気が差していたけれど、それも全て、彼女に寄りかかっていただけ。今も、しがみついている。
「……私も寄りかかってるよ、しぬまで」
「どういう意味?」
「少なくとも――私がこの島に来られたのは、あなたと、あなたのお爺さんのおかげだよ」
 少女の言っていることの意味はわからなかった。
 恐らくは、今しかない。
 二人とも波に飲まれてしまった――しんでしまった今しか、非現実である今のうちにしか、僕は彼女と会うことは出来ない。
 これを逃せば次はない。いつか死ぬから、そのうち死ぬから、二度目はないから――その前にどうにかしなければ。
「お話する時間もなくなってきたみたい」少女は言う。「そろそろ私も、止まれないから――行かないと」
 少女は僕の横を通り過ぎる。背を向ける。
「……もう一回聞きたいんだけど、きみは何なの?」
 答えが返ってくるとは思わなかったけど、一応聞いておいた。知的好奇心溢れる非現実的な僕として。
 彼女は首だけ振り返って、
「答えないといけない?」
「知りたい」
 躊躇うような素振りを見せたあと、僕に向き直し、少女は申し訳なさそうに呟いた。
「私は――台風十八号」
 台風。
「水と風を司る者だよ」
 また、数年後。

006


 正体を告げた途端に少女は姿を消した。
 そして風が吹き込んだ。現実が頬に刺さる。
 そういえば、あの少女がいる間は風がなかった。静かだった――
「セイタ!」
 後ろから名前を叫ばれる、デジャヴだ。バシャバシャと水を撥ねさせて近寄る足音は、紛うことなき人間のそれと確信出来る。
「アマネ……」
 無事だったんだ。
 安心感の訪れ――そして直後に気まずさが追随する。
「……」
「波に飲まれちゃったときはめっちゃくちゃびっくりしちゃったんだからな!」
 かろうじて顔は見られる。
「しっかし……すごいな、これ。たかしお? ていうの。これ。こんなんになるのか」
 彼女にも多少の被害があったのか、髪がびしょ濡れのままだった。マスカラが頬のラインから流れ落ち線を引いていて、ちょっと妖怪じみていた。不覚にも面白い。
「……なんだよ、不登校のくせに顔合わせた瞬間笑いやがって。こっちは心配したんだぞ」
「いや…………なんでもないよ」
 言わないでおく。言ったら殴られるだろうし――なにより、そこには昔の彼女の面影が垣間見えたから。
「あのあとすぐに豪雨並で降り出してさ、濡れちった……」
 セーラー服の裾を絞りつつ言う。
「はい」
 ペットボトルを差し向けた。
「もういらねーよ。飲んでないだろうな」
「……まさか」
 冗談につい笑い返してしまったが――いやいや、今までを考え直せ。
「――なんで」
 僕を心配しているような素振りでここまで来ているのか――
「なんで、僕がここにいるって知ってるの?」
「いや、普通に教室の窓から見えるし。窓際だし、席」
 嘘だろ。僕の見当違いだったか。
「毎日ラジオ聞きながらあそこ座って釣りしてんのは知ってた。今日は持ってなかったみたいだけど」
「……そっか」
 バレていた。見透かされすぎていたようだ。想定よりもよっぽど酷かった。僕は彼女に醜態を晒し続けていたことになる。
 でも、それよりも、僕は彼女が僕のことを観察していたという事実の方に驚いていた。
「釣りは、楽しいか?」
 片眉を釣り上げていたずらっぽく聞いてくる。
「……全然」
 目を側める。二度目も冗談に乗るほど僕は自分が愚か者でいるのを許せはしなかった。
「……僕が悪かったよ、ごめん」
「ん?」
「その、何も言わなくて……」
 何も言えなくて。
「お、ぉ」
 アマネは目を見開いて半笑いに、芝居がかった驚き方をした。
「やっと自分から言うようになったか! わぁ」
 何故か嬉しそうにしている。僕は陽の光に浴びせられて罪悪感でいっぱいだった。今更。
「いやー。ほらセイタ昔からいじめられやすかったじゃん。で、あたし見てられなかったから色々やってたけど、さぁ。幼なじみ? だし。でも流石に高校生になってもなぁって思ってたんだわ」
 種明かしをするマジシャンかぶれのように、嬉々として僕が憂いていたことをズバズバ言ってくるあたり、性格がいいとは言えない――なんて言える身分でもなかった。正しくその通りだったから。改めて言われると耳が熱くなる。
「……ご、ごめん! なさい! 僕が悪かった! です! アマネに頼っていたことが!」
「お、おぅ……そっちか……」
 耐えきれなくなって、叫んだ。この数ヶ月――いや、数年、言えなかったことだ。
 アマネの、思い詰めていた彼女との険悪さを吹き飛ばすような、洗い流すような喋り方は――数ヶ月間を感じさせない距離感の取り方は、何かこみ上げるものがあった。
 ないしは――その険悪ささえ、僕の幻想だったのかもしれない。最後のあの日をはっきりと覚えてるわけじゃあない。煮詰まっていく間にその負の考えがどんどん濃くなっていただけ、かもしれない。とにかく、色々恥ずかしいことばかりだ。
「ま、まぁ……あたしはそんなお前が自分からなんか動くようにわざとこの前は肩持たなかっただけだし」
 いきなりアマネは、さっきまでの僕みたいな喋り方になった。
「ヘコむんだろうなとは思ってたけど、不登校決めこんだのは流石に予想してなかったわ……電話繋がらねーのわかってからこっちも意地張っちまった……ごめん」
「え?」
 最後の方はそっぽを向いて小声だったので聞き取れなかった。
「や、なんでもない!」
 暗雲を振り払うようにして首を振る。
「と、り、あ、え、ず!」
 人差し指をこちらに立てる。いつもの顔に戻っていた。黒いラインは除いて。
「お前、明日から学校来いよ!」
「え……」
「ったり前だろ! 緊急時で不本意だったけど、わざわざあたしが出向いてやったんだからお前が来ないのはおかしい!」
 細い指が僕の鼻の先で揺れる。上体を退ける。
「う、うん……」
 また、言わせられてしまった感がある――
「そういえば、じーさんは生きてんのか」
 崖の一番上、僕の家の方を見ながら言う。
「僕が不登校になってるおかげできちんと昼飯も食べてるよ」
「そーか。ボケたって聞いたから心配してたんだけど」
「……ん、まぁ、なんとかやってる」
 そろそろそっちも、棚上げにはしておけないんだろう。僕も見上げた。
 未だに空は雲に渦巻かれていた。

「白髪の女の子?」
「本当だって……しましまのマントみたいな服を着て」
「信じらんない。外国人?」
 既に僕の記憶からはあの少女――名前も曖昧になり始めたあの『なにか』は、消え始めていたが、かろうじて覚えている内容を伝えた。信じてもらえていないようだが、僕だって信じ難い。
「いや……顔立ちはアジアっぽかったような……もう忘れかけてる」
「波に飲まれて夢でも見てたんじゃないの。しかしそんな白髪の美少女が好みとは、お前……うわぁ」
 アマネは完全にからかう姿勢だ。こういうところは昔と変わらない。あるいは、それが彼女の優しさかもしれない。
「そ、そんなんじゃないって……」
 僕は彼女が消えた方向だけは覚えていた。雲がそり立っている。斜陽が西側の壁を通り越し、東側の雲の上の方に反射して、ピンク色だった。
「バシャ、バシャ、バシャ……」
「?」
 僕達が『なにか』についての攻防を繰り返していると、階段の方面から人が来た。
 それは――祖父だった。
「ついに徘徊し始めた……」
「違うだろ、台風来てたんだからお前はまずじーさんを心配すべきだ」
 ひっぱたかれた。その通りだった。
 しかしながら、近づいてきた祖父に、正直どう声をかければいいのかわからなかった。
「……大丈夫だった? じーちゃん」
 そんな僕を、祖父は気に留める様子もなく――
「あれは……」
 北東を指さした。
「あれは、ミヅハ様だ」
「ん?」
 また、わけのわからないことを言い出したのか――流石に先ほど僕をたしなめたアマネも流石に訝しげにしている。
 ただ祖父がさした方向は、偶然か、あの少女が消えた方向だった。
「――アマノシナミヅハ様だ。お前達、拝んでおけ」
 そう言って祖父は手を合わせて目を瞑った。無論、その方向に見えるのは雲の壁のみだったが――
「あまのしなみずは? ……もしかして、お前が言った女の子の話か、これ」
「かも、しれない」
「神様? に会うとか、ますます夢かよ」
 もともとそういうのを信じている節があった祖父だが――そして僕は勿論信じていなかったが――でも今回ばかりは、祖父の言うことが正しいのかもしれないと、そう思えた。
「だとしたら、なんの神様なんだろうなー」
 アマネが他人事のように言う。他人事だけど。
「雨と風」
 祖父がアマネの言に答えた。
「大きな力で、ときに島の全てを洗い流し、ときに島の乾きを潤す――俺達の、神様だ」
 目を開いてそう答えた祖父の瞳には、往年の威厳が再びともっていた。
〔――です――湾上で台風十八号は、突如として勢力を弱め、早急に温帯低気圧になりました――〕
 僕の部屋の窓際から飛ばされてきたらしいラジオが流されてきて、そう告げた。
 しんだ。

 とりあえずは帰ることになった。当たり前だが。この『下』の被害もさることながら、恐らくは『上』だって、学校だって相当だろう。まずは自分の家と――それから、家族だ。
 アマネは、祖父に聞こえないような声で、
「話流れたけど、明日ちゃんと来いよ?」
「うん……」
 また言われた――いや、だめだ。これじゃあ僕の数ヵ月はやっぱり活きない。
「まぁ、安心しなよ――あの話はもう、誰も気にしてない」
 真面目な顔で言う。既にほとんど晴れかかった雲を見ながら。
「むしろ、心配してる、お前があんなことで学校来なくなっちまったからさ。お前の家とか知ってるの、学校であたし一人だろ。だから、皆なんも出来ないだけ」
 その横顔には、少し申し訳なさそうにしてる感じがあった。
「そう……いや、アマネが悪いんじゃないんだ、別に、僕はただ……僕がただ弱かっただけだから」
 彼女は少し怪訝な顔でこちらを見た。
「行くよ、大丈夫、明日から行く。行って、きちんと皆に謝る。心配かけてることも――」
 促されるまま流されて、ぐるぐると同じところばかり回っていた僕から、出なきゃならない。脱出しなくては。壁を破らなければ。
「自分で、行くよ」
 『上』に? 『外』に。島が内包する現実に。
「おう、よく言った。えらいえらい」
「……うるさい」
 久々に思い出した――アマネの、ふざけて誤魔化す悪い癖。とても懐かしい感覚だったけど、追及はしなかった。
 空が晴れてきたから。
 夕日がようやく晴れた雲間から差し込む。日照時間は長い。
 茜色に染まった水面みなもで、水を得た小魚が、一匹跳ねた。

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