見出し画像

「アンパンマンマーチ」が好きな理由

「なんの ために うまれて 
なにを して いきるのか
こたえられない なんて そんなのはいやだ!」

幼い頃は何気なく聞いていたこの曲。
今となっては冒頭から考えさせられる言葉ばかりだ。

人を慰めたり元気づけたりする時、大多数の人は2つのパターンに分かれる。

「君なら出来るよ」と応援する人。
これは背中を押される言葉でもあると同時に、なんで無責任な言葉なんだと痛感する言葉でもある。
出来ると言われたって私は今出来る気がしないのだ。
なのに出来ると言われたら、私のことわかった気になるなと言いたくなる。
もしこの言葉で、じゃあ出来るかもって思えたところで、悪い結果が出たらきっとその人のせいにしてしまう。あの時あの人が出来るって言ったから頑張ったのに。出来なかったじゃん。そういった気持ちが少なからず残るのは人間だから仕方ないだろう。

もう一つ、「今は休憩しようよ」と休むことを促す人。
これは、心がとても軽くなる。あ、私やっぱ頑張りすぎてたんだ。休んでいいんだって思える。だけど、やっぱりこれも無責任な言葉だった。
今休憩したところで、休んだところで、君には何も被害がない。だけど私は、今休んだ分のしわ寄せが来るんだ。休んでいいよと言われても、そのあとの責任は取ってくれやしない。だからこれを言われると、嬉しい気持ちも束の間、すぐに無責任な言葉だなぁと虚しくなる。

本題に入るが、アンパンマンマーチはこのどちらでもないと思う。
これは誰かを元気づけるための曲ではなくて、アンパンマン自身の心のうちなのではないだろうか。
「〜はいやだ!」とか、周りからの意見ではなく、本人の意思のような言葉が見受けられる。
そして、このアンパンマンは生きる喜びを噛みしているような歌詞がある。
誰かに 生きているだけで幸せなんだよ なんて強要しておらず、自分自身が生きる喜びを一番理解している。
そして、アンパンマンを見なくなった頃にも少し話題になったことがある歌詞がある。
それは
「あいと ゆうき だけが ともだちさ」
これは小学生の頃も中学生の頃も、みんな口を揃えて、「愛と勇気だけが友達って悲しくね?」と言っていた。
だが、私はそうは思わない。
愛と勇気だけあれば、友達だってできるし、大切な人を想うことも出来る。そして、その大切な人と人生を共にする勇気と一生の愛がある。
日常でも、何かに本気で取り組むにはそれなりの勇気がいる。本気になるのはとても怖いことだ。勇気がいることだ。だけどその勇気と友達だったらなんて心強いだろうか。
だから愛と勇気だけが友達っていうのは簡単なように見えて実はとても難しいことなんだろうなと感じる。

ただの私一人の感想だけど、今思い返せば童謡だって色んな意味があって、色んな出来事があって、この歌ができていると実感させられる。

皆さんも、もう一度思い出の曲を聴きなおしてみませんか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?