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ゆいまーるとか、ティガニーとか。

8月20日からしばらくの間、沖縄に滞在しておりました。
自分とは縁もゆかりもない地で仕事を進めることの難しさを痛感しつつ、良き出会にも恵まれつつの10日間。さまざまな人や物や情報、言説に触れ、自分の中でいろいろな揺らぎを感じる日々を過ごしていたように思います。

ティガニーフェス2023

さて、今回の沖縄滞在期間中で一番の仕事としては「ティガニーフェス2023」の支援。

「ティガニーフェス2023」のコンセプトは公式ページが一番わかりやすいので引用すると、

沖縄の方言で「手助け・お手伝い」を意味する「ティガニー」。
ティガニーフェスは、貧困家庭の子どもたちやその保護者の方々が一緒に楽しむことを最大の目的としています。困難な状況でも、大人が子どもたちに手を差し伸べ、夢を持ってもらう手助けをする場を創造したいこの手助け(ティガニー)の輪が地域や企業に広がってほしい
このイベントが子どもたちの記憶に残り、彼らが大人になった時に、次世代の子どもたちに手助けをして欲しいと願っています。

「ティガニーフェス2023」公式サイトより

今回、こちらのお手伝いをさせてもらっております。


斎場御嶽から久高島方面を望む

沖縄の「子ども食堂」の数は人口比率で全国1位らしい

また、このティガニーフェスとは別に、「Cha Ashibi」という団体のスタッフとも知り合って、いろいろと話を聞かせてもらっていました。

子どもの相対的貧困率が全国ワースト1位、ひとり親世帯全国1位という課題がある一方で、子ども食堂の数は人口比率で全国1位。このCha Ashibiも子ども食堂を展開したり、「子ども居場所活動支援」のイベントを打ったりと精力的に活動している団体。

去年沖縄を訪れた際も、今回訪れた際も感じたのが、こうした草の根の支援活動の手厚さ。もちろん良い面にばかり目を向けるべきではないだろうし、第三者があれこれ思うのは身勝手すぎることなのかもしれないけれど、何とか動こうとしている人は多いのだろうと推察している。

ティガニーフェスの実行委員長(というか発起人)のYouTuber「沖縄サムライ」MGさんに去年の軽石騒動のときの企画について伺った際、こんなことをおっしゃっていたのが印象的だった。

――軽石収集イベントに400人も集まるなんて想定していなかったですよね。
しない。でもあんだけきてた。だからすごいんだよ沖縄は。みんな取りたいとか思ってる人はいっぱいいるんだけど、やり方がわからないし、きっかけもない。

――表に出ていない、少なくとも内地には伝わっていない活動がいっぱいありますね。
いっぱいあるいっぱいある。俺はだから、やりたいけどどうしたらいいかわからんって人に、俺がYouTubeで発信することによって「いろんな人がいるんだよ、だからあんたたちも気軽にこんなことできるんですよ」って。YouTuberがやるのはメリットあるさ、でもSNSもなんもないところでやってる人いっぱいいるんだよ。っていうのを届けたいなって。

もしかしたら、我々内地に住む人間が知らないだけなのかもしれない。
支援活動を過度に美化すべきではないとか、偽善だとか言われることもしばしば見聞きするし、実際に経験してきた。それでもやはり、輝かしい場所からは見えなくなってしまいがちな「影」から目を背けず、自分にできることを誠実に、そして着実に実践している人々の姿に、深く揺さぶられるところがあった。

快晴の知念岬公園

エイサーの魅力を熱く語る人たち

普段は家で飲むこともなくなり、外で飲む機会もほとんどない(昔から考えれば想像もつかない)生活を送っていたが、今回の沖縄では夜の予定は比較的空いていたので連日遅くまで酒席に顔を出していた。

そんなある日、友人がカウンターに立つバーで、エイサーの動画を見せてもらった。もちろんエイサーの存在自体は知っていたし、そういえば中学校の文化祭で隣のクラスがエイサーを披露していたような気がする(朧げな記憶)。ただ、どういうわけか本場のエイサー(映像だが)を見たのはこれが初めて。映像を流しながら友人がエイサーについて簡単に解説してくれながらも目を輝かせながら画面を見ていた姿が印象的だった。

ちなみに、先述のMGさんにはせっかくなので我々の運営する「Educational Lounge」でもインタビューを撮らせてもらい、「キャリアコンパス」として掲載している。

詳しくは記事を見ていただくとして、人生の転機として「エイサー」をあげた後、こんなことを語ってくれた。

エイサーの本番である沖縄のお盆は、ウンケー、中日、ウークイと3日間あって。初日のウンケーというのは「迎える」、ウークイは「送る」という意味。だから、太鼓の音を鳴らしながら家々の前を回って先祖の霊をエイサーの音とともに迎える、そして中日はお家で楽しくやってもらって、最後のウークイのときにまた送り出す、というのが本来のエイサーさ。地域のために各地域を練り歩く。やっぱり地域のおばぁたちが喜んでいる顔が見えるのが一番良いさ。そこに尽きるよ。楽しいもんね、人を喜ばすってのが。

エイサーの持つ意味や旧盆の間(練習期間も含めればもっと)エイサーに携わる青年会の人々の熱い思いまでは知らなかった。

いろんな話をしながらゆるーく2時間ほど行わせてもらったインタビューの中でMGさんは何度となく「おばぁが喜んでくれるのが嬉しかった」「おばぁに『ありがとうねー』と言ってもらえるのが一番だった」と繰り返していた。

ゆいまーる、助け合いの輪

MGさんはこうも語ってくれた。

人に助けられた人間は、人を助けようとするから。そのゆいまーるよ。助け合いの輪が広がっていけば、ね、どんな場所でも生きていけるし。

「まずはギブから」「ギバーになれ」という話はよく耳にする。でも、真実はこうなのだろう。これまで人に助けられてきたからこそ、誰かを助けることができる。人に助けられたことをどれだけ記憶に留めておけるか。自分が与えるより前に、他の誰かに与えられている。そう考えると、少しだけ人に優しくなれるのかもしれない。自戒。

幸せになりたいものですね(知念岬公園)

沖縄通になれるほど沖縄を知っているわけでもなければ、無邪気に手放しで「沖縄が好きです!」と言えるほどいろいろ見てきたわけではない。それでもどこかこの地に、この地で暮らす人々に惹かれるところがあるのは言うまでもない。一面的な見方をするべきではないだろうし、内地で暮らす人間が、現地の人々の感情抜きに語るべきでもないのだろう。それでもどこかで、もし自分や自分たちに出来ることがあるのなら何かしらの形で関わっていきたいと感じている。

予備校講師としてやりたいこととやるべきこと、曲がりなりにも組織を率いる人間として目指したいこととやるべきこと、一人の人間として叶えたいこととやるべきこと、身の程をわきまえつつ、地に足つけて着実に進んでいく以外にないと思う一方で、理想だけは描き続けていたい。

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