私の命と、世界の狭間
「綺麗な絵ですね」
その瞬間は突然訪れて、私はすぐに反応できなかった。かじかむ手をポケットに入れたカイロで暖めながら、なぜ日光はこんなにあたたかいのか、なぜ反比例するように空気は冷たいのか考えて、よくわからないなと結論を出した、穏やかだけどどこか寂しい冬の午後だった。
東京郊外の、小さな公園で開かれたフリーマーケット。道路に面して作られた花壇沿いのブースD5で、私はひとり絵を売っていた。
高校を卒業して、多摩の美大に進学した。その後は大手広告代理店で3年間プロダクトデザイナーとして勤務したが、フリーランスに独立して同じく3年。
大手広告代理店の看板を降ろした私は、ただの無名のしがない画家だ。
クラウドソーシングで案件を受注しながらなんとか食い繋ぎ、仕事をしているときもしてないときも絵を描き続けているパラサイトシングルで、そんな私と会話してくれるのは親友と呼べる友人1人と、大して仲の良くない両親だけだ。
そんな「絵の虫」な私は毎月2回開催される地元のフリーマーケットに、私の人生である絵を出店することが唯一の趣味だった。
1000円くらいのものから高くて1万円のものまで。描くのにかかった時間でみると時給は300円以下で、出店しても買ってくれる方はせいぜい2,3人。1万円売れたらいい方だ。こんなにコスパの悪い商売はない。
しかし私は月2回、第二土曜と第四日曜の午前10時から午後6時までを、春は花粉、夏は暑さ、冬は寒さに耐えながら、秋は紫と白と黄色のパンジーに囲まれて、ブースD5で過ごすのが好きだった。
今日は2月の第四日曜だが、陽が差し込んでいるのによく冷え込んでいた。春が目前に迫っている、そんな空気の気配の日。フリーマーケットは全体的に人がおらず、閑散としていた。ハンドメイドアクセサリーを販売している顔馴染みの近藤さんは、「今日はもういいわ」と言って、14時頃に店仕舞いをして早々と帰っていった。
他にも店を仕舞い帰っていく人がちらほら見られる中、突然降臨した神のようなその人は、正直言うと逆光で顔がよく見えなかった。
「ありがとうございます」
なんのことかわからず、5秒ほど間があいた後、慌てて返事をした。沈みかけの夕日の逆光が眩しくて、思わず目が眩んだ。細目でみたその人は、痩せた老婦人で、上品で身なりのいい服を着ていた。
「お好きなんですか?ロートレック」
老婦人は私の絵を手に取り、推し量るように眺めたまま言った。
「わかりますか」
私が美大を志したのはロートレックの影響だった。
ロートレックは、芸術として「ポスター」を描いた画家だ。私はそう解釈している。
芸術を、広告戦略の「ポスター」として描くことは、パンドラの箱ではないのだろうか。だって芸術は、私たちのアイデンティティで、無秩序で自由なものだ。それを、「ポスター」なんていう、資本主義の秩序の中で、特定のものが売れて通貨が回るものをつくるために使うなんて。
命の無駄遣いだと思って、ロートレックに興味を持つようになったと同時に、彼が見ていた景色を見ていたい、と思うようになった。
芸術とは何か、秩序とはなにか、自由とはなにか、生きていくとはなにか、世界とは何か。
ロートレックがどう考えていたのか知りたくて、美大に飛び込んで、広告代理店で「ポスター」をつくる仕事をした。
でも、何もわからなかった。自分が何を描きたいのかわからなくなって、半ば鬱状態で仕事をやめた。
「美しい命を感じます。貴方の絵から。」
老婦人はそう言って、絵を買ってくれた。
ありがとうございますとお礼を言って、1万円札を受け取って、絵を包んで紙袋にいれた。
美しい命を感じます、という老婦人の声を何度も反響させながら、彼女の背中を見送った。
命。
これが、ロートレックの答えだったのかもしれないと思う。
命を削って、私たちは絵を描く。
自分のことを知って欲しくて、世界がわからなくて、苦しくて、でもそれ以上に、この世界を愛している。
私たちはそうしないと、生きていけない。
私にとって命とは、そういうことなのだと思う。
今までずっとわからなくて、でも、ひとつだけわかったことがある。
彼の絵は、彼の命と、彼を取り巻く世界の狭間だったのだ。
彼は命を削って、彼自身と世界の狭間として「ポスター」を描き続けたのだ。それが彼の命のあり方で、彼の存在意義だったのかもしれないし、「芸術」というものはいつも、誰かの命と世界の狭間にあるものなんじゃないだろうか。
私の命は美しいだろうか。さっきの老夫婦の言葉が脳裏をよぎった。
芸術としての私の絵を見て、私の命を認めてくれたような気がして、嬉しくてたまらないのに、実感できない。そんな不思議な気持ちになった。
そのままなんとなく涙が出て、寒さのせいにして鼻をすすった。
ロートレックは、こんな気持ちだっただろうか。
*
■あとがき
ご覧いただきありがとうございます。みゆうです。
今回は「アート」をテーマにした作品を書きました。
この間美術館に行ったとき、印象派の催事があったのですが、
芸術家から見える世界の美しさと、悲しさに引っ張られてしまって、
すべて回れなかったことから生まれたお話です。
彼らの命が垣間見えて、見えすぎてしまって、
芸術をするということは、命を削って、
世界に何かを訴えかける狭間になることなんだろうなと思いました。
世界は美しいし、悲しいし、大好きで、大嫌いでよくわからなくて、
でも自分はここにいる。
一つ一つの絵画から、そんな叫びが伝わってきたようでした。
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