ヨスガ

「やっほー、元気してる?来月実家に帰るんだけど、よかったら久しぶりにご飯でもどう?」

 ピコン、という通知音と同時に画面に表示されたのは高校の同級生からのメッセージだった。

「智花、久しぶり。もちろん!帰国日わかったら教えてね」

 当たり障りのない返信をして、スタンプを送った。智花は高校三年間クラスが同じで、部活も同じだったからそこそこ仲が良かった。お互いが大学へ進学してからは会う機会も減ったが、社会人になった今もたまに連絡を取り合っている。
 智花から送られてきたアメリカ国旗の服を着たグリズリーのスタンプには、「Miss you」と書かれていた。

 智花は東京の私立外国語大学に進学したあと、海外展開を行っているITサービスの企業に就職し、2年前からアメリカに住んでいる。最後に会ったのはお互いが社会人2年目の冬で、今から4年前だ。情けないことに、そのときは互いの職場の愚痴と、アラサーになる恐怖をひたすらに話した記憶しかない。そんな私たちは現在、立派なアラサーだ。

 しかし古き友人に久しぶりに会えることを嬉しく思う反面、どこか気の乗らない自分もいた。

 私は智花の華々しいキャリアウーマン的な人生とは違う、地味で一般的な社会人をしている。地元の大学に進学し、そのまま実家から通える距離の小売メーカーで事務仕事をしている。

 4年前、地元の居酒屋で彼女に言われた言葉を、たまに、気の乗らない日、自分で自分のことをなんとなく愛せない日に思い出す。

「舞さ、一回東京とか海外で働いたほうがいいよ。選択肢はたくさんあるんだからさ。いつまでも田舎者のままでいいの?」

 智花の、裏表のないはっきりした物言いは嫌いじゃなかったが、私はこの言葉にほんの少し傷ついて、家に帰って、お風呂で涙一滴ぶんだけ泣いた。

 彼女の言ったことは、ひとつの意見としては正しい。
 彼女のように東京に出て、名のある企業に入って、海外で活き活き働く彼女に、私のことはそう映るのだと思う。

 だけど私は智花のその言葉を聞いたとき、私と彼女では大事にしたいものが決定的に違うという事実を突きつけられたと思ったのだ。

 私は、好きだった。自分の人生と、自分の周りにいる人が。自分が興味のあるもの、体験したもの、不思議なもの。自分の目に映るものが、どれもこれも美しくて、これらのものから、私はどう見えているのだろう、私は、なぜ君と出会えたのだろう、そう感じる瞬間が好きで堪らなかった。

 自分と、自分の周りの世界が美しくて、好きだった。

 高校の修学旅行でタイに行ったとき、確かにバンコクは美しかった。「海外ってこんなに楽しいんだね」とはしゃぐ智花を横目に、私には不安があった。世界がこんなにオリジナルなものばかりで、広いとしたら、じゃあ私はこの世界のなんなのだろうと考えて、寝不足で体調を崩して次の日のリゾートプールへ入れなかった。

 私は、私が私であるという証拠を失ってしまうこと、私がなにかという説明がつかないことへのアイデンティティクライシスで押しつぶされていたのだ。今も昔も。

 今この世界は、ある環境の地域を除いて、どこにでも行けて、自分が目指すどんな人間にもなれる。「人」に明確な区分があった時代とは違う。国境、国籍、出生地といったあらゆる「差異」が、ある意味で統一化される時代になっている。

 だから私は、智花のように生きていくようなことができなかった。そしてそれがどこかいけないことだと思ってしまう自分がいた。

 けれど、少し大人になった今ならわかる。

 私は、自分が生まれ、育った場所で生きていくことに、自分の存在意義と、世界との繋がりを見出している。彼女のようには生きていけないけれど、彼女もまた、私のように生きていけない。

 ヨスガという世界との繋がりは、覆せない世界との繋がりだ。そしてそれは、どこにいっても、だれになっても、私が私であるという唯一の「アイデンティティ」として、私のことを救済してくれるのだ。

**あとがき**

こんにちは。みゆうです。
今回は、「アイデンティティ」についての話を書きました。

日本では時代が進み、人々はそれなりに生きていく選択肢があります。
誰もがどこにでも行けて、誰にでもなれる時代です。
だけどそういう時代だからこそ、自分が生まれ持った世界とのつながりを
ヨスガとして、愛し、享受できる生き方はとびきり素敵だと思い、
そういう意味を込めて書きました。

明日から4月。新生活が始まります。
どの世界で生きる方も、幸せでありますように。


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