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インクルーシブ教育を共に学ぶということ ~リフレクション「ギフテッドの子育て講演会」(後編)~

2022年12月4日に千里金蘭大学で開催した「ギフテッドの子育て」講演会にご参加・ご意見をいただいた吹田市の先生とのリフレクションの会、後編です。

インクルーシブ教育について考えていくことになるのではないか

1人1人のもちあじをことばにしてみる

高山:人権教育に「もちあじワーク」というものがあります。年齢によってやり方は色々ですが、自分のもちあじをみんなの前で出し合うという、あるポイントだと思っている学びがあります。そこで必ず押さえるのは、得意なことだけがもちあじではなく、自分が苦手なことや周囲に助けてほしいことなど1人1人のもちあじでその人の価値を作るのだということを語りながら、年度初めや、年の途中などにワークをします。

人権学習の中でも重要なポイントだと思っていて、吹田市や三島地区などで人権の研修に参加すると、時々その話が出ます。谷村先生も言われたように、自分が何者であるか、どのような思いを抱いているか、何に苦しんでいるかを言葉にすることが何度も行われ、周りからの回答を受け取ることで、私たち自身でも理解が深まると思います。僕自身もこうやって同じ件での発言を繰り返し話しているうちに、自分自身が理解していることに気づいていくわけで。子供たちも同じでしょう。

自分自身が抱える問題について、本当に自分が理解しているのかどうか疑問に思い、言葉にしてみると、自分が思っていたことと違うことに気づくことがあります。繰り返し言語化してみるということを学校で経験する意味があると感じます。
これはギフテッドに限らず全ての子供にとってそうだと思います。人権委員教育の文脈にも繋がっていくことがあると思いました。このもちあじワークの話を、ぜひ今日の学びも活かしていけたらなと思います。これが答えになっているかよく分からないのですが。

谷村:いや、本当にそうだと思いますよ。
最終的には「インクルーシブ教育」に落とし込みたいよね、っていう話を NES でもしていたんです。高山先生もよくご存知だと思いますけど、特別支援教育の方針転換により、現場がざわついていて、実際のところ、支援が必要なシーンが本当に受けられなくなるんじゃないかっていう不安感というか、制度の方が勝手に変わっちゃって、また1から作り直すか不安感を持たれている。

ギフテッドに限らないと思いますけど、そういう親御さんっていうのは結構いらっしゃって、そこに方向性が猛反対に走りそうな危機感もあるんですよね。環境調整とか、それぞれの持ち味、ワークデメリットメリット両方含めての何か、いろんなことをまるっと自分らしさとして考え、間考えていくとか、感じていくこととは何か、ずいぶん違う方向に教育政策の方を走っていくのかな、ありますよね。そういうのを何かないですか。

高山:そうですね。結構いろんな教育の政策が出されますが、聞いたり会話しながら何か見つけていくことは本当に多いのに、政策でポンと出されて、それに対して人がついたりつかなかったり、学習プログラムが降りてきたりします。そういうことだけではないと思うんですよね。

腑に落ちながら進めるとか、やってみてうまくいかないと思ったら調整してもう1回チャレンジしてみるとか。そんな繰り返しの保障の方がもっと大事だと思うんです。そういった時間がなかなか取れない中で、それでも学んでいかなければならないし、むしろ保障していきたいし、そうすることで先生たちももっと豊かに教育に向き合えるのにな、と思っています。

谷村:先生目線というか、まだ学校目線として、そういうマイノリティの人たちが優先順位が下がるというか、いないことにされちゃうというか、インクルーシブと言いつつ、やっぱりそこまではできませんってなる感じなので、学校や先生としては、やっぱりそれが何か大事にしたいものがあるから、優先するべきものがあると思いたいんですけど、それって何でしょうか。

高山 :「どの子も大事にせなあきませんよね」と問いかけたらどの先生も100%「はい」って言うと思うんです。誰も優先順位を後まわしにしようとは思っていない。結局、日々の行動として、授業の中でのやり方だったり、何かあったときにとっさに指導するやり方だったり、そういったところでそれがかなり優先順位を下げていることに気づくのはなかなか難しいかもしれません。でも、そこに気づくことが大切だと思います。

「そうじゃない子もいるよな」と少しでも頭に浮かべば、少しずつ変わって変わる、というか、声のかけ方とか指導の仕方も徐々に変わっていくものではないかと思うんです。そんなこと言ってる僕も、失敗の連続だし、気付けた子もいたなと思うのですが。

僕が授業をでかかわった子がいて、その子は授業中何にもせず、見もしないんですよね。ずっと寝ているんですけど、本当は起きていて全部聞いているんです。あまりにも何もしないので、もう僕も1度かなり大きな声を出して怒ってしまったことがあります。今考えたら猛反省ですけど。
他の先生方も怒ってしまい、その子は余計何もしなくなってしまいました。段々と繋がりができてきたので、ある種意図的に数学をやらず、話を聞いたり一緒にゲームをして遊んだり、いろんな関係を作っていく中で、3年の半ばぐらいになって話もたくさんできるようになりました。2年がかりです。その後、授業中はある程度自由にすることを許したり、これをやったら頑張ろうと緩急をつけたりなどするうちに「実は小学校にやる気を置いてきてしまっているんです」と言ってくれたことがありました。具体的に何年生、ということも教えてくれました。

おそらく小学校のときに何かあったんですよね。先生から言われた言葉とか、もしかしたら何か一生懸命やろうとしてることが、先生のペースに合わなくて怒られたりしたかもしれない。これは想像ですが。

その子は教科のテストなんかにも、あまり向き合うことはなかったのですが、高校生になって8割ぐらい取れるようになったと聞きました。中学校のときのことを考えたら想像できない。何らかのきっかけが奪ったものが、それでも取り戻せたという実感がありました。
40も半ばになった教員がこんな感じなので、若い先生はもちろん、ベテランだって間違った指導をしてしまうことはあると思いますが、それが間違いだと教えてくれたのは子供です。実は先生そういうことでしたよ、ということを受け止められるようにしていきたいと思うんです。

先生は1人で解決するものと抱え込んでしまっていないか?

和田:とある先生の言葉がけに何か問題があったとしても、そのとき同じ学校に居ながら「この子は、ある指導のせいでやる気を失った」と気づくのは多分不可能で、本人も小学校にいるうちは原因が自分にあるに違いないという考えから抜け出せず、場所や先生が変わって、中学校に行ったから言えたというか、切り離せたから言えたし聞き出せたというのがあるんじゃないかなと思いました。

高山先生の教え子さんのケースで、小学校のうちになるべく早く気づいてそこをケアしてあげるためにはどうしたらよかったんだろう?と考えてみたのですが、子供の課題を自校のみ(あるいは担任のみ)で抱え込む構造になってしまっていることがそもそもの問題なのではないかと思いました。
子供の課題を「普通学級と支援級」でも「学校と別のコミュニティ」「学校と図書館」「学校と家庭」でも何でもいいんですけど、何かそういう関係性の中で、何か様子が変なんだよねって気付きを与えあえる関係があるといいと思う。

先生ってお1人ですごい抱え込んで1人で解決しないといけないと思い過ぎてる気がするんです。そんなことあるはずがないのに自分のせいと思い過ぎていて、それは学校の体質でもあると感じています。例えば今、このような場をでさえ、高山先生は今私たちが挙げた問題点に関してすべてお1人で引き受けて持ち帰ろうとするような発言をされていましたよね。なんで1人でどうにかしようと思っちゃうんだろう?って思いました。
全ての声に耳を傾けて、学校の先生で相談しやすい先生って結構そういうタイプの方が多いですよね。自責の念が強すぎというか抱え込みすぎないようにするには、どうしたらいいんだろう?って思いました。

瀬戸口:本当にそうですよね。先生1人でどうしてもそうなりがちというか、そういったときに、先生として学校の先生として、いろいろ助けというか協力ができる体制っていうのはあるんですか、何か。スクールソーシャルワーカーとかいろいろあるっていうのはあると思うんですけど、実際問題その辺って連携とか取れる状態なんでしょうかね。

高山:今言った子のケースは複数の教員でかかわる体制があったので、それこそ、僕も担任ではなかったんで学年全体で、担任の先生とも話したり協力しあいながらで、1人で抱え込むということでもなかったと思います。ただこれが例えば授業を見に来たりして「あの子また立ち歩いて」って感じで牽制し合いの雰囲気がもしかすると学校現場もあったりすることもあるかもしれないし、もし、そういったことがあった場合は逆にしんどいかもなという気もします。

瀬戸口:先生同士の、何か助け合いというかねそういうのはあるとしても、和田さんが言いたかったのはたぶん居場所的なものかもなっていう気もします。

高山:なるほど。先日のこの学習会のように、保護者も先生も参加する場所は貴重ですよね。自分の学校では、何か利害が発生したりして難しかったりもします。もっと吹田に広がったらいいと思いました。いい時間でした。ああいうところに皆が来られたらいいのにと思いつつ、まず広げることを、僕もしていこうかなと思います。

行政や自治体も、問題を解決するために、あまり対話をオープンにせずに抱え込もうとしているのかなと感じる場面もあります。

瀬戸口:対話するなら内部だけではなくてオープンにしてほしいですよねぇ(笑)。立場が違うとか、意見が違うとか、そういう人たちの中でこそ対話って豊かになるし、難しいけど、意味があるし価値があると思います。

もともとNESという団体は「対話のテーブルを作る」という目的で始まりました。子供たちにとってより良い教育を実現するために、保護者、行政、地域、先生など関係なく、同じテーブルについて対話できるようにすることを目指していました。しかし、教育センターに出向いても、結局保護者はお客さん扱いになってしまいました。これは無理だと感じました。先生たちにも守らなければならないものがあり、対話のテーブルに参加することが難しいという問題がありました。けど、高山先生がフォーラムで対話について色々と感じてくださっていたのだとしたら、それはとても本望です。

谷村:「先生だけになんとかしてほしいわけでもないんですよ」って、先生という立場でなかなか聞くことがなくて、むしろ「何とかしてください」と言われ続けるポジションですよね。親御さんの「先生だけに背負わせるつもりじゃない」というふっとした気持ちというか「常識的に考えたらそらそうやろ(笑)」っていうところとかを知るきっかけを先生たちが知ることで、肩の荷が下りるとか一緒に何か考えたらいいんかなっていう。

何か言われたから、何か返さなきゃじゃ、なくて一緒に考える相手として保護者を見られる、保護者の方も一緒に考える相手として先生のことを見られるようになるといいよねっていう、さっき和田さんが言っていたように、「保護者VS教員」とか「外部VS中」という感じの構図になってしまうと、逆に内側の圧力もどんどん高まる。

「何とかしないと」という気持ちが先生同士の監視になったり「立ち歩きは私達が何とか矯正して立ち歩かない生徒にしないと」という感じで非常に責任感が強いからこそ出てくる、先生たちの規律的な考え方ってめっちゃあると思うんです。けどそれって自分たちで何とかしなきゃという責任感のもとにあるよなっては思うので、今本当におっしゃった通りですけど、外部と連携するっていう方法は本当にないんですか、視野を広げるような形とかがねインクルーシブもそうなのかなって思うけど、学校の中の問題だけとして考えてたら、インクルーシブと言いつつ、非常にエクスクルーシブな、発想自体が閉鎖された空間の中でインクルーシブしようという感じになる。

「閉じた空間でインクルーシブを完成させよう」ってすごい矛盾じゃないですか(笑)

次につながる学びの場、第2弾コラボの話

先生も保護者も子育てにかかわる大人が学ぶ場を

高山先生:谷村先生とのつながりもあったりして、僕って結構学校の外に出てる人になってるんじゃないかなと思うんです。外に出るって楽しいんですよね。

瀬戸口:この間の会は本当良かったと思っていて、また第2弾・第3弾も考えているのですが、同じようなやり方がいいのか、少し変えてディスカッションや対話の時間を増やすとか、どういう場所でやったらいいんだろうとかそういう考えとか出せたらいいかなと思って、先生が来やすいのってどういう見せ方なんですかね。

和田:オンラインにして全国にしてしまった方が逆に参加しやすいですか?アバターで参加してよいと意見言いやすいとか(笑)

高山:うーーん。行きたいと思う気持ちはあるのですが、そもそも忙しくて時間がないという問題があります。僕も自分がいいなと思う勉強会に同僚誘うときもありますが、かなり絞って年に3回ぐらいです。僕も外に学びに行ったりして、自分だけがやってても仕方がないと。同僚も学んでもらって一緒にやらないとなぁ…という気持ちもあるんで、誘いたいんですが誘いにくい。でもそれも踏まえつつ、現場の困り感にマッチすると来てもらえるかもしれないっていう実感はあります。

和田:私はインクルーシブについて考える会を先生方と協働して開きたいんです。
例の文科省の通達に関してもそうですが、トップダウンで何か変えてくれって要求するよりは、子供たちに意味のある活動につなげる何かクリエイティブなことをしたい。
たとえば、家庭と支援の先生が協働したグッドケースってあると思うんですよ。それをみんなでシェアしながら地域で集まって実践報告会という形で、こんないい経験があるよっていう積み上げをスモールスタートで始めるとか。

正規ルートで要望を上げるのもいいんですが、それだけじゃ足りなくて、実績をもとに話をしないと文科省には敵わないと思うんです。吹田市モデルのインクルーシブの実践。保護者と支援の先生がつながって、その子を中心に、こんなことをやってるっていう事例集を作るっていうだけでも意味があって、仲間がいるよとか、その学校のルールに対してそれするだけどこのラインでやってますよとかっていう例えばそういったことを、学校の先生側も共有できたりとか、親にもできることがあるのか、といったことを共有する場を作ってみたいんです。

令和6年度からどっちを選ぶか確定してくださいと言われていますが、令和5年度の間にトライアルでどんなことやってきたかって根拠を作りたい。先生に変えてくださいっていうんじゃなくて変えるのは私達ですっていうふうに保護者の人たちに思ってもらえたらな、って。

高山:インクルーシブの学習会を一度教職員でやったことがあります。普段から勉強会は多かったのですが支援級の先生がその中にかなり多数おられました。やはり今回の通知っていうのは、どうなっていくんやろうという意味で先生方を引きつける一つのトピックではあると思います。

僕の一存では決められないけど、例えばそんなこともしながら、インクルーシブ教育を考え直す機会を、学習会路線で一緒にできたらいいかもしれませんね。

谷村:夢のタッグですよね。先生方も、保護者地域の人と繋がって何かしたいと思ってはるっていうのはめちゃめちゃいいタイミングだと思うので。この話題がちょうどそれにフィットするんだとしたら、保護者の方からもそうしたいというニーズがあるので、先生たちの勉強会でもありながら保護者の方もかなりたくさん自分たちの場として来られる場になる。要するに、保護者、当事者系の学習会に先生たちも来られて、どちらからの入り口もあるよ、と一堂に会して同じテーマについて、考えていこうよ設定っていうのは対立構造の中で保護者対学校ではないところの解決を目指すためのこれからの教育のあり方かなり未来志向だなって思うところがありますよね。

現場で顔を合わせる人たちが自分たちのこととして自分ごととして教育・学校を語っていけたり、意見が言えたりっていうのが本当はそこが解消したいとこじゃないですか、何かの権利保障されましたはいOKとかいう話には絶対ならないので、そこに関わってる人たちが何を考えて、どういうふうにそれこそ誰かを見捨ててるんじゃないかという視点を常に問い直しながらやっていく、そのための対話の場ですよねっていう設定はとっても魅力的だなって思いました。

インクルーシブ教育学習会のお知らせ

高山先生、長いお時間ありがとうございました。長々と書き綴ったレポートをお読み下さったみなさまもありがとうございます(笑)

このお話が元となり、吹田市教職員組合の先生方とNESとで「インクルーシブ教育学習会」を共催することになりました!

先生方と保護者、どちらもが子どもたちをまん中に見据えて、今何ができるのかを考えたい。そのための学びのひとときを一緒に過ごしませんか。

お申し込みはこちら→https://studygroup-on-inclusive-education.peatix.com/view

Peatixで申し込み受付をしています。
※参加希望の方は「チケットを申し込む」ボタンから申し込みをお願い致します。参加希望ではあるけど当日の都合がつかないという方に向けて、後日動画を視聴いただける枠を設定しました!

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