ずっと憧れていた「景色」を探して
この記事をご覧いただきありがとうございます。
エッセイ的なものです。
どこか懐かしくて、切なくて、儚くて、寂しくて、でも楽しくて。
そんな「景色」に、ずっと憧れています。
って言われても分からないですよね。
まだ、この「景色」を表現する言葉が見つかりません。
おそらく、ノスタルジアという言葉が一番近いかもしれません。
最近流行りの「エモい」という「エモーショナル」から派生した言葉も、それに近しいかなと思います。
私の頭の中には、いつの頃からか、ずっとそんな「景色」が浮かんでいます。
この「景色」の正体は何なのか。よく分かっていません。
それらしい写真を見ることはよくありますが、それが自分の思っている「景色」なのかは、自分でも判断できません。
なお、この記事のトップ画はいつかの拾い画ですが、現時点で「景色」のイメージに一番近いです。
また、私は音楽鑑賞が趣味なので、様々な音楽を聴いていると、たまに「景色」が浮かんでくる楽曲に巡り合うことがあります。
とくに「水中メガネ」という楽曲を聴くと、私が憧れている「景色」が頭の中に色濃く映し出されます。
この楽曲は、Chappieという覆面アーティストが1999年に発表し、作詞が松本隆、作曲が草野マサムネ(スピッツ)という布陣で制作されました。
この楽曲は、のちに草野マサムネさんがセルフカバーしています。
この楽曲もまた、私の憧れている「景色」と似たような、懐かしさ、切なさ、儚しさ、寂しさを、サウンドや歌詞から感じ取ることができます。
私がこの楽曲を聴いて浮かびあがる「景色」は、どこかぼやけています。
海辺の家の縁側で、幼馴染同士の少年少女がじゃれあっています。そこには、子供ながらの無邪気さ、どこか官能的な情景、いずれ終わりがきてしまう危うさを感じます。
もしかしたら、私自身がそれに憧れているだけなのかもしれません。田舎の生活・幼馴染との関係など。幼少時代はそういう経験をしてこなかったので。
むしろ、一時期はそんな自分にコンプレックスを抱いていました。世の中にありふれているような体験をなにもしてきていない、つまらない人生だったなと。
それでも、いつの頃からか、その「景色」の中に入ってみたいと思うようになりました。
まだ、間に合うと思っています。
私がこれから行こうと思っている尾道には、その「景色」があるような気がしています。
根拠はありませんが、訪れるたびに、同じような空気を感じていました。
なぜ、「景色」にこんなにこだわっているのか、自分でも分かりません。もしかしたら、ただの現実逃避なのかもしれません。
また、憧れてはいるけれど、そこに住みたいのか、ただ行ってみたいのかすら分かりません。
そもそも、まだその「景色」の正体は何なのか答えが出ていません。もしかしたら尾道に行っても分からないままかもしれません。
結局、分からないことばかりですみません。
それでも、心の向くままに、その「景色」を探し続けます。
「ほかの誰かじゃ きっとわからない それをいつも探してるのさ」
3カウント/ゆず
乱筆にて
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