New York フリーランサーの時給交渉
私は、2000年に卒業してから、ニューヨークのファッション業界で、Technical Knit Designer として、仕事をしています。
Technical Designer は、日本のファッション業界では、存在しない様です。どんな仕事なんだろう、と興味を持って頂いた方は、この記事を読んでみて下さい。
フリーランサーのきっかけ
卒業後、2つ目の仕事場は、社長と社員各一人づつの小さな、ニットのデザインスタジオでした。社長兼デザイナーである、バーバラが、いくつもクライアントを持ち、各クライアントからの要望に応じて、デザイン・その他の仕事を請け負っていました。
私は、そこでアシスタント・デザイナーとして雇われ、彼女の指示のもとで働いていました。
大学のジョブバンクで、この仕事の広告を見つけ、面接と簡単なスケッチのテストの後、トライアル雇用1週間を言われ、承知しました。
その時の時給が、$9だったのを覚えています。もちろん、これはトライアル期間なので、正採用になれば、年俸で契約したわけです。
当時、9.11の影響で、一時的な不景気が来ていました。こういう状態になると、ファッション業界は真っ先に、痛手を受けます。私は、9.11の時には、就職活動の真っ最中でした。労働ヴィサ (H1)でアメリカにいたので、最初の会社でレイオフになれば、H1 のスポンサーも失ったことになり、厳密にいえば、法的には不法滞在になります。
移民弁護士からは、決して国外には出てはいけないし、1日も早く次の仕事先を見つけることが、最優先と言われました。
こういう状況下だったので、お給料は低くなったけれど、全ての条件を呑み、ここで働くことに決めました。
フリーランサーの始まり
バーバーラのもとで働き始めて、1年少し経った時に、彼女が、一番大きなクライアントを失いました。そして、それが原因で、午前中の半日労働となり、午後は、彼女のクライアントのひとつ、香港に本社のある、セーター工場の NYC オフィスで働くことになりました。
この時の時給交渉は、バーバラが予め話してくれていて、バーバラの元で支払われている、年俸よりも、はるかによかったです。
こうして、1日に2つの仕事をして、午前中は正社員、午後はフリーランサーとなりました。
バーバラの仕事が、朝の4時間で終わらない時は、夜に自宅で終わらせ、その分は、時給で支払われていました。多分その頃には、2倍の$18くらいにはなっていた気がします。
口コミで増えたフリーランシング
こんな感じで、仕事を続けていくうちに、小さなクライアントができてきて、自分で時給を考えて、自分で契約書を作り、仕事を取り始めました。
やり方は、バーバラの元で全て仕事しながら、学んでいたのでそんなに大変では無かったです。
正社員としても働き、フリーランスもするのは、時間的に大変でしたが、やはり、収入が増えていく事が、嬉しかったです。
フリーランスに慣れていくと、自分で時給を上げて、それに見合うだけの良い仕事をしようと、更なる励みにもなりました。
予想外の不景気の再来
リーマンショックが原因で、ニューヨークのファッション業界は、再びひどく落ち込みました。例外なく、私もまた、レイオフになり、2008年〜2009年は、フリーランスさえなかったです。
ありがたかったのは、私は、2008年の10月に、就職した一つの会社からスポンサーの援助を受けて、グリーンカード(永住権)を習得したので、正社員として、働かなくても、不法滞在にはなりませんでした。
2年近く、失業保険を受け取っていたのを覚えています。決して楽ではありませんでしたが、それでも、この永住権のお陰で、失業保険を受け取る資格が得られた事に、とても感謝していました。
Direct clients vs. Indirect clients
2009年の終わり頃から、ようやく景気が少しづつ上向きになってきました。私も、いつもの就職活動の様に、履歴書を最新して、知っているリクルーターや、求人サイトに送りました。
一つのリクルーターから、Helmut Lang (ヘルムット・ラング)でのフリーランスの話が来ました。Helmut Lang といえば、ニューヨークを代表するデザイナーズ・ブランドで、私はやってみたいと強く思いました。
そこで時給の話になり、私が自分で直接クライアントと交渉する料金よりも、15%以上低いことが分かり、少しちゅうちょしました。
このように、フリーランスの仕事がリクルーターや、エージェントを通してくると、この仲介人がマージンを取るので、どうしても手取りが低くなります。日本でも、それは同じだと、思いますが・・・。
お金より役立つもの
ヘルムット・ラングでの仕事を決めた第一の理由は、name value (名前の持つ価値)です。決して、big name が、良いものを作り、名前の知られていない、ブランドがそうではないという事ではないです。
ただ、ファッション業界の現実は、やはり最初に履歴書からの選抜が始まるので、履歴書には、目をひく、光る物が欲しいです。
今思い返しても、この仕事をやってよかったなと、心底思います。まず、一緒に仕事をした、セーターのデザイナー達が、ほんとうにcreative 「創造的で、デザイン性に優れている」でした。それに加えて、とても働きやすい人達でした。
そして、この後、日本でも一部の女性に人気のある、Alice & Olivia (アリス・アンド・オリヴィア)や、スリークで、ミニマルなデザインの Narciso Rodriguez (ナルシソ・ロドリゲス)などでも、クチコミで、フリーランサーとして仕事ができました。
Helmut Lang での仕事を起点に、多くの、とても良い経験を得られた事、今でも、大感謝です。
何か、仕事やプロジェクトの請負を考える時、お金と一緒に、それをやる事が自分にとってどんな意味を持つのか、どんな可能性をもたらしてくれのか、そんな事も考えたらとてもプラスになります。
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