夏、とろけるような記憶の中で

とろけるくらいに、片思いをしていた時がある。数年前、他のもの全てを失ってもいいというほどに、彼のことが好きだった。これも過去形である。

もともとの出会いはSNSで、この人、タイプだなと密かに思っていた。とある日、新宿二丁目のバーに顔を出した時、たまたま彼がいたので、玄関の付近に。

僕は思わず曖昧に話しかけた。そして後ほどDMをした。実物も破壊的に可愛いなと思った。もうその時すでに一目惚れしかけていたのかもしれない。

後日、改めて会うことになった。居酒屋。仕事終わり。彼はやや汗の匂いを漂わせながらやってきた。シャワーを浴びてきたという。夏だったのかもしれない、たしか。彼はお酒が好きだった。僕も彼に合わせてたくさんのお酒を飲んだ。日本酒はすぐにまわる。ふわふわとした気分で彼の目を見ていた。

最後の方、テーブルの上で彼の手を握った。彼はそれを嫌がらなかった。その後、カラオケに移動して、また彼の手に触れた。彼はやっぱり嫌がらなかった。「こっちおいでよ」という彼の声のままに、隣に座った。彼に膝枕をしてもらう。彼はその後、キスをしてきた。少し体を触られた。何を歌っていたのか、何が流れていたのかよく覚えていない。彼の唇はとてつもなく柔らかかった。溶けてなくなってしまうほどに。

お泊まりでもするのかなと思っていたが、彼は終電前に帰ると言った。一緒の電車で揺られて帰った。先に彼が降りる時、「またな」と言って頭をポンポンとしてきた。彼のことが猛烈に好きになりかけていた、と今では思う。しかしキッカケというものは本当にわからない。唐突にやってくるものだ。

それから、何度も会った。何回もキスをして、何回か体を重ねた。彼の体の重ね方がとても好きだなと思った。優しくて、大きくて、愛のある感じで。「こんなこと、いろいろな人にやってるの?」と思わず聞いた。彼は曖昧な表情を見せて少し困っているようだった。

やがて、やり取りの中で、彼は僕に恋愛的に興味がないということを知った。クリスマスの日も会えなかったし、その少し前に恋愛関係は断られてしまった。同時に、僕に好意を持ってくれている別の人からの誘いを、僕は断ってしまった。交差しない想い。どこにも行けない、と思った。

いつだったろうか。彼の家の近くのスパ銭で岩盤浴をして、その帰り道。線路の横をふたり並んで歩いて帰った。大好きだった。何が大好きか分からないけど、とろけてしまうくらいに大好きだったのだ、ずっと。彼の横顔をふと眺める。エクボが見える。このまま駅までの道のりが何時間と続けばいいのに、と本気で思った。果てしない長さで続いていく道のり。ずっと線路沿いの道が続くだけで、なかなか駅に辿り着くことができない。汗がこぼれ落ちてくる。そう、今は夏なのだ。

それから、結局、駅にはすぐに着いてしまった。このまま一緒に家に帰れたらいいのに、と願うほかなかった。僕は彼のことが好きで、彼は僕のことが好きではない。それだけの単純な事実が、僕の胸を深く深く抉っていった。もう彼はいない。僕ももう、そこにはいない。


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