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超!一遇を照らす…ブラームス《交響曲第1番》第3楽章のクラリネット!

新日本フィルnoteではダントツの情報量「岡田友弘《オトの楽園》」。指揮者の岡田友弘が新日本フィルの定期に絡めたり絡めなかったりしながら「広く浅い内容・読み応えだけを追求」をモットーにお送りしております。今回も「新日本フィル創立50年記念特集」!9月16日、17日の「すみだクラシックへの扉」のメインプログラムであるブラームス「交響曲第1番」の「一隅を照らす」回です。いつもはあまり目に留まらない「ある部分」に焦点を当てました。演奏会ではぜひこの部分にもご注目してください!

前任者が偉大すぎると、その後任者はその存在の大きさにプレッシャーを感じることがある。何かにつけて「あの人はこうだった」だのと無神経に人の気持ちも考えずに軽く言う人は一定数いる。もっと酷い人になると「今の人より前の人が良かった」と言う人まで…。

事情は違えどかつて合唱付きのオーケストラ作品を指揮した演奏会の際、打ち上げで合唱団のメンバーの妙齢な女性方が「本番の指揮者より、私たちの合唱団の先生のほうが良い」と言っている会話が耳に入ってきた。本人には聞こえないだろうと思っていたのだろうが、こちらは一応「指揮者」だ。聴くのが仕事である。それ以来、僕は合唱や合唱団に対してトラウマを感じるようになった、近い将来そのトラウマが解消されることを願うばかりだ。「壁に耳あり障子に目あり」自戒を込めてこの諺を胸に刻む。

ドイツの作曲家ブラームスもそんな「前任者」の存在に苦しめられた。その前任者とは、あのベートーヴェンだ。

ベートーヴェンは9曲の交響曲を残したが、その存在があまりに偉大すぎると、ブラームスは交響曲の作曲に踏み出すことができなかった。メンデルスゾーンやシューマン、ブルッフなどは交響曲を作曲していたし、同年代のブルックナーなども交響曲を作曲はしていた。それでもなお、ブラームスは交響曲の作曲に慎重だった。「ベートーヴェンが後ろから行進してくる」とブラームスが語っているように、先人の偉大な業績が大きなプレッシャーとなり、ブラームスに重くのしかかっていたのだ。

ブラームスが「交響曲を書くぞ!」と思ったのが22歳の頃、そして交響曲が完成したのは作曲家43歳のときだった。実に21年という年月を要した。ブラームスは決して「筆の遅い」作曲家ではなかった。

ベートーヴェンと同じ9曲の交響曲を残したイギリスのヴォーン・ウィリアムズが最初の交響曲を作曲したのが38歳、そして同じイギリスの作曲家エルガーはなんと51歳で最初の交響曲を作曲した。これを見るとブラームスの交響曲作曲年代は特段高齢には見えないが、イギリスの2人はそもそも「遅咲き」の作曲家、それに対してブラームスは早くからその才能を認められていたので、少し事情は違う。ブラームスの場合に特筆されるのはその「長い作曲期間」である。

このように慎重に推敲を重ねて完成した交響曲は高い評価を受けて、指揮者のハンス・フォン・ビューローはブラームスの交響曲を「ベートーヴェンの第10交響曲」と絶賛した。余談だが、ベートーヴェンには未完の「交響曲第10番」があり、その草稿をもとにしてイギリスの音楽学者バリー・クーパーが1楽章をオーケストラ作品として蘇らせ、日本でも読売日本交響楽団が演奏、そのドキュメンタリー番組を小学校高学年だったか中学生のころに見た記憶がある。壮大な曲でベートーヴェンらしいのだが、やはり「第九」に比べて聴き劣りしてしまうように感じた。ベートーヴェンに未完とはいえ「第10」がある以上、ブラームスの交響曲第1番は「ベートーヴェンの第11交響曲だ!」ということになるが、なんだか語呂も悪い。作品の素晴らしさも考えたらやはり、「ベートーヴェンの第10」でよいだろう。

練りに練られた「交響曲第1番」、日本のクラシックファンは「ブラ1」と略した名称で呼ぶが、慎重に作曲されただけあって「聴きどころ」が随所にある。冒頭のティンパニ、2楽章のヴァイオリンソロ、全編において美しい旋律を奏でるフルートやオーボエ、最終楽章に登場するホルンのソロ・・・これはクララ・シューマンに向けた親愛の情を旋律に乗せたものが原型となっている。そのホルンの後に登場する神々しいトロンボーンのコラールも大きな聴きどころである。

その珠玉のメロディーの中から今回取り上げるのは、ブラ1の中ではやや影が薄いように感じないでもない「第3楽章」、その冒頭のクラリネットにスポットライトを当てる。

なぜか?それは僕がブラ1のなかで一際大好きな部分だからだ。


ブラームス「交響曲第1番」シューターツカペレ・ドレスデン(指揮・ベルナルト・ハイティンク)

前回の「オトの楽園」で、ベートーヴェンが交響曲に「スケルツォ」という楽章を取り入れたことに触れたが、ベートーヴェンを敬愛し、その存在の大きさゆえ交響曲を書くことに慎重になっていたブラームスは「スケルツォ」楽章を交響曲に採用していない。どちらかというとテンポは速いが「牧歌的」な旋律を持つものを採用した。例外は「交響曲第4番」でその第3楽章には急速なテンポの楽章をおいている。しかし「スケルツォ」が3拍子なのに対し、ブラームスは2拍子の楽曲を書いている。

交響曲第1番の第3楽章は「Un poco Allegretto e grazioso」という音楽のテンポや雰囲気をブラームスは指定している。その意味は「ちょっとだけ速く、優美さを持って」というもので、激しいというよりは優しく、穏やかな感じをもつ楽想となっている。

ブラ1−1
ブラームス「交響曲第1番」第3楽章の冒頭

その冒頭に旋律を担当するのがクラリネットだ。この楽器選択には「さすがブラームス!」と膝を打つ。音色、音域ともにこの楽章のイメージにぴったり合う楽器は他にないだろう。クラリネットは音域の広い楽器でそれぞれに「シャルモー」「クラリーノ」「アルティッシモ」という名称がつけられていて、「シャルモー」と「クラリーノ」の間には「ブリッジ音域」もしくは「喉の音」と呼ばれる初心者には鳴らすのが難しい音域がある。

この冒頭でクラリネットが奏する音域は「クラリーノ」音域で、クラリネットの名前の由来にもなった「最もクラリネットらしい」音域だ。この音域の中でこの素晴らしい旋律を作曲したブラームスの楽器に対する知識の深さも窺える。この部分には「dolce(ドルチェ)」というイタリア語が書いてある。「甘く」という意味もあるが、この場合は「優しく」という指示である。この「dolce」をどのような音色で演奏するかも注目ポイントだ。

しかし、この冒頭部分を「注目ポイント」としないのが「オトの楽園」である。今回スポットを当てるのは、その後19小節目、練習番号「A]と書かれた部分のクラリネットだ。(動画では30秒くらいから)

ブラ1−2
ブラームス「交響曲第1番」第3楽章の19小節目からのクラリネットのアルペジオ

この部分のメロディーはヴァイオリンが担当しているが、これは冒頭にクラリネットが吹いていたものである。そのメロディーに寄り添うようにクラリネットは「3連符」の音楽を演奏している。この3連符の跳躍や下降は「分散和音」と言われるもので、同時に音を重ねて鳴らす和音を分解したもので「アルペジオ」とも言われている。「アルペジオ」の由来は「ハープのように」という意味だ。

オーケストラのどの管楽器にも、アルペジオは登場する。その中でとりわけ「アルペジオ率」が高いのがクラリネットだ。

なぜか?それはクラリネットは「アルペジオが得意」な楽器なのだ。それでは何故クラリネットはそれが得意なのだろうか?

まずは音のキレの良さがあるからだ。それはクラリネットの楽器のシステムや発音原理に依るところが大きい。

クラリネットの上部、口をつけて音を出す部分では一枚のリード(葦などで作られた振動板)に息を入れて振動させることで音が出る。オーケストラの木管楽器の中で一枚のリードで音を出すのはクラリネットだけだ。吹奏楽やジャズなどで活躍するサキソフォンも一枚リードであるが、一部の作品を除いてオーケストラ編成には入っていない。オーボエやファゴットは2枚のリードを重ねたもので音を出し、フルートは歌口にある穴に息を入れることで音が出る。

このクラリネットの一枚リードの構造がアルペジオのような動きでも音の粒も明瞭にすることができるのだ。しかもそれが少し長めの音にして吹くのも、なめらかなスラーやレガートで吹くのもクラリネットは得意なのだ。さらに音量の変化も楽に出すことができるので、どのようなアルペジオにも対応できる「ユーティリティ」さゆえに、アルペジオがクラリネットに多く登場するのだと推測される。最近は一般化したゴルフの「ユーティリティ」クラブのような「使い勝手のよい便利な楽器」なのだ。それゆえ管絃楽法の本には「色々役に立つのでつい多用しがちだが、奏者の体力も考えて適宜休みを作ること」という一文がある本もある。

また、フルートやオーボエ,ファゴットがオーケストラの中でアルペジオをするよりも、クラリネットのアルペジオは良い意味で「目立ちすぎず」に「メロディーを食わない」ことも大きな理由だと思う。そのようなキャラクターの楽器ゆえ、クラリネット奏者の人には穏やかで謙虚な人が多い気がする。もちろんその逆の性格の人はもちろんいるが…。

クラリネットの前身楽器である「シャリュモー」


クラリネットは1700年頃に、ドイツの職人によりフランスの「シャリュモー」いう古楽器を改良し作られた楽器だ。1700年といえばJ.S.バッハが生きた時代である。長い音楽の歴史から言えば比較的最近登場した楽器ともいえる。そのため、クラリネットが本格的に登場してくるのはウィーン古典派の時代になってからで、シュターミッツやクロンマー(クラマーシュ)そしてモーツァルトがクラリネットの作品を作曲し、今でも広く演奏されている。

フランツ・クロンマー


それでは、作品の中で「アルペジオ」が登場する例をクロンマーとモーツァルトを例に見てみよう。

クロンマー「クラリネット協奏曲」より


次にクラリネット協奏曲の名曲といわれているモーツァルトから

モーツァルト「クラリネット協奏曲」より第1楽章


それぞれ赤枠で強調した部分がアルペジオをやっている部分。どちらもテンポが速く,奏者としてもやり甲斐のある部分だ。このようなアルペジオが全編に渡り書かれている。

ブラームス以前の作曲家の交響曲にもアルペジオや跳躍を含むパッセージが登場する。代表的なものとして、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」の第4楽章を挙げる。

ベートーヴェン「交響曲第3番」より第4楽章

(該当する部分映像の46分53秒から)


改めてブラームスの「交響曲第1番」の第3楽章、19小節目をみてみよう。一見何の変哲もないこのアルペジオだ。しかしこれがなかなか奥が深いのである。演奏家によっていろいろな演奏を聴くことができるのだ。

もう一度楽譜を見てみると、クラリネットの奏する音符にはスタッカート「・」で表記された記号と、レガート(数字の3の上の上の弧を描いている記号)が見える。スタッカートとは一般的に「音と音の間を切って」という意味であり、「レガート」とは音を滑らかに繋げるという意味だ。

この矛盾する記号が同時に書かれているクラシックの曲は多い。この「スタッカート」と「レガート」が両方同時に登場する場合には新しい音楽用語になる。

その名は「ポルタート」、弦楽器などである音を少し下からしゃくり上げるような奏法を「ポルタメント」というが、それとは全く別物だ。音楽辞典には次のように説明されている。

ポルタート=スタッカートとレガートの中間の奏法。ひとつひとつの音を柔らかく区切る。しばしばポルタメントと混同されるが、異なった奏法である
音楽之友社「新音楽辞典(楽語)」より引用

音楽辞典ですら「分かったような、分からなかったような」説明である。結局は「スタッカートでもなく、レガートでもない」ということで、その長さは演奏家(もしくは指揮者)の解釈に任されることになる。だからこそ、この3連符の奏法には多様なヴァリエーションがあるのだ。考えられる可能性をいくつか挙げてみたい。

A・スタッカート寄り

滑らかさを保ちつつ、音符の長さは比較的短めで軽い感じの演奏。どちらかといえば明るく快活な雰囲気になる。それでも「短すぎる」という印象は受けない。

B・レガート寄り

一個一個の音は区切っているが、滑らかにレガートっぽくして「音の繋がり」を重視するような感じの演奏。しっとり優美な感じを醸しだす。

C・テヌート寄り

一個一個の音の長さは保ちつつ、Bよりも一個の音符の存在感を感じることができる演奏。しっかりと上行、下降するので安定感があるように感じるかもしれない。

どれが正解ということはなく、その好みは聴き手の判断に委ねられる。演奏家がどのようにこの部分を解釈するかで音楽が変化する・・・これこそが「再現芸術」としての醍醐味だ。演奏家が「dolce」と「ポルタート」をどのように解釈するのかを感じながら楽しんでいただけたらと思う。

今度の演奏会のクラリネット奏者は果たしてどのような演奏を聴かせてくれるだろうか?とても楽しみだ。

ブラームスにはクラリネットをフィーチャーした作品が多い。交響曲においても管絃楽曲においても魅力ある旋律を書いている。また創作の後期において「クラリネット5重奏曲」「クラリネットソナタ第1番&第2番」といった名作があり、モーツアルトや」ヴェーバーなどの名曲とともに現在でも広く演奏されている。特に「5重奏曲」や「ソナタ」においてはクラリネットの名手との出会いが彼の創作意欲を刺激した。実はブラームス、その長い創作の生涯において「引退」を何度も宣言し、何度も復帰している。このクラリネット作品もその「引退」を撤回させブラームスの作曲家魂に火をつけた奏者との出会いがきっかけで生まれた曲だ。

「名曲の影に名手あり」

これからも「名手」と「作曲家」の幸せな出会いを願い、新しい「名曲」を期待したい。

(文・岡田友弘)


関連演奏会情報

初代音楽監督小泉和裕。
カラヤンの薫陶を受けたゆるぎなく重厚な響きのブラームス。日本を代表するピアニスト清水和音による果てなく深い音の世界。

9月16日(金)14:00 すみだトリフォニーホール

9月17日(土)14:00 すみだトリフォニーホール


プログラム


ブラームス:ピアノ協奏曲第1番 ニ短調 op. 15
Brahms:Piano Concerto No. 1 in D Minor, op. 15

ブラームス:交響曲第1番 ハ短調 op. 68
Brahms:Symphony No. 1 in C Minor, op. 68

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詳細、チケットは新日本フィルホームページで!

執筆者プロフィール

岡田友弘
1974年秋田県由利本荘市出身。秋田県立本荘高等学校卒業後、中央大学文学部文学科ドイツ文学専攻入学。その後色々あって(留年とか・・・)桐朋学園大学において指揮を学び、渡欧。キジアーナ音楽院(イタリア)を研鑽の拠点とし、ヨーロッパ各地で研鑚を積む。これまでに、セントラル愛知交響楽団などをはじめ、各地の主要オーケストラと共演するほか、小学生からシルバー団体まで幅広く、全国各地のアマテュア・オーケストラや吹奏楽団の指導にも尽力。また、児童のための音楽イヴェントにも積極的に関わった。指揮者としてのレパートリーは古典から現代音楽まで多岐にわたり、ドイツ・オーストリア系の作曲家の管弦楽作品を主軸とし、ロシア音楽、北欧音楽の演奏にも定評がある。また近年では、イギリス音楽やフランス音楽、エストニア音楽などにもフォーカスを当て、研究を深めている。また、各ジャンルのソリストとの共演においても、その温かくユーモア溢れる人柄と音楽性によって多くの信頼を集めている。演奏会での軽妙なトークは特に中高年のファン層に人気があり、それを目的で演奏会に足を運ぶファンも多くいるとのこと。最近はクラシック音楽や指揮に関する執筆や、指揮法教室の主宰としての活動も開始した。英国レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ・ソサエティ会員。マルコム・アーノルドソサエティ会員。現在、吹奏楽・ブラスバンド・管打楽器の総合情報ウェブメディア ''Wind Band Press" にて、高校・大学で学生指揮をすることになってしまったビギナーズのための誌上レッス&講義コラム「スーパー学指揮への道」も連載中。また5月より新日フィル定期演奏会の直前に開催される「オンラインレクチャー」のナビゲーターも努めるなど活動の幅を広げている。それらの活動に加え、指揮法や音楽理論、楽典などのレッスンを初心者から上級者まで、生徒のレベルや希望に合わせておこない、全国各地から受講生が集まっている。

岡田友弘・公式ホームページ

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