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「オトの楽園」presents〜徹底的「名曲」の聴きどころ(vol.1)・・・ドヴォルザーク「新世界」

新日本フィルnoteではダントツの情報量「岡田友弘《オトの楽園》」。《たまに指揮者》の岡田友弘が新日本フィルの定期に絡めたり絡めなかったりしながら「広く浅い内容・読み応えだけを追求」をモットーにお送りしております。今回は3月25日、26日の「すみだクラシックへの扉」で取り上げられるドヴォルジャークの代表作、交響曲第9番「新世界より」の聴きどころを「オトの楽園」的に綴ります。押しも押されぬクラシックの名曲が、なぜこんなにも広く演奏されるのか・・・その秘密に迫ります!演奏会前の予習に、演奏会の振り返りにぜひお読みください!

「オトの楽園」には「一隅を照らす」というシリーズがある。定期演奏会等で取り上げられる曲の中の「特定の楽器」や「特定の部分」に焦点を当て、あまり注目されない部分、つまり「一隅」を照らすことで楽曲の輝きを一層鮮やかなものにするという目的のコラムである。

オーケストラの楽曲には古くから「超名曲」と言える楽曲がある。例えばベートーヴェンの「運命」「田園」「英雄」「第九」やシューベルトの「未完成」、モーツアルトの交響曲やオペラの序曲・・・。そして学校の音楽の鑑賞の授業で聴くグリーグの「ペール・ギュント」や「ピアノ協奏曲」、シベリウスの「フィンランディア」やスメタナの「モルダウ」などが挙げられるだろうか。もちろんバッハ、ハイドン、ベルリオーズ、シューマン、メンデルスゾーン、ブラームス、チャイコフスキー、マーラー、ブルックナー・・・挙げていったら枚挙にいとまがない。

その中でも特に多くの演奏会で取り上げられる「超名曲」がある。ボヘミア(現在のチェコ共和国)の作曲家アントニーン・ドヴォルジャークの交響曲第9番「新世界より」だ。

「新世界」に関しての「都市伝説」を一つ紹介したい。かつて経営難に陥ったプロオーケストラが、演奏会の曲目にシューベルトの「未完成」とドヴォルジャークの「新世界より」をプログラミングしたコンサートをし続けた結果、経営難を逃れられたという、にわかに信じ難いエピソードである。かなり怪しいエピソードではあるが、これらの作品の「人気の高さ」を示すエピソードであることは言えるかもしれない。

僕の経験を少しお話ししたい。かつて「新世界」をメインにスメタナの「モルダウ(ヴルタヴァ)」を絡めた演奏会を指揮した時のこと、1300席の大ホールが満席となった。このコンサートは自由席であったため、会場に入れなかったお客様が200名ほどロビーで「パブリック・ビューイング」をしていただいたことがあった。幸いなことに大きなトラブルもなく、次回の演奏会に優先的にお入りいただくということで無事に演奏が開かれた。かつて満員札止めはあったにせよ200人ものお客様が溢れてしまった経験は他になく「新世界」の力をまざまざと見せつけられた経験だ。

そのような「超人気曲」である「新世界」が「超名曲」である理由はなんだろうか?

もちろん、ブラームスをして「ドヴォルザークの仕事部屋のゴミ箱を漁れは名曲ができる」を言わしめた「メロディーメーカー」であることが大きいことは間違いない。魅力的な旋律は聴き手にも演奏家にも大きな喜びや充実感をもたらしてくれる。もちろん最大の理由はそこにあるだろう。

さて、他にも理由があるのだろうか?

聴き手の側から考えてみるとやはり名旋律なだけに映画やテレビ、または毎夕の防災無線から流れてくるメロディーが散りばめられているので「ああ、この曲聞いたことがある!」という部分が他の楽曲に比べても多いということが言える。また演奏時間が約40分(1楽章のリピートをする場合はもう少し長くなる)と「長すぎず、短すぎず」な演奏時間であることも取り上げられやすい理由かもしれない。

オーケストラ側の事情も考えてみた。

ドヴォルザークは「国民楽派」の作曲家として知られているが、もう少し大きな領域で捉えると「ロマン派」の作曲家だ。ベートーヴェン以降、オーケストラの編成は拡大しオーケストラメンバーが増えていった。古典派時代にはまだあまりオーケストラで使用されていなかったトロンボーンやチューバ、イングリッシュホルン、ティンパニ以外の各種打楽器が楽曲の中に通常使用されてきたのがロマン派以降の作品である。

「新世界」にはそれらの楽器が編成に取り入れられている。弦楽器セクションも小さすぎず大きすぎない編成であることも魅力的なのかもしれない。弦楽器が少なかったり、管楽器が少ない編成だと、オーケストラの中で「演奏会に乗れる人と乗れない人」が出でくる。それを僕たちは「乗り番・降り番」と呼ぶのだが、「新世界」は可もなく不可もない人数で演奏できるので、言い方に語弊があるかもしれないが「コスパ」が良い面もある。

逆に編成が大きくなると「特殊楽器」が多く入ってくる。例えばハープやチェレスタ、ピアノが編成に入る曲もある。また標準的な楽器でも人数が増えたり、バスクラリネットやコントラファゴットという大型の木管楽器や、大人数の金管楽器、曲によっては2本のチューバや2組のティンパニが必要な曲もある。そのような場合はオーケストラの正規のメンバーでは足りないので「エキストラ奏者」を別途依頼することになる。そのような奏者が増えると必然的にオーケストラの支出が増えることになる。多くの名曲が演奏されてほしいが、そのような大編成の曲を毎回のように演奏するわけにもいかない。「新世界」はこのような問題もクリアできる「神曲」と言えるかもしれない。

このような下世話な「財布にやさしい曲」だから「新世界」が「超名曲」である・・・ということにはならない。一番の理由は「曲そのもの」にあることは間違いない。「新世界」は曲の冒頭から終わりまで「聴きどころ」に溢れている。しかもそれが「特定の楽器」に偏ることなく、全ての楽器に「見せ場」が用意されている。つまり全ての楽器が「一隅を照らす」ことにより、作品は音楽史上に燦然と輝く名作となっているのだ。

「オトの楽園」は基本的にクラシックの演奏会を今まであまりあまり聴いたことのない方を1番の対象にしている。そのような方のために今回は「新世界」の聴きどころを余すところなくお伝えしたい。

「新世界の自筆譜」の表紙

まずは曲の概要から・・・この曲はドヴォルジャークの交響曲の中で最後に作曲された交響曲である。ドヴォルジャークがアメリカの「ナショナル音楽院」の教師としてアメリカに住んでいた頃の作品だ。「新世界」=「アメリカ」ということである。ドヴォルジャークは馴染みのない異国の地で過ごすことにあまり気乗りはしなかったと言われているが、多額の年俸(かなりの額)を提示されアメリカに渡った。そのアメリカでの音楽体験がこの曲には反映されていると言われている。それは黒人霊歌などアメリカで誕生し発展した音楽などである。どことなく郷愁を誘うメロディーはそのようなものの影響であると言われている。

ドヴォルジャークが滞在していた頃のニューヨーク

約40分の楽曲は4つの楽章に分かれている。ゆったりとした序奏を伴う快活な第1楽章、ゆったりとして心奪われるメロディーを中心とした第2楽章、民族的な力強い旋律を中心とした急速な第3楽章、そして心が鼓舞されるような力強い第4楽章だ。

オーケストラの演奏会では、交響曲の楽章の間に拍手をするのはマナーに反すると考える風潮があるが、僕はその曲が良い演奏で感動したのであれは楽章の途中で拍手しても構わないと思っている。聴き方を強制する「同調圧力」には異を唱えたいと思うが、交響曲はその全楽章で「一つのドラマ」であることも事実である。その一つの流れを断ち切ってしまうのも少々残念というか、気持ちの高揚が断ち切られてしまうと感じてしまう人もいるかもしれない。どちらにせよ全員が楽しみを共有してもらいたいと思うし、聴き方は自由だ。とはいえ初めてのオーケストラコンサートでは「どこで曲が終わるのか」ということだけに集中しては気持ちも落ち着かないだろう。「新世界」の各曲がどのように終わるのかを事前に知っておくことは、何らかの助けになるかもしれない。

1楽章は強い音で終わり、続く2楽章は静かに終わる。3楽章も強い音で終わり、第4楽章は強い音で終わると思いきや「デクレッシェンド(だんだんと小さくする、という意味のイタリア語)」で終わる。指揮者によっては3楽章と4楽章の間をあまり開けずに開始する指揮者もいる。鑑賞の参考にしていただきたい。

それでは冒頭から「オトの楽園的聴きどころ」を」紹介していきたい。

第1楽章、冒頭から聴きどころが待っている。ドヴォルジャークには「チェロ協奏曲」という名曲があり、チェロの魅力的な旋律には定評がある。この曲の冒頭はヴァイオリンを除く弦楽器で開始され、チェロが中心的旋律を担当する。哀愁漂うメロディーは一気に聴き手を「新世界」へと誘う。(譜例・1)

譜例・1

その後ホルン2本で蒸気船の汽笛のようなパッセージを演奏する。この曲はホルンが4パートあるのだが、この部分は3番と4番のパートが演奏する。普段はどちらかというと「裏方」に回ることが多いパートにスポットライトを当てている。まさに「一隅を照らす」部分だ。同様の部分がこの後にもある。序奏が終わり主題部に入ってすぐの旋律も3番、4番ホルンが担当している。ここにも是非注目いただきたい。(譜例・2、譜例・3)

譜例・2
譜例・3

しばらくしてフルート1番とオーボエ1番が演奏するメロデイーが登場する。ここでもそれに絡むのはホルンの3番だ。ここでは3番ホルンはソロで演奏する。(譜例・4)

譜例・4

この旋律がしばらくしてからまた登場する。今度はフルートのソロであるが、このソロは2番フルートが演奏する(譜例・5)。大体の楽曲ではそういう時にはオーボエの隣に座っている1番奏者が担当することが多いのだが、この部分は2番が担当する。実はこの部分の少し前にも2番奏者がソロを演奏する部分がある(譜例・6)。普段はあまりあまり聴くことの出来ない2番奏者の音色を楽しむことができる部分で、僕のおすすめでもある。その後もう1か所、2番フルートのソロを聴くことのできる場所がある(譜例 ・7)。

譜例・5
譜例・6
譜例・7

これらの部分、指揮者コンクールの課題となる部分でもある。オーケストラをリハーサルする審査において、1番奏者が演奏しその間違いを指摘できるか?といった課題だ。しっかりスコアを読んでいれば何ら問題のない課題ではあるが、これらの部分を聴くとコンクールのことを思い出してしまう。

第2楽章は「家路」と呼ばれる名旋律が有名な楽章である。この楽章も聴きどころ満載だ。

イングリッシュ・ホルン

2番オーボエ奏者が演奏する旋律は有名だが、その際に演奏される楽器はオーボエよりも少し長く、ベルの部分の形が特徴的な「イングリッシュホルン」だ。1楽章の最後の音まではオーボエを演奏し、2楽章ではあまり時間を置かずソロを演奏する。楽器の持ち替えの時間もさることながら、いきなりソロを演奏するのだから、百戦錬磨の奏者でも緊張の瞬間だろう。1楽章と2楽章の間をあまり開けずに曲を開始する指揮者はイングリッシュホルンの方に相当不評を買うに違いない。演奏会では是非、1楽章と2楽章の間の2番オーボエと指揮者のコンタクトにも注目いただきたい。また弦楽器は2楽章で「弱音器(ミュート)」を」付けなくてはいけない。曲が始まってから少し余裕はあるにせよ、弦楽器がミュートをつけているかの確認も指揮者の隠れた「業務」である。

ヴァイオリンの弱音器の一例

イングリッシュホルンのメロディーの前に金管楽器の美しいコラール風の旋律が登場する。金管楽器の美しいハーモニーを楽しめる部分だ。この部分で注目してほしいのは大型の金管楽器「チューバ」である。この部分(譜例・8)と、2楽章の最後の部分、わずか「9小節」がチューバの出番である(譜例・9、その1&その2)。全ての楽器に配慮したのかどうかわからないが、40分の中でわずか9小節・・・しかしチューバ奏者はこの一瞬にかけている。チューバ奏者の「本気」をご覧いただきたい。4楽章の最後の盛り上がり、管楽器の中では唯一それに参加できないチューバ奏者が気の毒にも思うが、チューバ奏者の心のうちはどのようなものだろうか?

譜例・8
譜例・9(その1)
譜例・9(その2)


2楽章の後半では弦楽器の響きを堪能できる部分が2箇所ある。まずは4本、その後2本ずつの弦楽器でアンサンブルをした後で1番ヴァイオリンとヴィオラ、チェロが各一本(ソロ)で演奏した後、弦楽器全員で演奏する部分。各楽器のさまざまな規模での音色を一気に楽しむことができる「お得な」部分だ。お聴き逃しなく味わっていただきたい。

そして、曲の最後も聴きどころだ。オーケストラの土台を担当するコントラバスが、この曲では珍しく4つの音に分かれて演奏する。専門的には「ディビジョン」というのだが、コントラバスがこれほどのディヴィジョンをする曲はあまりない。しかもこの部分は「コントラバスだけ」なので、普段あまり耳にすることの出来ない「コントラバスのハモリ」を聴くことができる部分だ。

譜例・10

3楽章はスケルツォという速いテンポの3拍子の楽曲。さまざまな楽器に見せ場はあるが特にティンパニの活躍に注目してほしい。この楽章は1拍目に休符が書かれていて、ぱっと見指揮者の腕の振り下ろしと音楽があっていないように見える部分だが、その時に大きな「指標」となるのがティンパニなのである。「ティンパニは第2の指揮者(ティンパニは指揮者・・・という人もいる)」と言われることがあるが、抜群の安定感と存在感あるティンパニ奏者で聴く新世界は贅沢な体験である。その音色とともに注目いただきたい。

この交響曲に関して、ティンパニ以外の打楽器が登場するのはこの3楽章からである。その担当楽器は「トライアングル」、小学校の音楽などでお馴染みの打楽器であるが、このトライアングルは実は「かなり難しい」楽器だ。楽器によっても大きく異なるし、ビーター(トライアングルを叩く金属製の棒)の選択でもその音色は大きく変わる。これらの選択や奏法の難しさは一般的にはあまり知られていないが、繊細かつ難しい楽器だ。この部分ではトライアングル奏者の妙技に注目したい。(譜例・11)

譜例・11

この楽章の最後の部分で注目してほしいのはヴィオラだ。曲の最後で6連〜5連〜4連〜3連・・・と2音のディヴィジョンで演奏する部分がある(譜例・12)。ドヴォルジャークはヴィオラの名手としても知られているが、ヴィオラの見せ場をここで作っているように感じる部分だ。テンポはそのままで「徐々に速度を落としていく」効果を出しているのもドヴォルジャークの作曲の「ワザ」といえる。

譜例・12

いよいよ4楽章。冒頭の弦楽器のユニゾン(大勢の奏者が同じ音を奏する)で一気に心を鷲掴みにされ、有名は旋律が金管楽器中心に奏でられる。第2楽章のイングリッシュホルンと、第4楽章のこの部分が新世界の中の「有名部分」トップ2であろうか。その後力強い部分が落ち着く部分がある。ここは最大の「聴きどころ」と言える部分だ。この部分1箇所だけに「シンバル」が用いられる(譜例・13の最下段の部分)。しかも「ジャーン!」というシンバルらしい使われ方ではなく、「シャーン・・・」という感じで使われる。このシンバルを機関車と客車の連結音とか、ブレーキ音なのではないかという説を述べる人がいるが、真偽は不明である。しかし、ドボルザークは決して「無駄なこと」をする人ではないはずだ。このシンバルには大きな「意味がある」に違いない。その意味をこの音楽を聴くすべての人がそれぞれに想いを巡らせていただけたらと思う。このシンバルについてはこちらの「一隅を照らす♯1」もお読みいただけたらと思う。

譜例・13

そしてこの交響曲の最大の特徴は「曲の最後」である。大体は聴衆の熱狂を誘うためか、エネルギーの蓄積の結果かは議論の余地はあるかもしれないが、大音量、しかも全員で「派手に終わる」か、逆にだんだん編成が小さくなっていき静かに終わるかの2パターンの場合が多い。しかしこの「新世界」は異なる終わり方をする。最後から2小節前までは全員(トライアングル、シンバル、チューバを除く)で演奏するのだが、最後は木管楽器とトロンボーンを除く金管楽器で演奏され、徐々に音量を絞って静かに終わるのである。この曲の最大の特徴であり、美しい部分だ(譜例・14)。

譜例・14


この部分はまさに「遠き山に日は落ちて」いく情景をイメージする部分で、当時の「新世界」アメリカの広大な自然やこれからの未来を想起させる。そして曲の最後にはこのようなイタリア語か記されている。

”lunga corona"

意味は「長い音で伸ばして」つまり「フェルマータ」である。ドヴォルジャークは好んでこの言葉を他の曲にも使用している。言葉の意味こそ違えど、僕たちも「長いコロナ」の時代を生きている。まだまだ明るい展望は見えないかもしれないが、早くこの”lunga corona"が明け、かつてのようにオーケストラの演奏会ほかすべてのエンターテインメントや余暇活動を思い切り楽しめるような時が訪れてほしいと願わずにはいられない。

長いフェルマータがあろうとも、必ず曲は終わる。そのようなことを考えながら「新世界」の最後の1音を慈しんでほしいと思う。

少しセンチメンタルになってしまったが、「新世界」が「超名曲」な理由・・・それは「すべての部分、すべての楽器に見せ場がある」ということなのだ。そんな「超名曲」をコンサート会場で大いに楽しんでいただけたら嬉しいことはない。もちろん、今まで登場しなかったクラリネット、ファゴット、トランペット、トロンボーンにも素晴らしい見せ場が用意されていることを最後に付け加えておきたい。

(文・岡田友弘)

新日本フィルでの「新世界」演奏会情報!

すみだクラシックへの扉♯5
2022年3月25日(金)、26日(土)すみだトリフォニーホール
14時開演(両日とも)

指揮:大友直人
独奏:清水和音(ピアノ)

【プログラム】

細川俊夫:開花Ⅱ Toshio Hosokawa:Blossoming Ⅱ
モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K.491 Mozart:Piano Concerto No. 24 in C Minor, K. 491
ドヴォルジャーク:交響曲第9番 ホ短調 op. 95 「新世界より」 Dvořák:Symphony No. 9 in E Minor, Op. 95, B. 178, "From the New World"

公演詳細、チケット購入は新日本フィル公式サイトで!
執筆者プロフィール

岡田友弘(おかだ・ともひろ)
1974年秋田県由利本荘市出身。秋田県立本荘高等学校卒業後、中央大学文学部文学科ドイツ文学専攻入学。その後色々あって(留年とか・・・)桐朋学園大学において指揮を学び、渡欧。キジアーナ音楽院(イタリア)を研鑽の拠点とし、ヨーロッパ各地で研鑚を積む。これまでに、セントラル愛知交響楽団などをはじめ、各地の主要オーケストラと共演するほか、小学生からシルバー団体まで幅広く、全国各地のアマテュア・オーケストラや吹奏楽団の指導にも尽力。また、児童のための音楽イヴェントにも積極的に関わった。指揮者としてのレパートリーは古典から現代音楽まで多岐にわたり、ドイツ・オーストリア系の作曲家の管弦楽作品を主軸とし、ロシア音楽、北欧音楽の演奏にも定評がある。また近年では、イギリス音楽やフランス音楽、エストニア音楽などにもフォーカスを当て、研究を深めている。また、各ジャンルのソリストとの共演においても、その温かくユーモア溢れる人柄と音楽性によって多くの信頼を集めている。演奏会での軽妙なトークは特に中高年のファン層に人気があり、それを目的で演奏会に足を運ぶファンも多くいるとのこと。最近はクラシック音楽や指揮に関する執筆も行っている。英国レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ・ソサエティ会員。マルコム・アーノルドソサエティ会員。現在、吹奏楽・ブラスバンド・管打楽器の総合情報ウェブメディア ''Wind Band Press" にて、高校・大学で学生指揮をすることになってしまったビギナーズのための誌上レッス&講義コラム「スーパー学指揮への道」も連載中
岡田友弘・公式ホームページ
Twitter=@okajan2018new


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