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私の旅行観ー③中学生の頃を振り返る

前回の記事はこちらから。

前回は小学生の頃を振り返り、もっとわがままでいいじゃない?とか言って終わりましたが、今回は中学生のの頃を振り返ります。

社会科が得意だった中学時代


家族旅行したり、ショッピングモールに出かけたり、いつもと違う道にワクワクしたり、その辺りの事はあまり変わりはありません。
しかし、一番変わったのが、謎に社会科が得意でめちゃくちゃ好きになった所です。
でもテストで100点は取ったことありません。いつも90点台で一度だけ80点台でした。確かに私の数少ない?自慢ですが100点が一度も取れなかったのは悔しかった。

好きな順に地理、歴史、公民で、これはそのまま学年毎の習う順です。

自習ノートみたいなのが課題であって、そこで産業の統計をまとめてみたり、日本地図に高速道路網を書いてみたり、色々な事をしていました。学校で使う教科書や地図帳以外に成美堂出版などが出している地図帳なども参照しながら、勉強して結構楽しかったです。

何故社会科が得意だったのか

なぜそこまでテストでいい点がとれたのか、なぜはまったのかはいくつか考えられます。

社会科の先生の解説に惹かれた

これが一番だと思います。結構自分にとってはいいペースの進め方で単に教科書を読み上げて終わりのような進め方ではなかった。板書とプリント教材が中心、そして時にゲーム感覚で授業を進める方法でそれが結構はまった。
授業に関係するワードを書いて、ビンゴゲームの景品のオリジナルシール集めにもすっかりはまっていた。

成績はよかったが他の面で評価されず悔しかった

先述の自習ノートなど結構力を入れて書いていたが、配色や字の雑さから中々一番良い評価を得られず悔しくて、試行錯誤しまくっている内に色々覚えた。

元々旅行好きで関心が持てた

地理が結構身近なものに感じていて、旅行感覚で勉強できた。
 鉄道が好きだったのも大きな要因の一つだと感じています。鉄道と地理は物凄く関連しています。
ただ、前の記事にも出てきた鉄道好きの同級生はほどほどの成績だったのでそれは少し不思議に当時は感じていました。今思うと人生決まるのは学校の成績だけではない。
ただ、時事問題で、はやぶさが到着した惑星「イトカワ」が答えられず、その同級生に突っ込まれた記憶はあります(確か2010年の帰還の時なので公民を学んでいた3年の時)。
そんな感じで地理をはじめとした成績はよかったです。

地理がすきだから旅行がすき。旅行がすきだから地理がすき。

地理が好きだとこれが中京工業地帯かとか旅行した時に感じることがより出来ます。
教科書的に愛知県を最初に取り上げていたので愛知県に関心をもちました。3車線道路の伊勢湾岸道やそこにある名港トリトンや刈谷PAなども凄いなと感じたものです。教科書に取り上げられたピーチライナーは廃線になったけど、、、

名古屋への関心からと在阪局の阪神偏重に
嫌気が差し中日を応援してたこともあった。

近鉄で何気なく通る四日市も工業が盛んな所ということをかつて公害があったところだと知ると改めて実感できます。

四日市の象徴石油を運ぶ貨物。
撮影は中学生よりもっとあと。

東京観光もしましたが、国会やテレビには興味はありましたが、当時の私は大阪第一主義あるいは名阪都市圏で成り立つだろうみたいな所もあり、そこまで関心はなかったです。地理の授業だと1次産業と2次産業の話が多く、昼夜間人口の話などは地元の大阪でも東京と似た傾向があるので意外と影が薄かったです。

価値観にも大きく影響を与えた社会科教師の歴史教育

戦前的或いはネトウヨ的価値観の肯定

歴史の授業についても結構はまりました。
初っぱなのイントロダクションの歴史を学ぶ姿勢の話で東条英機に後醍醐天皇が好きから始まり、歴史の授業の終盤には南京事件や従軍慰安婦はないという始末。
教科書的評価、或いは小学校の教師の評価(推測)とは全く異なるもの。
教科書とは異なるということを結構指摘した結果、その社会科教師からは嫌われました。何故嫌われたかは当時は分かりませんでしたが、今なら何となく察しはつきます。
ただよくあるパターンの近代史は時間切れで飛ばしながらするということはなく、かなりしっかり教えてくれました。

プロパガンダのからくりを学ぶ授業

実際に映像を流してBGMを変えることで印象創作ができることも学ばせて頂いて、色々衝撃を受けました。
小学校から学んだ「平和」教育とは全く違う世界でした。

平和登校日から全校登校日へ

「平和」教育で言うと、夏休みの毎年8月に登校日があって、そこで長崎の修学旅行の報告会がされます。その日は平和登校日といって、「No more 長崎 No more 広島」という横断幕が体育館にかけられていました。しかし、私が3年生で修学旅行に行った年の8月の登校日は単に全校登校日で横断幕もなし。修学旅行先は例年通り長崎で変わりなかったので報告会の内容は多分似た内容だったと思います。
しかし、この些細な変化は大きな変化でその社会科教師の影響がすごく出てるなと感じました。
これに気付いた同級生どれくらいいるのでしょう?
因みにその先生別にベテランではなく、当時、教員歴2-3年の若手の先生です。
理科の先生(教員歴1-2年)も地球温暖化は嘘だと言っていたり主流派の流れとは異なる考えの若手の先生が多かったです。

これまで目上の人の言うことを真に受けていたことからの衝撃

これらはかなり物事を真に受けてしまいがちな私にとって衝撃が大きかったし、今の私の価値観に大きな影響を与えています。
今思えば当時からテレビなどのワイドショーや討論番組には関心があり、それで感情を動かされることがありました。そしてそれを真に受けてしまうんです。
中学生時代、この社会科の教師に教わらなかったら、一つの常識にとらわれて、色々な価値観を見てみようとはならなかったし、マイナーな所に旅行しようとは思わなかったと思います。
それくらい大きな存在で、嫌われましたが感謝しています。

人と違ったことをしたい でも手段も知らないし、面倒だ ならとりあえず旅行しよう

ここからは中学生時代の価値観形成を受けての現在の話。
嫌われるくらいなので少し変わった性格なのは自覚があります。ただ、政治や社会で思った不満を失くすための力不足や努力不足もあり、具体的行動を中々起こせていない。
それを自分が新たな価値観を吸収し発信できないかという手段として、旅行に昇華している部分もあると感じています。

次は高校時代を振り返ります。最後までお読み頂きありがとうございました。

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