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信仰ーあなたは「神」を信じますか?


神を信じますか?

沖縄にあったキリスト教?のお墓?

突然ですが、あなたは神を信じますか?
はいと答える人、いいえと答える人がいるでしょう。

神といっても宗派によっては神と定義しない宗教などは「いいえ」と答えるのかもしれません。

そして、「いいえ」と答えた人でも年に一回、神社仏閣に初詣に行ったという人もいるかもしれません。私はこの質問に「いいえ」と答えたのですが、初詣には先日遅ればせながら行ってきました。

神社仏閣にいくのは「神」を信じていないと言えるのかというのは微妙な所で、「神」信じてるやんと突っ込まれても私は反論できませんでした。

ただなんとなくのイメージとして、問題になった統一教会やオウム真理教、そこまでマスコミなどに問題視されていないとはいえ、顕正会や創価学会、天理教や金光教のような近代以降活発化したカルト宗教といわれるもの、あるいは新興宗教のイメージが強い気がします。
それと、イスラムやキリストなど教会に頻繁に行くような人達がなんとなく宗教っぽいみたいな所はあるかもしれません。

神社(神道)の捉え方

沖縄県護国神社 沖縄の神社は近代以降広まった

日本の神道自体、多神教といわれ、高額のお布施をしてお祓いや祈祷をしなくとも、1円や5円や10円etc.のお賽銭で参拝でも問題はなく、集会をする必要もないので、宗教を信仰してるという意識が希薄なのかもしれません。

そして、この自由さが気軽さをうむとともに連帯感は薄くなってるかもしれません。

宗教、神とはいっていないが、、、

終末論

世の中には宗教や神を信仰してなくとも、「拠り所」というのがあり、それが一種の信仰に繋がっているともいえます。

まずはやや極端な例ですが、「秘密のたからばこ」という団体は宗教であることを否定しています。
しかし、言っていることを大まかに括ると宗教でいうところの、末法思想や終末論に近い所があります。
山奥で自活するという点は、その辺の終末論を言っている団体に比べれば行動しているなと思えます。しかし、見方を変えれば、富士山の麓に集めたオウム真理教のように閉鎖的な所に人を集めているといえ、胡散臭さも感じます。


偶像→アイドル、アーティスト

平沢進


あるいはアイドルを推すという行動も端から見れば宗教っぽいといわれます。時に暴走するファンを信者と揶揄することもあります。
アイドルという言葉自体、元々信仰される偶像という意味も含まれているのであながち間違いではないでしょう。
アーティストとかでも神っぽいといわれることがあります。例えば、平沢進さんの曲はどこの宗派の曲でもありませんがどことなく宗教っぽさを感じます。

科学

そして、近年は宗教には矛盾が多いとして「科学」を心の拠り所にしている人もいるようにみえます。
科学的と言われればいかにも客観視しても間違いない真理のようにみえます。ただ科学でも間違えることがあります。
また、科学的!といっても多くの文脈で自然科学という理系的な意味を差すのでしょうが、人文科学や社会科学という文系的な領域もあります。後者の領域は宗教を科学する領域でもあるので、科学的というワードがいかに先入観と偏見に基づいて、一方的に使われているかが分かるかと思います。
科学信仰といっても、ネット上では大きく二つのベクトルがあると思います。一つは「波動」や民間療法的なものを信仰する勢力と権威的な論文や西洋的、先進的あるいは国が認めた新しい価値観やものを信仰する勢力です。

「科学」→コロナ騒動からみる新たな信仰戦争

信仰というのは争いの種になります。今でも宗教の対立による争いはありますし、アイドルの推しなどでも小競り合いが見られます。
今回は科学信仰を掘り下げます。
科学信仰は大きく二つのベクトルがあるというのは先ほど書いた通りです。その二つの勢力は対立しているように思えます。
前者(波動等を信じる)はここまで例示してきた宗教っぽいものとも雰囲気は通じる所があります。どこか胡散臭さは感じるものの、優しい顔で近づいてくるイメージです。昨今でいうと新型コロナウイルスをそこまで恐れず、ワクチンを恐れている印象です。
後者(西洋的価値観を信じる)はどちらかといえば、前者に批判的な勢力で、攻撃的なイメージが非常に強いです。よく、多くの論文が証明しているとか、言っているイメージです。昨今でいうと新型コロナウイルスを恐れ、ワクチンを受け入れる、場合によっては強要するような言葉をつかうという印象です。

この信仰対立への私見

個人的にはどちらも胡散臭さはあるとはいえ、後者の方がより争いの種を蒔いているように思えます。というのも、前者は信じるものはついてこいのスタンスですが、後者はデマだと攻撃する割には前者を信仰するものをひきこむ、あるいは救済する姿勢が見えないからです。
コロナ騒動では後者が、ワクチン懐疑論を前者の極端な言説を利用し、コロナ恐怖を誇張し、ねじ込めました。しかし、コロナワクチンはかなり副作用が強いもので、接種後死亡も一定数明らかになっています。
デマがデマでなくなり、前者の言説もあながち間違いではない、後者がいう所の陰謀論が一部正しいと思える出来事が起きてしまっています。
これは後者の科学信仰を揺るがしかねない出来事のように思えますが、どちらかといえば、権威があります。
こうなると、この「宗教」戦争、日本では武力こそ伴っていませんが、自由という名の「宗教」戦争とも言えるのかもしれません。
私は波動には多少興味はあるとはいえ、強い信仰はありませんが、ワクチン懐疑論への信仰はあります。
大きな厄災は副次的に信仰の変化や二次災害をうみます。
残念ながら、権威が残したメッセージは新たな恐怖心と対立、信仰をうんだだけのように思えます。
本来、パニックを抑える方向に動くべきでしたが、コロナを恐れ、ワクチンを恐れないという「布教」は逆効果だったといえます。

さいごに

改めてあなたは神を信じますか?
神を信じなくとも私も貴方も「信仰」はあります。

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