現代に生きる「貞観政要」
以前の投稿で、古典を読む面白さに気付いたという投稿をしました。
日本の古典では、「平家物語」や「風姿花伝」、「おくのほそ道」。中国古典では「老子」「荘子」「韓非子」などなど。中小企業診断士の勉強をしていると、どうしても現代の経営学からの理論を学ぶことが多くなりますが(そして、欧米の学者やコンサルグループの理論が多くなりますが)、東洋の古典も組織論やマーケティングの観点からも本質をついていると思われる著作がいくつもあると感じています。きょうはそのうちの1つ、「貞観政要」のお話。
唐の2代皇帝「太宗」治世を現代に伝える
高校時代、世界史選択だった方はうっすらと聞き覚えがあるかもしれませんが、「貞観政要」は唐の2代皇帝、「太宗」の言行録です。
中国の王朝が「隋」から「唐」に移る際、隋の皇帝「煬帝」の圧政・暴政に向かって立ち上がった李淵(高祖)が唐を建国したものの、後継争いの中で弟を殺し、父(李淵)を権力の座から追い出すなど、混乱の中で2代皇帝となった「太宗」(李世民)が「貞観の治」と呼ばれる平和な時代をどのように作ったかを後世に伝える書です。
日本でも古くから、帝王学の教科書として親しまれ、北条政子、日蓮、徳川家康、明治天皇らが愛読書としたり、深い関心を寄せたりしたとして知られています。
創業か、守成か、それが問題だ
先にも述べたように、弟を殺し、親を退位させるなどの混乱を経て経て皇帝の座に就いた太宗。ある時、家臣に「皇帝の業で、創業と守成のどちらが大事かと思うか?」と問うたとき、以下の2つの答えが返ってきました。
この2つの答えに対し、太宗の答えは…
太宗は皇帝になる過程の中で命がけで尽くしてくれた房玄齢をたてつつ、「創業の時代は終わったので、これからは守成のために全力を尽くそうぜ」と語りかけたといいます。家臣の言葉をきちんと拾い、そのうえで、未来にむけてモチベーションを高めていく、理想的な姿がそこにはあるような気がします。
この「創業」と「守成」、現代でもスタートアップ企業の立ち上げなどでよく議論されますよね。「魔の川、死の谷、ダーウィンの海」を乗り越えたることも、組織のライフサイクル(起業者段階→共同体段階→公式化段階→精巧化段階)の中で、組織を平和的に運営していくことも、どちらも難しいといえます。今でも、太宗の回答はベスト回答なのではないかとすら私は思います。
また、創業と守成の問題でいえば、太宗は人材登用における問題点も指摘しています。どうしても、創業のころの仲間は「戦友意識」が芽生えやすく、なあなあの組織になりやすいと。それでは、組織は機能しないということも太宗は言っています。
諫言してくれる忠臣を持とう
古代中国には皇帝に忠告し、暴走しないための役目を果たす諫官なる役職があったそう。ただ、それが皇帝の暴走を止める機能を十分に果たしていたかというと…。やはり、皇帝によっては、忠告してきた諫官を処刑してしまう、なんてこともあったようです。
でも、太宗は耳の痛いことを言ってくれる忠臣の話を進んで聞いたとされています。皇帝ほどの権力を持つと、「宮殿を豪華にしたい」「高句麗遠征したい」などと、欲を持ってしまうもの。
それに対し、忠臣たちは、「税が強化されることの民へのダメージ」「高句麗遠征にかかる費用と人手」など、いかに民にとってマイナスになるかなど、太宗を説得し、思いとどまらせたとされています(それでも、治世の後期になると、徐々に歯止めが利きにくくなったようですが…)。
今の会社組織、特に日本のような終身雇用・年功序列の意識が未だに根強い組織においては、「イエスマン」が重宝される傾向にありますよね。でも、この時代の言葉を借りて言うと、特定の人(=イエスマン)のいうことばかりを聞くのは「暗君」。歴史や古典に学び、様々な人の意見を聞く人が「明君」とされています。
この「耳の痛いことを言ってくれる人」、組織の右腕・参謀としてほしいものですよね。
でも、治世を後世に継ぐのは難しい
では、唐はその後も順風満帆であったか、というとそうではなく、異常な権力欲で中国史上唯一の女性皇帝となった則天武后の時代(一部で、才能ある人を積極的に登用するなど優れた点もあるともされています)、楊貴妃が世を惑わし、安史の乱で混乱した時代など、太宗の思いが引き継がれたとは言い難い状況です。
いかに優れたリーダーがいようとも、その志を継ぐのは難しい。いまでも、「創業者の思いを承継することが難しい」というのはよく言われることではありますが、これもまた、歴史が教えてくれる教訓なのかもしれません。
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