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【歴史小説】第54話 保元の乱・序⑤─怨敵調伏の法(前編)─ 『ひとへに風の前の塵に同じ・起』


   1


 平基盛により捕えられた源親治から、新たなことがいくつかわかった。

 最初に、崇徳院方が高松殿を攻めようとしていることだ。

 計画実行の期日は7月11日早朝。三条西洞院にある屋敷へ為義が攻め入り、信西を殺害。そして忠正と為朝が御所へと攻め入り、火をつけて後白河帝を拉致するというもの。

 もう一つは、三井寺が援軍としてやってくるということだ。

 このことを承け、信西は内裏と自宅の警備を増強。味方する武士らに、7月10日亥の刻に高松殿へ参集せよ、という命令を出した。

 また、事件が二つ起きた。

 一つは先日内裏の図書寮の役人が高松殿の地図があるかを確認したところ、それがなくなっていたこと、もう一つは、泰親の屋敷にあった後白河帝と信西、そして忠通の爪または髪の毛が入った藁人形が、ひとりでに壊れてしまったことだ。

 壊れた形代を見た泰親はすぐに呪詛と判断。式神を飛ばし、このことを後白河帝や信西、忠通に報告した。。

「はぁ、とうとうやってしまいましたね」

 自分が呪詛されているという報告を聞いて、忠通は大きなため息をついた。

「忠通、心当たりがあるのか?」

「えぇ。もしかしたら犯人は私の弟なんじゃないかと思いましてね」

「ほう。刺客を使って私を亡き者にしようとしていたからな。奴ならやりかねん」

「弟が迷惑をかけて、申し訳ございませんでした」

 忠通は後白河帝と信西の目の前で深々と頭を下げた。

「関白殿下は全然悪くありません」

「そうですよ殿下。落ち着いてください。今や弟は朝敵。何を気遣う必要がありますか」

 気落ちする忠通をなだめる信西と成親。

「信西や成親の言うとおりだ。忠通に謝る義務などない。やられているのだから、やり返すのみ」

 いつもの退屈そうな口調で、後白河帝は言い放った。

「帝の仰る通りです、殿下。東三条殿の家宅捜索をしたいと思います」

「ほう」

「本当に頼長が我々を呪詛しているのであれば、屋敷の中から何かしらの証拠が出てくるはず。丑の刻参りに使う藁人形や五寸釘、怨敵調伏の法で使われる軍荼利明王といったものが」

「でも、東三条殿への捜索には、誰を行かせるんですかね? 内裏を警備している義朝や義康たちを行かせるのは、守りを手薄にすることです」

 成親は聞いた。

 現在内裏の守護は、義朝と義康が担当している。内裏に崇徳院方の武士が攻め込まないのは、強力な家臣を持つ義朝を恐れてのこと。もし、義朝が欠けてしまったことを崇徳院方に知られたなら、攻め込んでくる可能性もある。

「それならば心配ない。代わりに平家一門の侍をつければいい。だから、安心して義朝を連れて行ける。それに、彼の家臣の一人鎌田正清は、東三条殿のことを知っているそうではないか」

 後白河帝は忠通の方を向いて聞いた。

 忠通は答える。

「えぇ。彼は摂関家の侍の格好をして、東三条殿へ潜入し、私と清盛、そして時忠を助けた実績がありますから。ただ問題は、東三条殿には私と父、そして頼長しか知らない秘密の部屋があります。そこに隠れていたとしたら、見つけられる可能性はほぼありません」

「ほうほう」

「本来私が行った方がすぐに見つかるのですが、また捕まるので……」

「そうか」

「とりあえず、頼長の追捕には義朝を向かわせましょう」

「そうしよう」

 平家の侍を警備に回し、義朝を頼長逮捕へ向かわせることを決定し、会議は終わった。


 屋根裏では、下人の格好をした信光が天井板を少し外し、帝と関白、そして院近臣の会話を盗み聞きしていた。

「これは殿に知らせねば」

 信光はそうつぶやき、真っ暗な闇の中を音も立てずに歩く。


   2


 東三条殿にある頼長の部屋では、祈祷が行われていた。

 注連縄で囲まれた結界の中心には三角形の護摩壇があり、その目の前には、炎に照らされ、神々しく輝く金色の軍荼利明王の像が鎮座している。

 軍荼利明王の像の前で、僧侶たちは読経や真言を唱えながら護摩木を入れ、炎を大きくしてゆく。

 結界で囲われた、三角形の護摩壇の中で燃え盛る炎の前で、願いが成就するよう祈っていた。

「殿、大変でございます」

 そこへ顔を青くした信光が入ってきた。

「どうした信光。見ての通り、今は祈祷の途中だ」

「それどころではありません。下野守が、軍を率いてここへ押し寄せています」

「何?」

 頼長は驚いた。

「ここにいては絶対に捕まってしまいます。今から私のように使用人の格好をして、脱出しましょう」

「逃げ場はあるのか?」

「ええ。院の使いの者から早朝にお手紙が届きまして、その使いの者が言うには、今日の申の刻までには白河北殿へと集まってほしい、とのこと」

「そうであったか。しばしの間待っていてほしい」

 部屋を出た頼長は、急いで水色の狩衣を脱ぎ、鼠色の水干に着替えて信光と一緒に部屋を出た。


   3


 数分後、後白河帝の命令を受けた義朝が、100人ほどの郎党を引き連れ、東三条殿前へとやってきた。

「今から東三条殿へ突入する。丸太の準備を」

 義朝が指示すると、大きな丸太を持った10人の兵士が掛け声を上げながら、門の扉を何回も叩いた。

 内側からかけていた閂が折れ、門が大きな口を開けて開く。

「突撃」

 義朝たちは東三条殿の中へ突入した。

 敷地の中は不気味なくらい静かで、御殿はもちろんのこと、目の前にある池付きの広大な庭にも人影がない。車庫の鍵もそのままかけられている。

 まさかもう逃げてしまったのではないか? そう心の中で思いつつも、義朝は、

「藤原頼長はこの屋敷のどこかに潜んでいるはずだ、探せ」

 と郎党たちに命じた。逃げたように見せかけて、どこかに隠れている可能性があるからだ。

 母屋、北対、東対、釣殿、侍所、馬小屋、蔵。屋敷のそこら中を探し回ったが、頼長らしき人物の姿はどこにも見当たらない。

(どうやらこの分だと、本当に逃げてしまったようだな)

 義朝は東三条殿から引き揚げるよう指示を出した。

 残念そうな表情で、朝敵の邸宅から引き揚げようとする郎党や下人たち。

 あきらめかけているところへ、

「耳を、澄ませてみてください」

 郎党の一人である熊谷直実(くまがいなおざね)が言った。

「どうした、直実」

「声が、聞こえませんか? 誰かがお経を読んでいる」

「声?」

 いぶかしがりながらも、義朝は耳を澄ませてみる。

 アブラゼミの鳴き声に交じって、かすかだがお経を読んでいる声が聞こえてくる。

「聞こえるな。それも、屋敷の方から。正清はどうだ?」

 義朝は隣にいた正清に聞いた。

「とても小さな声ではあるが、確かに聞こえた。他のみんなはどうだ?」

 確認のため、正清は義朝や最初に聞こえたと言った直実以外の郎党にも聞いた。

 耳のいい者たちは、すぐに聞き取ることができた。一般的な聴力を持つ郎党たちは、最初は時間がかかったが、全神経を耳に集中させることで、何とか聞き取ることができた。

「何言ってんだ、声なんか聞こえないじゃないか」

 手に耳を当て、義明は必死に聞き取ろうとしていた。だが、聞き取ろうとしても、全然聞こえない。

「義明、この広常にはしっかりと聞こえた。もう一度耳を澄ませて聞いてみろ」

「そうか?」

「聞こえないぞ」

「義明、ちゃんと耳掃除の方はしてるのか?」

 からかうような口調で、広常は聞いた。

「してるよ」

 キレ気味に答える義明。

「広常、義明。くだらない喧嘩をしてる暇はない。隠れて経を読んでいるやつを引っ捕らえて、話を聞く。皆の者、中をもう一度探すぞ」

 門から出ていた義朝は、再び門の敷居をまたぎ、屋敷の敷地内へと入った。


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