【歴史小説】第13話 義朝のいない源氏屋敷(『ひとへに風の前の塵に同じ・起』)
1
年が明け保延2(1136)年。
海王丸から斬られた傷も癒え、歩けるほどにまで回復した清盛は、宮仕えと北面の武士としての活動を再開した。
官位の方は、海賊退治の功により、正五位から従四位に昇格。出世街道を順調に歩んでいた。
薄く、ぼんやりとした3月末の水色の空から、暖かくて優しい春の陽ざしが屋敷の縁側に降り注ぐ。
「今日はいい天気だな」
清盛はあくびをひとつした。
「そうですね。今日はいい天気だこと」
清盛の妻章子(あきこ)は、まだ立てるようになったばかりの平一(後の重盛)の手をつなぎながら、庭の方を見る。
「3人でどこかに行きたいな」
「じゃあ、河原にでも行きませんか?」
「いいな」
そう言って清盛は平一の手を握り、行く気満々な声で言う。
「よし、行くぞ、平一」
「うん」
平一は大きな瞳を輝かせてうなずく。
清盛とその家族は、盛国などの供周りを伴いながら、賀茂川の方へと向かった。
賀茂川の目の前には、芽生えたばかりの草、そしてすみれなどの小さな花がそこら中に咲いている。
春の終わりを彩る花と花の間を、モンシロチョウや揚羽蝶が蜜を求めて飛び回る。
「ちょうちょ!」
平一は珍しいものを見るかのような明るい顔つきで指を差した。
「そうだな。よし、父ちゃんが取ってきてやる。平一も一緒に来い!」
「わーい!」
清盛と平一は、楽しそうに草むらへと駆け出した。
「あんまり遠くに行かないでね」
章子は大きな声で注意する。だが、楽しそうな父子には聞こえているようで、聞こえていない。
「音を立てるなよ、平一」
「うん」
清盛と平一は、そっと蜜を吸っているモンシロチョウへと近寄る。
二人に捕まる運命など知らぬ顔で蜜を吸い続けるモンシロチョウ。
「よしっ」
清盛はそっと手を近づけ、モンシロチョウを手に取る。
「獲ったぞ」
「わぁ」
平一はうれしそうな笑顔を顔いっぱいに広げた。が、しばらくすると、哀しそうなそうな表情へと変わる。
「どうしたんだ、平一?」
「放してあげて」
「どうしてなんだ? あんなに欲しがってたのに」
「かわいそうだから」
「可哀そうだから?」
「うん。母上が言ってた。〈生き物にも大切な家族やおともだちがいるから、捕まえてはいけません〉って」
──なんで、当たり前のこと忘れていたんだろう。
清盛はハッとさせられた。子どもでもわかることをなぜ忘れていたのだろうと。同時に、海賊退治に行く前、帰ってきたときに義朝と会う約束を交わしていたことを思い出した。
2
月が変わり、4月3日。
清盛は義朝を訪ねに、六条堀川の源氏屋敷へと向かった。
「失礼します」
清盛は門を叩いた。
屋敷の中からは、紺色の直垂を着た、背の高い爽やかな顔つきの少年が顔を出した。
「君は誰かな?」
「俺は義朝の友である、平清盛」
「そうか。私は源義賢(みなもとのよしかた)。義朝の弟さ」
「義朝はいるのか?」
「いや、兄上はどこかへ行ってしまった」
「どこかって?」
「私もよくわからない。立ち話も難だから、中で話そう」
清盛は義賢に誘われ、屋敷の中へ入った。
「なぜ、義朝は出ていったんだ?」
清盛は聞いた。
腕を組みながら、義賢は兄の家出の理由を推測する。
「わからない。ただ、父に嫌気がさしてたのは確かなようだが。とにかく、父の命で関東に下向した弟の義広(為義三男)とは違う事情らしい」
「ほうほう」
「父は噂通り、不貞腐れてるところがあってね。もともとは院北面だったのだけど、同期である貴方の父やその郎党の家貞に先を越されて。以来あんな感じになっている。かつての北面時代の友人から摂関家への仕官を斡旋してもらい、それから検非違使の尉という職に就いてギリギリ食いつないでるといったところか」
義賢は大きなため息をついた。
「大変だな」
清盛もあきれて、これぐらいしか言葉が出ない。
「おう、義賢」
徳利を持った為義がやってきた。顔色が真っ赤なことや、話したときに出る為義の息から、きつい酒の匂いが混じっていたことから、酔っているのは確実だろう。
「父上、またそんなに酔って!」
「そこにいるのは誰だ?」
「平忠盛の嫡男、清盛です」
義賢が紹介したとき、人がよさげな為義の人相が鬼の形相へと変化した。そして力いっぱい義賢を殴り付けた。
「痛っ!」
大きな音を立てて倒れこむ義賢。
「なぜ、こいつを連れてきた!?」
雷鳴のような大きな声で、為義は義賢を叱りつける。
「義朝を尋ねてきただけだ」
「なら、さっさとつまみ出せ!」
「まあまあ、廷尉殿も義賢も落ち着いて」
清盛は必死でその場を取り持とうとした。
だが、清盛の必死の説得もむなしく、2人とも聞く耳を持たない。
為義は清盛の袖につかみかり、
「お前はいいよな。白河院のご落胤でよ、俺みたいに弱くても人から愛されてよ」
2、3発蹴りつけ、その場で突き放した。
「俺の本当の親父が白河院だから、どうしたんだよ?」
清盛は立ち上がり、胃酸やら何やらを吐いた。
「お前は幸せ者だな、と言いたいんだよ」
そう言って、為義は清盛の頬を強めの力で殴る。
「幸せ? 俺はまだ19年しか生きてないが、たくさんバカにされてきたよ。それでも、俺はなりたい自分になるために、やりたくない北面の武士やったり、海賊退治に行ったりしてんだ」
「お前のなりたい自分は、何なんだ?」
「武家の頂点に立って、今までバカにしてきたやつらを見返してやることさ」
そう言って清盛は、為義の腹を力いっぱい蹴った。
築地へと吹き飛ぶ為義。
「そして──」
清盛が何か言おうとしたときに為義は立ち上がり、
「そんなこと、できるわけがないだろうよ」
嘲りの笑みを浮かべた。そして、清盛を蹴りつける。
為義の蹴りを、清盛は片手で受け止めた。
「やってやるさ、絶対に」
「なら、やってみろ。摂関家や皇室が黙ってないぞ!」
「それで摂関家や皇室に潰されるんだったら本望だ」
「この、バカ野郎!」
錆びた源氏重代の大太刀鬼切丸を抜き、為義は清盛に斬りかかろうとする。
「ほう。殺すのか、いいだろう。地獄に落ちて、後で私の恨み言を言っても自己責任だからな」
清盛も腰に帯びていた打ち刀を抜く。
二人は刀を構えたまま睨み合う。
「お前、俺のバカ息子そっくりだな」
「そうだよ、友だからな」
鍔迫り合いが始まった。
「このクソジジイ、ここまで腕力が強かったか」
清盛は苦しそうな表情で、為義の一撃を受け止める。
「俺の太刀は軍神義家仕込みだ。軟弱な平家の侍とは、わけが違うんだよ」
為義は刃を放して清盛の体勢を崩し、刺そうとした。そのときに義賢は清盛の前に出て、刺された。
「俺は、何てことを……」
酔いが醒めた。為義は大泣きしながら、両手に持っていた鬼切丸を落とし、義賢を抱きしめた。
泣いている為義をよそ目に、清盛は義賢の応急処置をすべく、誰か人がいないか探した。
(人が少ないな)
無理もない。ここはボロ屋敷でそうそうたくさんの雑色を雇えるほどの余裕は無いだろうから。
隣家に助けを求めるかと考え、移動しようとしたときに、若草色の童水干を着た垂れ髪の少年に声をかけ、
「お前の兄ちゃんが斬られたんだ。そこで頼みがあるのだが、医者を呼んできてもらえるか?」
懐から銭一貫を取り出し、渡した。
「わかった。いい子だ」
使いを頼んだ少年の頭を撫でた清盛は、他に屋敷にいた少年少女らを集め、義賢の手当てにあたらせた。
応急処置の甲斐もあってか、何とか医者に診せてもらうことができ、縫合することに成功した。
3
清盛は縁側で一人落ち込んでいた。
通りかかった忠盛は縁側に腰掛け、一人うなだれる清盛に声をかける。
「お前、為義と喧嘩してきたんだってな?」
清盛は小さな声で答える。
「お、おう」
「あいつがお前のことを〈幸せ者〉というのもわかる気がするんだ。あんなダメ男だけど、若いころはお前のように、理想に燃えていたんだよ。昔白河院のところで北面の武士をしていたときに、あいつもいたから、よくわかる」
「ほう」
清盛は意外性を感じた。
人のことは言えないが、海賊の頭よりも弱い飲んだっくれのあの男が、まさか北面の武士だったとは。
「前にも話していたと思うが。まあいい。あいつはあいつなりに一生懸命だったけど、郎党のことで揉めたり、養父を越えなければいけないという強い負い目に負けてしまったりして、壊れてしまったんだ」
「そうなのか」
「そうだ。だからあいつは、義朝の方が自分よりも才能があるから、いつか自分を越えてしまうんじゃないか、と心の奥底で恐れている。人間なんて自然と歳を取れば、腕力だけでなく、判断力でも若いのには勝てなくなるのに。あ、そうだ」
忠盛は何かを思い出したかのような素振りをして誘う。
「今度また西国に行くんだ。良かったらついてこないか? 面白いものを見せてやろうと思う」
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