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【歴史小説】第25話 雅仁親王①─鳥羽院の四の宮─ 『ひとへに風の前の塵に同じ・起』


   1


 屋敷の東対にある縁側で、清盛は何日も水をやらないことでしおれた花のように、一人うずくまっていた。

「おう、清盛ではないか? 元気がないな」

 桶を持ってやってきた通憲は、笑顔で声をかける。

「久しぶりです。聞いてくれますか?」

「あぁ」

 通憲は桶を置いて、縁側に腰かけた。

 水の入った桶の中には、二匹の小さな魚が泳ぎまわっている。

 清盛は義清が出家したこと、縁切りを宣告されたことを話した。

「人は己の願いのために生きている。そのためには、大切な誰かを傷つけてしまうことだって、あるかもしれない。その逆もあり得る。そのせいで大切にしていた誰かのことを恨んだり、恨まれたりするかもしれない。だからといって、ここで塞がっていたままでは、前に進むことなんて、できないよ」

「それぐらい、わかっている。でも、難しいんだ」

「よくわかる。そんなお前のために、あるお人を紹介しようと思うのだ」

「それは?」

「四宮さまだよ」

「四宮さま?」

 鳥羽院の第四皇子と聞いて、清盛は今様好きな皇子のことを思い出した。

 鳥羽院には皇子・皇女が数人いる。有名なところを上げると、長男の崇徳帝、賀茂斎院の上西門院統子内親王、仁和寺で出家して法親王となった覚性、そして一昨年美福門院得子との間に生まれた体仁親王がいる。

 その四番目の皇子に、雅仁親王という人物がいる。

 雅仁親王は元々父である鳥羽院と母待賢門院璋子と一緒に暮らしていた。だが、美福門院得子が皇后になり、体仁(なりひと)親王を産んだことや、父から嫌われていたことから、居心地が悪くなり、兄崇徳帝の暮らす白河北殿に身を寄せている。

「左様」

「四宮さまが、どうしたのですか?」

「実は最近になって、『友が欲しい』と言ってきましてな」

「なるほど」

「知っているかもしれませんが、四宮さまは今様が好きなお方。もしかしたら、舞を得意とする清盛とは、気が合うやもしれません」

「ほう」

 清盛は鳥羽院の第四皇子に興味を持った。

 同じ皇族の鳥羽院や崇徳帝とは、仕事の都合で顔を合わせたことがあるが、四宮とは、顔を合わせたことすらない。どこかですれ違っていたり、顔を合わせていても、お互い誰だかわからないだけかもしれないが。


   2


 次の日、清盛は通憲に連れられ、雅仁親王が居候している白河北殿へと向かった。

 通憲は清盛を屏風で仕切った一画に案内し、指示する。

「四宮さまは気難しい方であらせられるゆえ、長い時間待たされるやもしれぬ。申し訳ないが、ここで待っていてくれ」

「はい」

 清盛は通憲の指示通り待つ。

 だが、四半刻待っても一向に出てくる気配がない。

「遅いな。どうなってるのか見に行ってこようかな」

 先ほど通憲が向かった場所へ行こうとしたときに、

「そなたが、平清盛か?」

 後ろから声をかけられた。声の持ち主は、低く、透き通った声をしている。

 呼ばれたとおり、清盛は振り返る。

 そこには、白い直衣を身にまとった、長い茶色の髪が特徴的で、背が高く顔立ちもきれいな美青年が立っていた。崇徳帝だ。

「こ、これは主上」

 清盛は慌てて平伏した。

 崇徳帝は笑みを浮かべて言う。

「堅苦しい礼儀作法などよい。そなたと私は、腹は違えど、胤(たね)が同じ兄弟ではないか」

(意味がわからない)

 清盛は崇徳帝による突然の異母兄弟認定に、一瞬首を傾げた。

 白河院本人の口から、「父親は自分で母親は祇園女御の妹だ」と直接聞いていても、「異母弟がいる」とは聞いていない。

「俺は本当の父親が白河院であることは事実ですが、今は皇族とは関係のない臣下の者です。そのため、私が帝の異母兄(あに)であっても、礼は尽くさねばなりません」

「そうか。私と同じ父をもつ兄上を、皇籍に復帰させてやろうと思うたのに……」

 崇徳帝は残念そうな表情で清盛を見つめる。

「皇族に準ずる地位が欲しいなら自分で勝ち取ります。財宝が欲しいならこの手で稼ぎます。それが、『武士』のやり方だからです」

「そうか、ならばそうするとよい。私たち皇室や摂関家、南都北嶺を敵に回すことになるが、良いのか?」

「構わない。私が全てこの手で倒してやる。そして、この日本を新しく作り変える」

 清盛と崇徳帝の間に、稲妻が走る。

「清盛、いいぞ」

 通憲の声で清盛は、はっと我に返った。

 目の前には、眉間にしわを寄せた崇徳帝がいる。一体自分が、いつ崇徳帝を不快にさせる発言をしたのか、全く記憶にない。

「あ、はい」

 清盛は通憲の元へと向かう。

「おや、これは帝ではありませんか。ご無沙汰しております」

 崇徳帝と目が合った通憲は、軽く会釈をした。

「こちらこそ」

 崇徳帝はそれに合わせる形で通憲に会釈をした後、清盛と一緒に四宮のところへ行こうとしていたのを見送った後、小さな声でつぶやく。

「実の兄といえども、泰親の占卜通り、始末しなければいけないようだ」


   2


 清盛は白河北殿東の対に案内された。

 目の前には簾がかかっていて、その向こう側には、黄緑色の新しい畳が二枚敷かれていて、その上には座布団と脇息、屏風が置いてある。が、肝心な雅仁親王らしき姿はない。

「あれ、四宮さまは?」

 清盛は混乱した。来たときには、いる、と通憲は話していたのに、姿がない。

「あちゃ、逃げてしまわれたか。全く、院や帝、左大臣殿(藤原頼長のこと)が、『文にも武にもあらず』というのがよくわかる」

 通憲はひどくやつれた表情でこぼし、ため息を一つついた。

「そこまで四宮さまはろくでなしなのか?」

「左様。いつも貴賤なく人を招いては、今様の宴を開いておる。このことについて帝は、静かにせよ、と声を荒げて怒っておられたほどだ。私が叱ろうとするものならば、いつもこう。ホント、あの皇子の扱いには疲れる」

「大変な方にあらせられますな」

 雅仁親王の話を聞いていた清盛は、ため息を一つついた。手のかかる子は可愛いと昔から言うが、ここまで来ると気のきいた言葉も出ない。

「ほんと、その通り。私が『殿下はいずれ皇位を継ぐものです』と言えば、私は皇位などいらぬ。そもそも私は四宮。皇位継承の話なぞ、兄宮か弟の覚性法親王や暉子(後の八条院)に行くであろう。そんなものと関係のない私は、出家でもして、山荘で隠遁生活を送りながら、一人歌い暮らせればそれでよい、とすました顔で言い訳する。律令にも、皇位継承権があるのは第三皇子まで、とあるから反論もできないのだよ」

「それで、俺は?」

「帰ってもらっても結構だよ。またの機会に呼ぶから」

「わかりました」

「気をつけてな」

 通憲は笑顔で手を振る。


   3


 5月のある日。

 清盛はまた通憲に招かれ、白河北殿に来ていた。

 来る途中、雨が降っていたため、水しぶきで足元が少し濡れている。

「おう、来たか。入るといい」

 通憲は手招きをした。

 清盛は傘をたたみ、中へと入る

「また今日もいないようだ。昨日も一昨日もここで歌っていたのに、こんな雨の日に、殿下は一体何をしておるのか……」

 通憲は大きなため息を一つついた。

「何だかよくわからない人ですね」

「それほどわかりにくい人間ではないのだが」

「というと?」

「おそらくは、祇園女御の住む嵯峨野か六条の賭場にでも通っているのだろう」

「祇園女御?」

 清盛は祇園女御の名前に反応した。

 祇園女御は清盛の伯母にあたる人物で、小さいころ彼女に養育されていた。そのため、本当の生みの両親が誰なのかがわかるまでは、実の母親だとずっと思っていた。

「ええ。時々四宮さまは今様を習いに、嵯峨野にある祗園女御のお屋敷に通っているのです」

「ふむふむ」

「でも、今日はこの雨だから、おそらくはそう遠くにいっておるまい」

「となると、賭場ですね」

「そうだな」

「では、そちらを見てきます」

 清盛は雅仁親王がいるかもしれない賭場へと向かおうとした。


 大粒の雨が降り注ぎ、水たまりは小川のように流れを作って地面をゆったり流れる。

 白河北殿を出て、しばらく歩いていたときに、朱色の童水干を着た、艶やかな黒髪をみづらに結い、片手に傘を持った少年とすれ違った。少年の貌は、色白く美しい顔立ちをしている。

 少年は清盛とすれ違ったときに、小さな声でささやく。

「そなたが、平清盛か」

「お前、誰だ?」

 清盛はいぶかしそうな顔で、五月雨の中すれ違った美少年に聞いた。

「……」

 みづらの美少年は何も答えずに、しずしずとした足取りで雨の中を一人歩いた後、こちらを振り返って、にこり、と微笑んで白河北殿の方角へ向かった。

(変なやつ)

 清盛は賭場がある方を目指して、雨のなか歩く。


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