【歴史小説】第50話 保元の乱・序①─院宣と宣旨、そして頼盛の葛藤(前編)─ 『ひとへに風の前の塵に同じ・起』
1
1156年7月。鳥羽院が崩御した。享年54歳。
一時代を築き上げた上皇の葬儀は国葬で行われ、信西や忠通といった彼に大恩ある大勢の院近臣たちが涙した。また、皇太后であった美福門院得子は、「愛する人を全て失ってしまった」という理由で出家。
だが、不謹慎ながらも、その死を嬉々として喜ぶ人たちもいた。義理の息子である崇徳院、そして先年の冬に失脚した頼長だ。
「父が、お亡くなりあそばしたか……」
扇いでいた扇子を閉じて、崇徳院は言った。
「悲しいのですか、院」
崇徳院は笑いながら答える。
「いいや、全然悲しくなんかない。むしろ喜ばしいくらいだ」
「そうですか」
「むしろ好機だと思う。雅仁とその息子を引きずり下ろすな」
「この頼長も同じことを考えていました。私は院にやることなすこといつも邪魔され、挙句の果てには朝敵となった身。恨みの一つや二つどころではありませんよ。それに、遊んでばかりの無能で、皇位継承権のないボンクラが皇位に就いたことは、今でも納得できません。院、今こそ兵を挙げ、皇室を正しい姿に戻しましょう」
目を輝かせながら、頼長は言った。その眼の輝きには、怒りと強い意志が半分ずつ混じっている。
「あぁ。頼長がいると、とても心強い。あと、院宣は清盛にも送ろうと思う」
「院、あの男は信西や帝とも仲がよいお方。おまけに私を朝敵に仕立て上げた兄を匿った男です。仮に味方として加わったとしても、作戦を流す恐れがあります」
「そんなことはない。私の実の兄を悪く言わないでくれ。兄上ならきっと、わかってくれるはず」
「ですが──」
無理があるのではないでしょうか? と頼長が言おうとしたところへ、
「帝、そして左大臣殿」
大鎧を着、たくさんの一族郎党を率いた為義がやってきた。
「おぉ、これは為義! 来てくれたか」
為義はひざまずき、息を切らしながら言う。
「この為義、院、そして、左大臣殿が立ち上がることを知り、すぐに一族郎党を集めて参上いたしました!」
「大儀であったな。ゆっくり休まれてから休むとよい。仕事はそれからだ」
「ははっ」
為義とその一族郎党たちは、頭を下げた後、侍所へと向かった。
崇徳院と頼長が起こした行動は、すでに遅かった。
後白河帝と信西、忠通は、鳥羽院崩御の報が入った後にすぐ、宣旨を出していた。そのため、内裏高松殿には昨日から義朝や義康といった武士たちが出入りしている。
「計画通りに進みましたな」
紺色の束帯に身を包んだ忠通は、気だるそうに檜扇を仰ぎながら言った。
黒衣の信西は布きれで流れる汗をふいて、迅速に行動できた理由を答える。
「聡明ではあらせられるが、感情のままに走るところがある左府殿。きっと、院が崩御なさられたときに何かしらの動きを見せるだろう、と思いましてな」
「ほうほう」
汗で濡れた眉間にしわを寄せながら、信西は、
「問題は、平家一門がどう出るか? ということだ」
とこぼした。
平家一門には、崇徳院の乳母をつとめていた池禅尼、そして武者所に仕えている忠正がいる。そのため、清盛がいくら帝や信西の親友で、頼長のことをよく思っていなくても、義理の母の一言で崇徳院方につく可能性も無いとは言い切れない。
「まあ心配はないでしょうが、見守りましょう」
「そうですね」
平家のことに関して、二人は様子見ということで合致した。
2
晩夏の陽ざしがまぶしく、その熱で着物が汗ばむお昼時。清盛は、院宣と宣旨が届いた件について話し合うため、屋敷に一族郎党を集め、会議を開いていた。
そこには重盛をはじめとした息子たち、そして叔父の忠正の姿もある。
「一院亡き後、信西入道と関白殿下が新院と朝敵頼長を排除すべく、動くことになった。ごらんの通り、左手には帝から賜った宣旨、右手には新院から出された院宣がある。俺と教盛、そして息子の重盛と基盛、家貞は、帝の方に着くと決めた。だが、母上が重仁殿下の乳母をしていたことから、新院にどうしても義理立てをする必要があることがわかった」
三方に置かれた宣旨と院宣をとり、清盛はここに一門を集めた理由について話した。そして、
「今からみんな目をつぶってほしい」
と指示をした。
平家一門の男衆は、全員目をつぶった。
全員目を閉じたことを確認した清盛は、
「この中で、新院方に着く、あるいは着きたい人間がいるなら、手を挙げてほしい」
と質問した。
一門の中に、張りつめた空気が流れる。今まで仲良く接してきた家族が、戦場ではお互い殺し合う敵になるのだから。
その中できっぱりと手を挙げた者が一人、いた。清盛の叔父忠正である。
「わかった。他にも誰かいれば、今のうちに手を上げてほしい。もし敵方に着くとしても、各々の意思を尊重するので、俺は何も言わないから」
緊迫した空気を和らげるため、清盛は穏やかな声で言った。
すると、中途半端な手の上げ方をした者がいた。頼盛である。
(なるほど。でも頼盛はどっちなんだ?)
清盛は首を傾げた。
叔父忠正が崇徳院方に着くのは、自分の主君であるからという背景があるから、なんとなくわかる。それに自分のことが気に喰わないからそうなるだろう。が、頼盛の手の上げ方があまりに中途半端なので、どちらかよくわからない。
「もういい」
清盛がそう言うと、一門のみんなは全員、目を開けた。
「それで、結局裏切り者は誰なんだ?」
今にも襲い掛からんとばかりの殺気を放ちながら、教盛は崇徳院方に着く人間について聞いた。
「それは、教えられない。さっきも言ったように、個人の意思を尊重するから」
「ちっ、面白くねぇ」
教盛は舌打ちをした。
「会議はこれで終わりだ。帰っていいぞ」
会議の終わりを宣言した後に、頼盛を呼んだ。
「話って、何だよ」
頼盛は聞いた。
「お前、どっちに着きたかったんだ?」
「き、決まってるじゃないか、新院にお味方する」
「わかった。頼盛がそうしたいなら──」
そうするといいさ、と言おうとしたところで、
「頼盛、新院にお味方するのは辞めなさい」
清盛と頼盛の母池禅尼が会話に割り込んできた。
「母上には関係ないでしょう」
「いえ、関係あります。母さんは、貴方たちが殺し合うのを見たくない」
「でも、兄上は、いい、と言ってくれた」
「なりません」
池禅尼は断固として、頼盛が崇徳院に味方することに反対した。
反対した理由は、息子同士の殺しあいが嫌なだけではない。朝敵と犯罪者がいること、そして兵力が少ないことだ。
朝敵は先帝を暗殺した頼長、犯罪者は罪人を匿っていた為義のこと。そのため、正統性がどちらにあるかを考えてみれば、後白河帝の方にある。このような背景から、彼らに味方する勢力が少ない、と考えたからだ。
「母上、頼盛だってもういい歳なんだし、判断ぐらい尊重してやってもいいんじゃないか?」
「嫌だ。もうこれ以上子どもたちが死ぬのは」
「母上、おれは行くよ。誰が何と言おうと。兄上、ありがとう。おかげで決心がついた」
母親と義理の兄にそう言い残し、頼盛は走って屋敷を出ていった。
「待ちなさい」
息子の暴走を止めようとする池禅尼。
「母上、落ち着いて」
清盛は今にも頼盛につかみかかりそうな母を必死で抑える。
3
「なんでいっつも、思い通りにならないんだよ」
馬に乗りながら、頼盛は心の中でつぶやいた。
平家の棟梁とその正室との間に生まれた、本当の嫡男。兄家盛と父忠盛亡き今、本来であれば、自分が平家を背負って立つ人間だ。だが、先に白河院のご落胤というだけで、長兄清盛が平家の棟梁となった。その証に、亡き父上が小烏丸を清盛に渡したとき、どれだけ悔しかったことか。そして今度は、崇徳院方に味方することを母上が許さなかった。御仏の教えでは、人間界は思い通りにならないものだ、と説いているが、自分のそれはあまりにも酷すぎる。
何をするにも邪魔が入ってしまう自分の境遇を嘆きながら、頼盛は叔父忠正の屋敷へと向かった。
門を叩く。
「おぉ、頼盛ではないか。どうした、何かあったのか? まあ入れ」
笑顔で出迎える忠正。
忠正の屋敷。清盛や頼盛の屋敷のように、母屋の前に池や庭がないためか、地面に直接照りかえった直射日光と熱が暑さを倍増させる。
「叔父上、頼みがあります」
「ほうほう。言ってみろ」
頼盛は先ほど清盛と池禅尼に言ったことを話し、頭を下げた。
忠正は近寄り、頼盛の頬を思いっきり叩いて、
「バカ野郎!」
と叫んだ。
「どうして叩くのですか?」
叔父上なら、わかってくれると思ったのに。頼盛は大いに失望した。
忠正は頼盛の襟裾をつかみ、
「こんなことを言ったら、兄貴やあいつに怒られるかもしれないが、死ぬのは代が変わって不要になった、嫌われ者の俺だけでいい。だが、お前はどうだ? お前には生きていてほしいって望む家族がいる。俺もその一人だ。それにお前は、小僧とは違って、本当の平家の息子だろう? 死んだら、お前の母ちゃん、そして死んだ兄貴も、いとこの重盛も、みんな悲しむんだぜ。だからここは、お前の使命が、『兄貴と俺の血を伝えること』だと思って、耐えてくれ」
涙を流しながら、諭した。
「結局叔父上もそう言うのですね」
「誰かが死ぬのは、もう御免だ。帰ってくれ」
「嫌です」
「帰れ!」
そう叫んだ忠正は、下人たちを呼び、頼盛を拘束して屋敷からつまみ出した。
頼盛の訴えを門前払いするかのように、戸が閉められる。
「おれは何が何でも、味方する」
戸の向こう側でわめく頼盛。
閉ざされた門の向こう側にいる忠正は、
「ごめんな、ごめんな。俺たちには勝ち目はないんだよ」
頼盛の訴えを泣きながら聞いていた。
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