【歴史小説】『ある隠者の幸せ』第一話 最悪な人生の始まり
18歳のとき、父が死んだ。大好きだった父が。
父はよく私を褒めてくれた。よく、
「いつか立派な歌詠みになる」
と言って。
貴族社会でもしっかり生きていけるように、ということで、官位もくれた。従五位下という官位をくれた。7つのときに。
「7つで従五位の官位」
これはある意味破格の待遇だった。
白河院のご落胤との噂のあるあの入道相国は、鎌倉に流されている源義朝の遺児頼朝も12歳でこの位に就いている。
その待遇を、父は私にくれたのだ。
将来は立派な貴族に。将来は立派な神職になる。みんな、そう思っていた。だが、父が亡くなったせいで、それは夢に終わってしまった。
いろいろなものを残した父。たくさんの愛情を注いでくれた父。
そんな父が、儚く亡くなってしまった。出かけるときのあいさつをしたときは、いつもと変わらない笑顔で、
「行ってくる」
と言っていたのに。
(もう私の人生は終わった)
私は屋敷の木の枝に装束の帯を結びつけ、輪っかを作った。辞世の句は先ほど作った。
父さん、私も今からそっちへいくから。
輪っかに首を通した。
枝のきしむ不吉な感じの音。荒くなる呼吸。死が近づいている。このままいけば、父のいる彼岸へ向かえる。
意識が徐々に朦朧としてくる。あと少しで逝ける。
憂い俗世からあと少しで旅立てる。解放されるんだ。そう思っていたときに、
「何をやっているんだ!」
下人に自殺を止められた。
その後、祖母からこっぴどく怒られた。
亡き父の役職は叔父が全て持っていった。
父が役職を持っていった理由について、表向きには、
「長明はまだ若いから家を継がせるわけにはいかん」
という理由になっている。けれども、実際は自分が神主になりたかっただけであった。
話に聞くところでは、甥の私よりも自分の方がふさわしい、と様々な理由をつけて院近臣や法皇様に触れ回っていたのだという。
その結果、私ではなくあの強欲な叔父が、下鴨神社の神主となってしまった。叔父が神主になったので、父の生前まで後継者候補であった私は、お払い箱になったのである。
下鴨神社の神主の嫡男から、ただの「穀潰し」になってからの一日や考えていたことについて話そうと思う。
穀潰しである私の一日は、端から見ればお気楽なものだった。
好きな時間まで起き、好きな時間に寝る。趣味はやりたい放題。そして二食付き。
昼寝の方は? というと、それもしっかり付いている。ただ、読みたい本があったり、和歌や管弦の練習をしたりで忙しかったから、昼寝をする暇はなかったが。
これはこれで、私は好きだった。
でも、気楽ではない。そう、将来への不安があった。
いくら和歌ができるからといって、
「長明、少しは働いたらどうだい?」
「働くって言っても──」
無理に決まっている。私の若いころは、母親の実家の身分や財力で全てが決まっていたようなものだから。光源氏が第一皇子で見目形も優れていてかつ頭もよかったけれど、皇位には就けなかったのがそのいい例だ。
「働きはしなくても、せめて結婚でもしてくれればね──」
「結婚か」
無理だ。第一に、こんな醜い猿顔の男となんて、誰が結婚しようと思うか。仮に私がいい和歌を詠んで口説き、妻を得たとしても、会ったときに逃げられてしまうのが関の山だろう。
「考えてはいるんだけど、相手がいなくて……」
そういつも私は答えていた。今はこの家の嫡子ではなく、新たな家の主である叔父の家に住まわせてもらっている身。波風を立てないようそう返していた。
「なるほど。まあ、でも、大丈夫でしょ」
「そ、そうだよね」
就職。結婚。後ろ楯のない自分は全て諦めていた。どうせ食い扶持を減らすために出家でもさせられるか、もしくは飼い殺しにされるんだろう。そう思っていた。
今思えば、私の最悪な人生はここから始まった。けれども、当時の自分には心のどこかで可能性がまだあると信じていた。
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