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【歴史小説】第56話 保元の乱・破①─軍議─ 『ひとへに風の前の塵に同じ・起』


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 時は、東三条殿に義朝が家宅捜索に入ったころまでさかのぼる。

 使用人の姿をしていた頼長は、黒い束帯に身を包み、崇徳院の御前へ参上した。

「頼長よ、大変な中よく来てくれた」

「重仁殿下を皇位に就けさせることができなかった屈辱に比べれば、些末なことに過ぎません」

 そう言って頼長は崇徳院の前でひざまずく。

「そうか。そなたの屋敷にも雅仁たちの軍が来たということは、院である私がいるこの屋敷にも来ることになる。妹にも迷惑がかかるから、どこかへ引っ越したい」

「では、大炊にある屋敷はどうでしょうか?」

「大炊の屋敷か。確かにここよりも広いので、多くの兵をおくことができる」

「では、ここへ下人らを集めて、引っ越しの準備をしよう」

 夜中。頼長と崇徳院は後白河帝側の追及から逃れるため、秘密裏に別邸大炊殿へと移った。


   2


 7月10日亥の刻。崇徳院のいる大炊殿では軍議が開かれていた。

 庭には大勢の武者たちが集められ、布陣が決まり、どこを襲撃するかが決まるときを、今か今か、と待ちわびている。

 灯りがともされた殿上には、真ん中に信光が盗み出した高松殿の地図を中心に、頼長を始めとした公卿たち、そして総大将の為義、忠正、そして為朝がいた。

 最初は為義の、「計画通り高松殿を襲撃する」という案が主流だった。世間体が悪いからだ。

 崇徳院方には、近衛帝を毒殺した頼長、そして九州で暴れまわり、勝手に鎮西総追捕使を名乗った為朝という二人の朝敵がいる。そのため「夜討ち」という卑怯な行為をすることで、イメージがさらに悪化してしまうことを恐れたのだ。また、興福寺の大衆たちが、援軍を送る、と約束していた。かすかな希望があった方が士気を保ちやすい。

「確かにここには、脛に傷持つ人間が大勢いる。そう考えてみると、為義殿の言う通りかもしれない」

 納得した崇徳院が認めようとしたところで、

「院、お待ちください」

 為朝が手を上げた。

 勝手な行動にイラついた為義は、

「おい為朝、お前ごときが院に意見するなど、1000年早いわ」

 とキレ気味に言おうとした。

「どうした、為朝。申すがいい」

 キレ気味の為義の声を無視し、崇徳院は聞いた。

「院まで無視するんだ!!」

 一人悔しそうに為朝の方を眺める為義。

 為朝は答える。

「私合戦をし続けて早5年の為朝から言わせてもらいますが、今すぐ支度をし、夜討ちをかけた方がいいと思います。相手は、私たちが攻めてくるのを事前に知っているかのように、必死で守りを固めています。まずは、興福寺の僧兵たちが都へ来る前に、今すぐ帝の軍勢を散り散りにしましょう。おそらく帝の軍勢は、吉野や熊野へと逃げることになるので、宇治の辺りまで来たとき、南都の大衆たちと合流して、殲滅させる算段はどうでしょう?」

「そうだ。相手が眠っている夜は攻め時。俺は海賊たちと何度も戦っているが、全てにおいて夜討ちをかけられた。だから、相手が動かないうちに高松殿を焼き払い、後で興福寺の僧兵と合流して討つのが得策かと」

 為朝の策に賛同する忠正。戦いの中で生きる者たちには、似通うものがあるらしい。

「ふむふむ──」

 武士たちが出す作戦を、頼もしそうに聞き入る崇徳院は、

「戦いになれたこの2人がそう言うのなら間違いない。今すぐに出陣の支度にかかろう」

 と言おうとした。だが、頼長は崇徳院の言葉を遮るように、

「院、お待ちください!」

 と叫んだ。

「どうした、頼長?」

「帝、これは私合戦や海賊退治ではなく、皇国の興廃がかかった一戦。それゆえに卑怯な真似はできません。予定通り、ここは早朝に高松殿を襲撃することにしましょう。早まってもいいことはなにもありません」

「なぜだ?」

「それは先ほども言ったはずだ」

 頼長と崇徳院の間に険悪な空気が流れる。

「まあまあ落ち着いて──」

 バチバチとしている二人の間に忠正が入り、作戦を提案する。

「では、守りと攻め、どちらも取るというのはどうでしょう? 相手が確実に我々の行動を読んでいるのなら、彼らは確実に作戦決行の時刻よりも早めに来るはず。攻めてきたとき、当然高松殿の警備は手薄になっているはず。そこを私と為義、家弘の軍勢で平家や義朝率いる東国武士たちを引き付けておきましょう。頼憲殿は高松殿へと向かい、帝を捕縛、余裕があれば西洞院にある信西の屋敷を焼き払ってくるという算段でどうでしょう?」

 忠正の作戦を聞いた頼長は、気難しそうな表情をしばらく浮かべた後、

「それでいい。皆の者、支度をしろ」

 と指示を出した。

「ははっ」

 襲撃を担当する頼憲以外の武者たちは、門を守る支度をした。


   3


 同じころ。後白河帝方の貴族たちが集まっている高松殿でも、軍議が開かれていた。

 御殿の中には、後白河帝と関白の忠通、そして信西や成親といった、院近臣がいる。清盛や義朝を除いた武者たちは、警備を兼ね、庭や回廊で軍議が終わるのを待っていた。

「実は、ここにいる三位以下の院近臣や武者たちに話しておかなければいけないことがあります」

 後白河帝の脇にいた信西は、真剣な面持ちで語り始めようとする。

「どんなことですかね?」

「私と関白殿下、内府殿は存じ上げていますが、この戦いは、院がまだご存命だったころから計画されていました。系図上新院は亡き一院の第一皇子ということになっていらっしゃいます。ですが、皆さんもご存知のとおり、新院は亡き白河院のご落胤。亡き一院から見れば叔父にあたる間柄。そのため一院は、私や関白殿下、内府殿に、治天の君の座が、自分の皇統が新院に取って代わられることが怖い、といつものようにお話になられていました。そこで私たちは、新院を政から遠ざけましたと。ですが、我々にはまだ巨大な敵がいました。そう藤原忠実と頼長親子です。彼らは刺客を使って政敵を暗殺していました。殺人は普通罪になりますが、藤原親子は検非違使の職に就いていた家人為義を使い、権力の力でその証拠をもみ消していました。これが、私たちが調べてわかったことです」

 とんでもない真実が信西の口から出てきた。

 ざわつく院近臣と武者たち。

「どういうことなんだ、清盛」

 義朝は隣にいた清盛に聞いた。

「俺もよくわからない。帝や信西も俺に話していなかったし。ただ、俺の義理の弟時忠が、『一院と新帝、そして関白殿下や信西は、新院を支持する勢力を一掃しようとしている』と言っていたことがあった。そのときは、てっきり時忠の出まかせだと思っていたが」

 彼の言っていたことが本当だったとは、清盛は思っていなかった。

「なるほど」

「でも、どうして──」

 疑問に思った清盛は立ち上がり、

「俺は左府殿と前関白が嫌いだ。でも、何の罪もない新院を、どうして追いつめたんだ!」

 大きな声で清盛は聞いた。

「清盛。よく考えてみろ。今や新院は朝敵と犯罪者を匿う罪人。この国のためには、討たないわけにはいかないんだ」

「清盛、信西の言うとおりだ。ここまで来たのだから、もう引き返せない」

「それはわかってるよ──」

 でも、何の罪もない新院を寄ってたかって叩くのは、どうなんだよと、心の中で思った。だが、ここで言ってしまえば、院近臣全員から叩かれるのでやめた。


「さて、大炊殿を攻める作戦はあるか?」

 信西は、清盛と義朝に聞いた。

 義朝は答える。

「何事も無ければ計画通り、院の軍勢は朝方ここへ攻めてきます。迎え撃っても結果は同じ。ならば、この義朝に策があります。すぐに準備をして、院のいる大炊の御所を攻めるのです」

「ほう。どのようにして攻める?」

「まず、三方の門を私たちが攻めます。残った門は、新院と頼長を逃がすために攻めないでおきます。袋小路にしてしまえば、敵は命の危険を感じ、実力以上の力で我々を攻め立てるでしょう。ですが、逃げ道があるとわかれば、確実に敵は油断する。その隙をついて、離れたところに潜ませていた別動隊を動かし、一気に攻め立てるのです」 

 義朝の出した案を聞いた信西は、手を叩きながらほめたたえる。

「さすがは源氏の嫡男! 春秋戦国時代、呉の国の軍師であった孫子は、拙速は巧遅に如かず、と説いた。意味は、迅速に動くことは丁寧で遅いことよりずっといい。このまま待ち続けても攻められるのは自明の理。ならば先に打って出る。いいぞ! では出陣の支度をしよう」

 7月11日丑の刻(午前3時くらい)。後白河帝の軍は高松殿を出た。

 大将は源義朝と平清盛。義朝の軍には、鎌田正清、上総広常、三浦義明、大庭景親ら100騎。清盛の軍には息子の重盛や基盛、兄弟の教盛、そして郎党の家貞、伊藤忠清らが付き従った。


 空が白みはじめたころ。清盛と義朝の軍勢は大炊殿の西門前へとやってきた。

 作戦では、西の門を主力である清盛と義朝、東の門を家貞と経盛が攻めるという形だ。北門は逃げ道として、そのまま残しておく。念のため、御所であり本陣でもある高松殿には、頼盛と足利義康、新田義重が配置されている。

 門の前には、守備の兵士が一人もいない。

「おかしいな、誰もいないぞ」

 いぶかしそうに正面の門を見る義朝。

「もしかして逃げたんじゃないか?」

 清盛は嬉しそうに言った。

「それはどうだろうな。案外、攻められる前に逃げたと見せかけて、高松殿に攻め込んで来ているかもな」

「なら、今すぐに引き返そう」

 馬を後ろに回そうとする清盛。

 だが、青ざめた表情の義朝は、
「いや、どうもそういうわけにはいかないようだな。とりあえず──」

 下がれ、と号令をかけようとしたときに、矢が飛んできた。

 矢は見えない速度で駆け抜け、鎧を着た兵士3人を串刺しにするように貫いた。

「ヤツだ」

「ヤツって誰だよ」

「門の上を見てみろ」

 義朝の言うとおりに、清盛は門の上へと視線を向けた。

 門の上の櫓には、大鎧を着た、背の高い色黒の青年が、二の矢を構えてこちらを睨みつけている。


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