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時間泥棒:カメラ -時を止める瞬間-

Miki's Picture of Today: Miki* Ikeda "Thanksgiving Dinner with distortion memory" (2023)



◇時間よ、止まれ! 自然魔術と言われた器具◇


金持ちでも貧乏でも、公平なものがある。それは、時間
この文章を書いている間にも、一秒一秒時が刻まれ、我々の現在未来へと爆走している。

人は、自分の姿を反射する水面を通して見たがゆえに、自分や自分以外のものも記録として、シェアしたかったのに、違いない。でも、鏡では物足りない。銅像肖像画より、もっとすごいキテレツなことがしたい。

写真を大学などで専攻した人達なら、「カメラ・オブスキュラ (camera obscura)」と言う言葉を一度は耳にしたことがあるはず。ナポリで出版された『自然魔術』(著:ジャンバッティスタ・デッラ・ポルタ)という本に、「絵を描く時の補助に役立つ器具として推奨」として、このカメラ・オブスキュラの魅力を紹介していたらしい。

そして、時は流れ、世の中は35mmフィルムの時代、インスタントカメラの時代、デジタルカメラの時代、そして、今の携帯電話のカメラ機能の時代へと変遷していった。

今更なんだけど、電力がないと何も記録ができなくなった状態に、我々の技術は移行している。十数年前の東京の計画停電ではないが、『もし携帯電話が充電できなくなったら、どうするのか?』

せめて、電池さえあれば撮影できるインスタントカメラ(チェキ、写るんです等)の時代が再び来るかもしれない。カメラメーカーも準備しておいた方がいいかもしれないよね。(って、それができる工場をすでに閉鎖している会社がほとんどなんだろうけど)

チェキと似たような、女子高校生御用達サブカルの写真部門代表といえば、プリクラも忘れてはいけない。今、ウキペディアを読んで知ったんだけど、「プリクラ」という登録商標は、セガが所有しているらしい。本来の名称は、「プリント倶楽部」というらしく、その機械は1995年にゲームセンターに出始めたらしい。要は、証明写真を撮る「自動撮影機(スピード写真機)」をさらに進化したもの。ゲームオタクの戦場だったゲーセンが、プリクラの進出で女子高校生の憩いの場になった。印画紙シール用台紙に印刷される基本機能から、テレフォンカードに転写、さらに、オンラインデータシェアなど、色々な機械仕様が進化し続けているらしい。やはり、コンピュータ技術情報通信機器の進歩が、今のエンタテイメントの多様性を演出している。昭和の女子高校生だった私には、今のテクノロジー・ガジェット標準装備令和の女子高校生に羨ましい限り。

◇取扱説明書:カメラ - 自然魔術でできること ◇

2023年の今。携帯電話スマホ。スマートフォンモバイル端末)は、財布同様の携帯必需品になった。総務省の調査で見てみると、このような数字が歴然と出てくる。

2019年における世帯の情報通信機器の保有状況をみると、「モバイル端末全体」(96.1%)の内数である「スマートフォン」は83.4%となり初めて8割を超えた。「パソコン」は69.1%、「固定電話」は69.0%となっている。

総務省「令和2年 情報通信白書」から

つまり日本の世の中、10軒に8軒がスマホを所有していることになるらしい。(この調査は、個人ではなく世帯向け調査。)昭和世代のビジネスは、会社の支社間の文書テレックスファックスで送ったりしていた。その後、昭和〜平成時代あたりから、情報通信技術の発展により、インターネット経由メールにpdf添付で文書等を送ることとなる。そして、令和時代の今は、クラウドなどのサーバー上でコンテンツをシェアしたり、加工したりするのが当たり前の時代になった。

そんなに便利な日本。いや、便利な世界になった。
でも、日本人が昭和の頃から忘れていない「日本魂」
それは、写真を撮ること

カメラ業界にとっては、残念な技術の進歩の到来。
カメラで写真を撮るという行為が「スマートホン1台」持っていれば、全てことが足りる時代になった。その昔は、機能が沢山ある家電は壊れるのが早いということで、購入を回避される傾向だったが、今やカメラ・ビデオ機能、インターネット接続が標準装備された「スマートフォン」は、現代(平成〜令和時代)の神器となった。

つまり、林家ペー、パー子師匠のように、誰もが「日常カメラマン」(まあ、これに対しての非日常なカメラマンといえば、「戦場カメラマン」ロバート・キャパとかね。そして、日本の渡部陽一さんとかも忘れちゃいけない。)になっていった。

それと同時に、インターネット文化も変遷して、インスタグラムみたいな写真・動画共有SNSを通して、写真マイブームを盛り上げ、ブームが継続してるこの現状。問題なのは、マイブームだけが突っ走って、肝心なコンテンツの薄っぺらい写真が流通し、フェイク画像フェイク動画も横行していくデジタル世代。写真の真偽が問われるケースも出てきた。あと、肖像権とか著作権とか、法律的権利を尊重しながら、写真を楽しむ必要があるのも忘れてはならない。

◇WHY? 魂まで写さないで。 (by アメリカ人)◇


私が、米国から日本に帰国して、もう5年以上経つ。
家族も日本に馴染み、アメリカ人の夫は私以上に、日本流にこだわる始末。
最近、夫の会社の米国本社のCEOが来日したのだが、それで彼がちょっと日本支社の戸惑ったことを聞いて、思わず「う、うーんん。」と苦笑いしてしまった。

そのアメリカ人のCEO曰く、「アフターファイブの社内パーティで、ほとんどの日本人社員が『一緒に写真とってくれませんか?』と、一緒に自撮りをせがまれるんだよ。なんで?」と、夫に話しかけたらしい。

夫と彼はアメリカ本社からの数十年の付き合いなので、そういうことを気軽に話したらしい。まあ、会社の社風がアメリカ流なので、日本人がフランクに話しかけるというのはわかる。しかし、アメリカのパーティで、ツーショット写真をこれほどにせがまれることなど、滅多にない。「え?たった今あったばっかりなのに、なんでぇ写真撮るの??」みたいな印象で、彼にとっては、自分がトム・クルーズブラッド・ピットみたいなセレブに急になったような違和感で、非日常な日本の社内パーティでとても窮屈に感じたそうだ。

日本のことわざで、「一期一会」という言葉がある。もし、海外本社のCEOが自社主催のパーティに参加していたら、きっと私もツーショット写真をせがむのかもしれないな。ごめんね、日本人魂捨ててなくて。(苦笑)
チャンスは逃せないよね。もう二度と会えないかもしれないし。

◇写真 - それはあなたのタイムマシン◇


巷で言う「50/80問題」を、ガチで打ち進んでいる私。3年前に義父を亡くし、2年前に自分の母も見届けている。そんな時に、すごく大事なのが写真。母が亡くなった時、どの写真を遺影にするか、母の沢山のアルバムから、父と写真を選ぶのに相談。幸いなことに、自分の大学の副専攻が写真だったので、フォトショップで暗い寒色だったスカーフを暖色にして、バックグラウンドも自然な感じにし、それなりに全体の体裁を整え、無事に遺影を葬式までに製作出来た。本当に母親の笑顔のいい写真で天国行きを見送れて、良かった。

その昔、昭和の人は沢山の写真をプリントアウトして、楽しい思い出としてアルバム台紙に貼っていた。母も写真付きで、旅行に行くと36枚用の35mmカラーフィルムを一本以上使い切っていたのだから、アルバム本(写真集)もかなりの量になる。私の子供の時から、子離れした後の写真まで、母の一生のアーカイブは全て紙のアルバムの中にある。

写真のいいところは、その写真の説明が言葉に書かれていなくても、その写真から人の表情を見たり、風景や被写体を見て、どのような時間を撮影者が過ごしていたのかを想像できる。母が、何を見て、何を感じて、何を表現したかったのか。なんちゃってアマチュア写真家だったけど、まさに「日常カメラマン」をしていた。それが、「彼女なりの生きること」だったのだ。そんな母の写真集を通して、タイムトラベルをしてみた。そう、写真を通して、我々はタイムトラベルができる。

◇写真が好き!◇

私がカメラで写真を撮ることを始めたのは、中学一年生。中学の部活として、写真部に入部。暗室で自分の撮ったフィルムを現像し、紙に焼き付けるというプロセスを知り、そのプロセスの難しさと繊細さが気に入った。その時に、父の使い古しの一眼レフカメラを譲り受け、被写体自分カメラの感覚、その距離感をゴソゴソと探していた。

その翌年、住んでいる地域の学区整理で、中学二年生から新設校に転校。残念ながら、そこには写真部はなかったので、写真との深い繋がりが米国の大学に入るまで途絶えた。私のカメラ機材の変遷は以下の通り。

『一眼レフカメラ』
(中学一年生。キャノンかニコンか不明。)

『オートフォーカス機能付きコンパクトカメラ』
(中学二年生〜)

『一眼レフカメラ』
(米国の大学三年に編入。四年生まで暗室入り浸り。
友達から譲り受けたキャノンのカメラなんだけど、品番忘れた。)

『デジタルカメラ』
(米国の大学三年から使い始める。
当時、ニコン COOLPIX950とか所有。)

『スマホ』
(Android使ってます。)

今は、ほとんど、スマホを使って、日々のスナップショットを撮る「日常カメラマン」になった私。何気ないオブジェクトから風景毎日の食事、そして、家族行事に至るまで、スマホは大活躍。

アナログからデジタルに移行して、着色液も定着液もいらないDTP作業写真を仕上げる。今、必要なのは、パソコン一台加工するのに必要なソフトウェアだけ。いつかは、また暗室(実は自宅でやっていたこともある)で写真を焼きたいという思いもあるが、今は、経費削減安全第一優先

かなり凡人化しているのだけど、スマホから、Googleフォトのアーカイブに自動的にアップデートしているので、容量も別に気にすることはあまりない。インスタグラムにアップして、公開する訳でもない。本当に自分の備忘録アーカイブなのだ。なんでも撮るということは、便利なようで便利でないこともある。特に、35mmフィルムと違って困るのは、プリントアウトをして一枚の写真としてアルバムに貼ることをしていないので、自分のオンライン・フォトストックは増えるばかり。

でも、この日々の一秒一秒で、感じ取ったことを記録として、スマホで写真に残すことは、便利だし、デジタルアーカイブとして整理もしやすい。あと、「あれ?あそこはいつ行ったっけ?」と、自分のスケジュール帳で探せなかった日にちを、写真で探せることもある。まさに、写真は、タイムトラベルをするツールの役割をしてくれる。「日常カメラマン」は三日坊主ではなく、継続できる。なぜなら、ただシャッター(スマホのボタン)を押せばいいだけだから。だから、私は写真が大好き!

◇「日常カメラマン」-時間泥棒のすすめ◇


そんなこんなで、私はみなさんにも「日常カメラマン」になることをお勧めします。ルパン三世が新たな宝を見つけているのに、あなたは、自分の宝を常に目にしていることに気づいていない。しかも、毎日携帯しているスマホでそれができる。つまり、日々のスナップショットをアーカイブすれば、それが、数十年後に自分の過去を自分でタイムトラベルできる素材となる。大丈夫です。この私の定義で言う『時間泥棒=瞬間の記録作業』は、警察には捕まりません。あなたが、タイムパラドックスを試みない限り。

ところで、私の最期、この私のデジタルアーカイブを誰が管理するのか。そこらへん、ちょっと、心配です。(よく、親族のSNS相続問題とかあるみたいだし。)まあ、データ消去は一瞬でできるのだろうけど、私の軌跡を後生に残せておけたら嬉しいのだけど。とりあえず、シニアになったら、少しずつ、アーカイブ写真集を紙媒体で作って、データを削除していくのもいいかもしれない。歳をとってから、自分で自分の過去へタイムトラベルするのも乙なものじゃない。

だ・か・ら・写真が好き!


(追伸)
ところで、話がちょっとそれるけど、もし80年代のテクノポップ沼にハマりたかったら、当時「黄色魔術」(イエローマジック)の伝道師と言われた「イエロー・マジック・オーケストラ(Y.M.O.)」を勉強することをお勧めします。あの当時の黄色魔術の影響もあり、どれほどの人がファミコン(任天堂のファミリーコンピュータ)とゲーセン(ゲームセンター)にのめり込んだことか。

#写真が好き


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