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英語好き…映画が好きな女性たち…議論がなげえ!意味わかんねえ!(女子寮時代の苦い思い出)

 大学の女子寮時代の甘酸っぱい思い出である。 

 当時、PCもスマホも個人で持つことはない時代であったので、テレビを見ようと思うと、一階のソーシャル・ルーム(通称ソーシャル)に行かなければ、テレビを見ることができない(!)そんな、たまご大鳳卵焼き(知らんけど!)のような、ブラウン管のテレビをみんなで見ているような、そんなアナログな環境であった。

 今にして思うと、当時は、32人ほどの女子学生が暮らす寮内でWOWOW(!)を契約していたりなど、かなりコアな映画好きな人が多かった。90年代後半、英語が好きな人と、NHKラジオ講座の熱心なリスナーと、海外の映画好き、洋楽好き、ビバリーヒルズ高校白書好き、アメリカやヨーロッパを崇拝する視点を持ち、日本の仕組みをディスってしまう、若干面倒くさい人々(失礼!私もか!?)は、かなり高い割合で重なっていたと思う。

 英語のリアルな音声を聞く機会は、映画やラジオ講座や洋楽以外に、日本には、存在しなかったからである。
 
 WOWOWを見たい人と見たくない人の間で、費用負担をどうするかについて、寮会と呼ばれる会議で、長時間にわたる議論なども、かわされたりしていた。

 なんでそんなことで…?と、思うようなことで、いちいち、熱く議論を交わしていた。自分が一年生の頃は、先輩がたを崇拝してしまっていて、とにかく素敵!みたいな目で見ていたのだが、学年が上がるにつれ、後輩や、同級生の中でも意見を言うことが好きそうな人ばかりが、意見を言うようになることにほとほと、うんざりし始めた。自分の学年が上がってくると、ただただ、崇拝もできなくなった。意見を言っている人の存在はなんとも言えず面倒な存在に思えてきたのだ。

 授業だけで中途半端に取り入れた議論をする姿勢は、実際のところ、誰も何も言わない会議において、一部の妙な人の声が大きくなる仕組みになってしまっているように感じることもあった。

 「自分のことを、賢いと自分だけで思っている、狭い世界で、自分のことを凄い人だと勘違いしている、余計な意見を言いたいだけの、やけにしゃしゃり出てくる、面倒くさい偏った人たち(誰のことだよ!?そこまで言わんでも!?)」に見えて、すこぶる面倒くさく、段々寮のイベントに対する冷めた視線も強くなり、ただただ「うぜー!!うざー!!うぜえええ!!」と、思っていた。

 たいてい、該当者たちは地方の私立の著名な女子校出身者だったことに、あとで、気づいたのだが、当時は、意見を言うことばかりが好きそうな同級生や後輩たちに、ウンザリしていた。

 2023年の今、なんの議論もされず、女性の意見を汲み取る仕組みなど組織内にはまるで存在せず、高学歴なことにばかりプライドを持つ、一切の外国語も喋れない、視野の狭いおっさんたちによるカルテル、利権でものが動くような残念な組織に所属しているので、ひたすらに、ただひたすらに、あのWOWOW費用の議論などは、懐かしい思い出である。

(いや、でも、長い会議は、やっぱり、辛かった…。ウザかったー!!!)


  

 

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