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璦憑姫と渦蛇辜 15章「願いの虜囚」①

 肚竭穢土ハラツェドの港湾の先には岬がある。航海の無事と灯台の役目を兼ねて、長きにわたり火を絶やさず燃している。その場所は祭場でもあり祀られている神は『大海神おおわだつみ』であった。
その岬のたもとにやしろを築くため、昼夜を問わず人々が働いていた。夕暮れになると港から岬へと松明たいまつの火が連なるのが、タマヨリのいる屋敷からも見えた。昼は数十頭の馬が資材を運び、夜になれば馬の代わりに人が運んだ。休みはなかった。
何をそんなに急ぐことがあるのか、タマヨリには分からない。
このところ屋敷で岐勿鹿きなじかの姿を見かけなくなった。芸人に扮したハト達が来た日、客人があると出かけていってそれきりだ。

 社は驚くべき早さで完成した。
岬への道には松明の燃殻が打ち捨てられ、過労で倒れた馬はそのまま働きに働いた人々のご馳走となった。
その日、岐勿鹿はようやくひと息ついた様子でタマヨリの前に姿を現した。

「さみしかったであろう。社造りの指揮をとっていたのでな。こんな大仕事を任されて随分張り切ったが、そなたのことを忘れた日は一日もないぞ」

「別にさみしいことはなかったが、まあ退屈だったな」

「退屈というのは特権でもあるぞ」

「えー。それよりも何であんなにでかいものを急いで造ったんじゃ? 」

岐勿鹿はタマヨリの隣にくつろいだ様子で座った。

「一刻も早くお迎えするためだ」

「何を? 」

「我が国の主祭神である大海神だよ」

「へ? 」

「そのお住まいに相応しい場所を用意せねばならん。私は父から直々にその建造の命を賜った。そして完成させた。どうだタマヨリ、立派だと思わんか?」

立派というのは建物ではなく自分のことを指しているらしい。額へ貼り付くように流れた髪の先の目は疲労の色が濃いが、頬は誇らしげにつやを帯びている。

「ああ感心するよ」

「兄上もきっと褒めて下さる」

「そうじゃな、海の底で弟自慢をしとるかもしれんな」

「そうだろう!やはりタマヨリは分かってくれる。私は兄上を越えたくて、兄だったらこうしたであろうと考えて事を為すのだ。そのようにすれば、ほれ、うまくいった!」

余程嬉しかったのであろう、髪の下からの無邪気な童のような顔がのぞいた。

「よかったなぁ、岐勿鹿。そこに住むという神さまもきっと大満足じゃな。それでその大海神といのは、どういう神様じゃ?」

「私もまだお見受けしていないのだよ」

「そうか……。おれも、ワダツミという名を知っておるがまさか本人ということもなかろう」

あのワダツミがどういう理由で肚竭穢土に住もうなどと思うであろう。彼は『竜宮』を求め流離さすらう者だ。

「父王の夢枕に篦藻岩菟道ノモイトッドに住まう竜女が現れて、大海神の降臨を告げたのだ。父もはじめはただの夢と思ったが、同じ夢を三日続けて見たそうだ。それで巫女に占わせると、その竜女は大海神の妻であるという。そこで篦藻岩菟道へ遣いを送った」

「ちょっと待ってくれよ。その竜女は乙姫と呼ばれてはいないか………?」

「その通りだタマヨリ。海に縁のもの同士、逢うたこともあるかもしれんな」

「………会ったことある。だってそれおれの母上だもの」

「なんと!」

と叫ぶと岐勿鹿は立ち上がり、そのままタマヨリを両腕で抱きしめた。

「やはり私とそなたは結ばれる定めだった!」

「ぐぐぐるじいよ………」

「ああ、すまない」

と腕を離したが、今にも舞でも踊りそうなほどそわそわている。

「どうしてそうなる? 」

「どうしてもこうしても、タマヨリはつまり大海神と乙姫どのの娘であろう。これからそなたの父御と母御を私の建てた社にお招きするのだ。そうなれば、そなたは両親ともどもこの肚竭穢土に住むことができる。なんという縁だろうか!」

「いや、だからその件は待ってくれ」

「もう待つ必要はなかろう」

「いやいや、いろいろすっ飛ばしすぎだろう、まあ落ち着け」

まるで話の噛み合わない岐勿鹿をいなしてから、タマヨリにとっていちばんの要を聞いた。

「それで何でワダツミはこの国に住むんだ?」

「篦藻岩菟道から戻った遣いの話では、大海神はお怒りらしい」

「ほほう」

「乙姫どのの仰るには、本来肚竭穢土のものであるはずの宝珠をならず者の国に奪われ、『竜宮』の威光は日に日に地に落ちつつあると。そこで、そのならずものの国最果座サイハザを征伐することを求めてこられた。当然である。私もそのつもりだった。そして心強いことに、大海神が我が国の後ろ盾となって下さるというのだ! 」

「ワダツミが? 」 

「そうだ」

「でもあいつこの間まで最果座にいたんだぞ………あああ」

とタマヨリは頭を抱えた。

「そうか、宝珠だ。母上は『竜宮』の宝珠が欲しいんだ。それを揃えれば『海境うなさか』が開く………。ワダツミは『竜宮』へ帰れる………。そうか分かったぞ、分かった……」

「分かってくれたか」

タマヨリの唸るような呟きに岐勿鹿は顔を輝かせた。

「いやそっちじゃない。夫婦にはならん。おれはとにかくワダツミと話がしたい」

「当然、父御の許しを得ないとな。ああ話してくれ」

岐勿鹿という若者の中ではどうやら自分の良いようにしか事が運ばないらしい。些かの疑いもなく、頭の中に空絵を盛大に描いている。


 一方のタマヨリの頭にあったのはこうだ。
最果座では礁玉しょうぎょくが攻め入る準備をしている。きっと先手を打って動くのは礁玉だ。肚竭穢土も最果座を討つ用意はある。先陣を切るのはおそらく岐勿鹿だろう。そうなれば礁玉と岐勿鹿が殺し合うといういちばん見たくないことが起こってしまう。

とにかく何とかして、ふたつの国がぶつかるのを止めなくてはいけない。
それに気がかりなのはワダツミだ。
賽果座にある宝珠で『竜宮』へ行けると乙姫に唆されたのだ。そのためなら幾多の人を巻き込もうと、痛む心は持ち合わせてはいない。最たるは礁玉と刃を交えるも厭わないこと。

いくさはさせない。

彼の望みはただ一つ『竜宮』へ帰洛することなのだ。
掌海神磯螺いそらは争いをいさめてみせよと云った。そうすれば『海境』を開くと。

おそらく自分もその時、『竜宮』へ行くことになる。そこが磯螺の云う悲しみも苦しみもない場所なら願ったり叶ったりではないのか。
ただ、『竜宮』は行きて戻れぬ国だ。
礁玉の一味とも、これまであった誰とも二度と会えなくなるだろう。後ろ髪をひかれないわけではない。しかし、徒神あだがみたる己らの本来の居場所は水底なのだろう。

「『竜宮』はきっととても静かな所なんじゃろうな」

とタマヨリは独り言を云った。



続く


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