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璦憑姫と渦蛇辜 3章海賊②

 抜き手をきって泳ぐハトとウズを波が阻んだ。大使も向う見ずに飛び込んだが泳ぐどころではなく半ば溺れている。丸みを帯びた壺型のものが波間に頭をのぞかせているが、男たちの伸ばした手の間をゆらりとぬけて沈んでいった。
 大使が悲痛な声をあげたが、急に使命感にかられ一気に潜ったかのように見えた。しかし次に現われたのは、血に染まった衣とぐったりと力の抜けた半身だった。
 「鮫がいる!人食い鮫だ!」
 「引き上げて!ハト食われちゃう!大変!!!今すぐ引き上げて!」
 ウズとハトが騒ぎ立てた。助けに向かおうにもワダツミを相手にしたろうは動けない。
 その時倒れていた夷去火いさりびが起き上り、足を引きずりながら船べりに立った。
 「今、上げてやる!」
 「夷去火!」
 のぞき込むと海中に三匹鮫の影をみとめた。
 「まずいな……」
 鮫はいる、宝珠はどこに沈んだか分からない、どこかの骨が折れて肺が苦しい、それに何よりワダツミが厄介だ。だが、幸運なことにさきほど投げられたカイが、忍び込むのに乗ってきた小舟でハトとウズに向かっている。
 「ひとまず退く!」
 夷去火の声に浪が後ろ飛びに退き、二人は前後して並んだ。
 「お頭にしかられちまうな」
 「しゃべるな。臓腑に穴があいているだろう」
 「そんなことねえよ、口の中切っただけだ」
 そうでも云わないと気を失いかけない痛みが夷去火の肺を駆けた。いつまでたっても息が整わない。
 波間ではカイの船にハトとウズが引き上げられていた。ワダツミを振り切り船に飛び移れば逃げおおせる。手負いの二人は小舟を視界にとらえながら彼との距離をはかった。
 「早くこい!」
 海面に小さな頭がもうひとつある。ハトが呼んだ相手はタマヨリだった。
 「おい、おまえも来い!」
 まだ宝珠が沈んだ場所から動こうとしないタマヨリに向け大声を出した。
 「鮫がいるぞ!」
 「じゃが、アレが!」
 「おまえが食われるぞ!」
 「わかった、すぐ行く!」
 と答えたタマヨリの躰が海中に消えた。
 「ぎゃあ!食われた!」
 ハトが目をむいて叫んだ。
 
  海面は静かだった。鮫はよほど深くまで咥え込んで潜ったのだろう。あの小さな体では一飲みにされたかもしれない。
 「ああ、あああ」
 ハトは声にならないうなりを上げたが、ウズはまだ勅令船の上にいる二人のために小舟を寄せた。
 先に夷去火が、続いて浪が飛び降り小舟は激しく揺れた。
 「よし行け」
 カイとウズがをかこうとしたとき、大きな魚影が小舟の背後に現れた。全員が刮目したのは鮫が飛び上ってきたからではなく、その背びれにタマヨリがつかまっていたからだった。鮫の背から身軽に乗り移った娘は無傷で、しかも手には宝珠を握っていた。
 「すまねえ、待たせた」
 タマヨリの手にすっぽり収まった壺の表面は、瑠璃るりの輝石でできておりつまみや縁は金細工がほどこされていた。改めてみるその美しさにタマヨリの顔がほころんでいる。
 「お前……どうやってとってきた……?」と浪が聞いた。
 「潜った。おれは島の海女あまの誰よりも深く潜れる。目もええし息も長いし、見つけるのはわけないさ」 
 海賊たちに感心されタマヨリは意気揚々となった。
 「それに鮫はおれを襲わね。なんでか知らんが絶対に襲わねえ」
 「なんかお前、ハト達のお頭みたいなこと云うなあ」
 「お頭?なんじゃ?」
 「お頭はシャチの波座なぐらを従えてる。波座はお頭を絶対襲わない。そりゃもうびっくりよ」
 ハトのくりくりした目とたどたどしい話し方に、タマヨリは親しみを覚えた。
 「シャチってなんじゃ」
 「鮫より大きくて鮫ほど怖いサカナ」
 「クジラよりか?」
 「うーん、ハトはクジラのほうがデカいと思うけどどうかな。みんなハトのことちょっとここ足りないって云うんだよね」
 そう云ってツルツルに剃った頭をこつんとつついてみせた。
 「おい、タマヨリ!戻ってこい」
 船上からワダツミが呼んだが、
 「船を出せ!」
 と浪の一声でカイとウズが櫂を力いっぱい漕ぎ始めた。
 「目的は達したな。お頭達と合流するぞ」
 夷去火がタマヨリから宝珠をとろうと手を伸ばしたので背をむけた。
 「いやじゃ。おれがとってきた!」
 「わっぱには過ぎたる宝だ。渡せ」
 「いーや!」
 「何をしてる。タマヨリ、そいつらはお前を殺そうとしたのだぞ。遊んでおらんで戻れ」
 タマヨリなら鮫の海を泳いで戻ることなど造作もない。來倉ククラに向かう船を手に入れた今、海賊に用はなかった。船の上では生き延びた人夫達が船の主がかわったことを理解し始めていた。
 「今、行くよ」
 と飛び込みかけたタマヨリの襟を浪がつかんだ。
 「あいつだってお前を見捨てて殺しかけたぞ」
 「そうだった!」
 浪とワダツミを見比べて迷うタマヨリに、座れと云うようにハトが席をつくってぽんぽん叩く。
 「お前もお頭と波座なぐらに合わせてあげるよ」
 と云われタマヨリの気持ちが揺らいだ。
 「その、お頭っていうのはおっかなくはねえか?」
 「おっかねえよ」
 「じゃあいやだ」
 「でも、すごく強い。この海でいちばん強い女だぞ」
 「女なの?」
 「そうだ。うーんお前を大きくしたら似てるぞ」
 タマヨリの口から「おれに?似てる?」と息をのむような声がこぼれた。
 「ワダツミ!ちょっとお頭って人に会ってくる。おれのお母さかもしれね!」
 海賊が揃って怪訝な顔になった。
 「……お頭に子どもなんておったか?」「聞いたことねえが」
 カイとウズが囁きあった。
 「お前、いったいなんだ?あの男の下働きじゃないのか?」
 浪に問われたが答えは持ち合わせていない。
 「おれはタマだ。ワダツミには結構こき使われるが、別に召使じゃね。なんていうか、ただ一緒にいるだけだ」
 「変わっているな。みなしごか?」
 「婆さと兄ィさがおったが、死んだ。親には捨てられた」
 「それで親を探しているのかい?」
 「そうじゃ」
 とタマヨリはこくこく頷いた。
 「連れていく」
 と浪が云った。宝はもう手の内にある。
 -素性もわからんあの男。目的が知れないが娘にも宝珠にも執着はなさそうだ。
 勅令船からも離れた。あとは仲間と落ち合うだけだと彼がふんだ時だった。
 ワダツミが振り下ろした鉾から波が走り、波の先端が海獣の形をとり、櫂に食らいついてへし折った。
 「馬鹿な!」
 夷去火が叫んだが波の獣は勅令船まで小舟をおし戻し、砕いて板片となったそれを甲板へ押し上げた。海賊たちはなすすべもなくもとの場所へ戻されたのだった。
 「誰が行ってよいと云った」
 ワダツミは不機嫌そうに見下ろした。海賊たちは武器に手をかけたが彼は腕組みすらとかない。
 「なあ聞いてくれ、こいつらのお頭ってのがおかあさかもしれねえんだ。会ってみてえ」
 ワダツミは「ふむ」と目を閉じた。
 「こいつらは海賊だ」
 「そうなのか?」とタマヨリは男たちを見渡した。
 「そうだ海賊だ」とハトが頷く。
 「ついて行けばそれきりかもしれぬ」とワダツミ。
 「そうなのか?」
 「そうかもしれぬ」とまたハトが頷いた。
 「だから」
と云ってタマヨリの宝珠を取り上げた。
 「取引だ」
 夷去火と浪の鼻先にそれをぶらぶらさせると、着物の中にしまい込んだ。
 「お前らの頭とかいうのにこいつを合わせてやれ。これはそれからだ」
 「……わかっ、た……」
 「それから着物と食い物をよこせ。船はおまえらで漕げ。船漕ぎ人夫を減らしたのはおまえらであろう」
 「浪、こいつを連れていくのは危険すぎる」とウズが云うが浪は首を振った。
 「夷去火はかなりの深手だ。私一人でどうにかなる相手でもない。従おう」
 「虫にしては賢明だな」
 ワダツミは鉾をかかえ、
 「しばし眠る。着いたら起こせ」とタマヨリに云い置くと屋形へ入っていった。
 「ほんっと寝てばっかだな!」
 精一杯の皮肉を云ってふんぞり返る娘の面差しが、ハトにはお頭を思わせた。


3章 完

 

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