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5月の窓11月の椅子◇プロローグ◇

<プロローグ>

結婚式は挙げなかった。
松下透の養子となることで同じ姓になった。
会ったことのないおじさんの籍に入るのは、アヲにとっても理玖(りく)にとっても奇妙なことだったが、恵都(けいと)だけはあっけらかんと満ち足りていた。

「合法的に入籍するためのいちばん面倒のないやり方」。
恵都はそう云ったが、アヲは恵都が良いなら自分は何でも良いのだし、理玖は、30年前に失踪した実父を探し出し了承を取り付けた彼女の手腕に圧倒されていた。松下透は恵都の父親だ。

理玖は職場の水泳教室では旧姓の太田を通したが、銀行印を作り替え、受付で「松下さん」と呼ばれるとお尻のあたりがそわそわするのだった。

病めるときも健やかなるときも共に助けあってきた3人だから、これからも助け合うし、何より愛し合うし、誓おうが誓うまいがそれは変わらないことだったが、35歳までには結婚したいという恵都の希望を叶えるべく入籍した。

正確には結婚とはいえない。
アヲと恵都は同性だから今の法律では入籍できないし、理玖と恵都が夫婦としてアオを養女にしても、何となく差がついてしまうようで嫌だと2人は云う。アヲは無頓着なのだが。

恵都と理玖が自分の人生にいることだけがアヲには大事で、あとは遠海向葵(とおみあおい)という名前も、紙切れ上の繋がりもどうでもよかった。
かつてアヲの夫だった人がアヲの幸福を望んだように、恵都と理玖の幸福だけを望んだ。元夫は常に責任ということを口にする人だった。男の責任とか、夫の責任とか。
誰かが誰かを幸福にするのに責任を負うなんて堅苦しいとアヲは思っていた、かつては。
二人が幸せでいるために自分が責任を負えることが幸せだと思う。
同時にその責任を努めきれなかった元夫の心の内を、今になって知るのだった。
自分自身への不正直さが、結果として夫を苦しめたとアヲは思う。理玖はそればかりではないと云ってくれるのだが。

理玖はアヲの高校の同級生で親友だ。
理玖がいなければ自分はとっくに死んでいたと思っている。

「二人の純愛に水をさしたのは私なので、私が二人ともお婿にもらうってことでケジメ、つけさせていただきます!」

恵都がいなければ何も始まらないまま終わっていただろう。3人で飲み明かした夜の、恵都の冗談ような一言が今につながった。
アヲと理玖と恵都。
3人でした結婚の話。


続く

<1>夜と朝のすき間/アヲ
https://note.com/nestwords/n/n72a57be55617




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