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5月の窓11月の椅子◇1◇

<1>夜と朝のすき間/アヲ

 水音が響いてる?バシャバシャと威勢よく。バスルームのドアを開けっ放しでシャワーを使うから、二階の寝室まで音が響く。

ー恵都(けいと)、帰ってきた……

二階の北側を寝室、南側をワークスペースにしたが、アヲは南の部屋で寝ている。誰かが隣にいると熟睡できないからだ。
わずかな物音ですぐ目が覚める。
半分開いたドアの奥で、布団が理玖の形に盛り上がってピクリとも動かない。一度眠るとちょっとやそっとでは起きない理玖を横目に、アヲはそっと階段を降りた。

廊下の電気に目を射られ、眇めた目に入ってきたのは玄関に歩幅のまま脱ぎ捨てられたパンプス、上り框に投げ置かれた鞄とジャケット、短い廊下の途中に裏返えった靴下が、パンツは洗面台の下に脱いだままの形、シャツと下着だけは洗濯機の上に置かれていた。

アヲは珍獣の生態を観察する人のように“脱皮”の痕跡をたどり、ひとつひとつあるべき場所へ置き直していった。

「おかえり」

バスルームから出てきた恵都は、頭からバスタオル一枚被っただけだ。
はちはちに張った肌から水が滴って床を濡らすのも、アヲの視線が下から上に流れるのも気にしない。

「ただいま」

というと恵都はリビングのソファに裸のまま身を沈めた。
彼女の疲労から寛ぎへ移ろう姿を目に収めて、アヲは昼間作ったお茶をグラスに注いで出してやる。

「なんか食べる?」「いい。何時?」「4時半過ぎてる」「朝じゃん。起きてたの?」「寝てたよ」「起こしちゃったね」「いい。おかえりって言えたから」「うん」

ショーツだけ身につけた恵都に手早くドライヤーを当てて、短めのボブを整えた。

「白毛あった。抜く?」「抜いて」「恵都、髪きれい。全部白くなってもきれい」

うん。という自信に満ちた恵都の返事が心地いい。

Tシャツを着て歯磨きする間もアヲは側にいた。

「アヲ、なんか機嫌いい?」

「遅くなるってLINEきてから4時間で帰宅したから」

LINEが入った時点で日付が変わっていたことには触れない。いつものこと。

「連絡はマメにしろって、あなた達が言うじゃない。信用ないんかい」

「心配してるんだよ、遅いと。理玖は」

「アヲは?」

「……しないよ。ただ、LINEもらうと嬉しい」

「……へ、そうなんだ」

自分の実務的なそっけない連絡ひとつを嬉しいという人がいる。日ごろ、感情があまり表に出さないアヲの言うことはいちいちくすぐったい。

「一緒に寝る?」

「え……っと」

「あ、」

寝れないかと恵都が言う前に、アヲはうなづいた。

北側の部屋にはさっき見た時と変わらぬ姿勢で理玖が寝ている。
とりあえず10時まで寝るからと言いスマホのアラームを設定した後も恵都がいつまでも布団に入らないので、アヲは先に潜りこんだ。
理玖が寝返りをうった。

夜明け、理玖にすがりたくて数キロの道をふらふら歩いたのは何年前だろう。
ー鍵開けておくから。
理玖はやさしかった。
ー俺、いっぺん寝ちゃうと起きないから。
眠れない夜を何日も過ごして、ようやくたどりついた理玖の隣。
あの時も彼は眠っていた。
眠っていたけど、自分を待っていてくれた。鍵を開けておいてくれた。

理玖の睫毛は、いつ見ても思っているのより2ミリ長い。

じっとしていると恵都に後ろから抱きつかれた。

「おやすみ」

と言われ背中に生暖かい息を感じ、数分で恵都の寝息が聞こえる。

カーテンの隙間に、夜と朝の間(あわい)が白い線になる。
アヲは目を開けたまま、二人のまどろみに交じった。


続く



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